このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

冬の会津旅行
 PartⅡ 「初めての只見線」
時刻表上は只見行き、けど実際は直通している
てな訳で、日中線跡を見、喜多方で昼食として(2度目の)ラーメンを食べ、
会津若松へ移動しました。目指すは、只見線の13時08分発只見行きです。

時刻表を見てもらえば分かると思いますが、只見線は列車本数が非常に少なく、
昼間のお日様が出ている間に全線走破する列車は
上下1本ずつしかない路線であります。
(ただし、冬場だと途中で日が暮れてしまうはず…)

話を戻して、13時08分発の只見行きはキハ40の2両という、
ローカル線そのものの編成でした。
車内は、帰宅する高校生で満席に近い状態までになりました。
途中の会津板下(あいづばんげ)駅までは会津盆地の端をのんびり進んで行きます。
会津坂下で大半の乗客が降りると、途端に上り坂が始まります。
右側に遠く会津若松・喜多方の町並みを望みながら、
原チャリにも抜かされそうな速度でゆっくりと上っていきます。
列車は只見川に沿って進んでいきます
只見線といえば豪雪地帯!というイメージがあったので、
雪があるのかな?と思っていたのですが、実際に沿線に雪が見え始めたのは、
会津坂下を過ぎたあたりでした。
って、出かけたのが3月下旬だから雪もとけているか(^^ゞ

会津川口で昼間に全線走破するもう一方の上り列車と交換すると、車掌が変な放送を。
「この先、本名〜会津蒲生間は前1両のドアしか開きません。
お降りのお客様は前の車輌へ。」というものでした。
気になったので、駅に着いてから窓から顔を出すと自分の乗っている車輌(2両目)
踏切上にあって、ホームがほんの1両分しかないではないですか!
いくら乗客が少ないからって、1両分しかホームが無いってゆーのは…

さすがに山を分け入っただけはあります。
会津川口を出ると線路際の雪が積もっているようになって来ました。
だんだん雪の高さが高くなってきたところで、とりあえずの目的地、只見に到着です。
ここまで、2時間50分。
只見から会津若松へ上っていく列車は1日3本
で、只見に到着するわけですが、
←の写真を見てもらえば分かるとおり、
上下とも4本ずつ
(上りの最終と下りの始発は冬季運休のため、冬場は上下3本ずつ…)
しか列車がきません。
で、自分の乗ってきた列車はここで30分停車した後、
16時20分発の小出行きとして発車します。

30分停車があるので、駅前でもと思ったのですが、
結構雪が残っている上に寒かったので、
改札口周辺をうろうろして時間をつぶしたのでした。

ちなみに、ここからバスを乗り継いでいくと
会津鉄道の会津田島駅or会津高原駅に出ることが出来ます。
雪に埋もれる道路と橋
ここからが、只見線のクライマックスです。
只見駅を発車すると長いトンネルが2つあり、
2つ目の「六十里越トンネル」を越えると新潟県に入ります。
2つのトンネルの間には、田子倉駅があるのですが、
周辺に住んでいる人がいないため、冬場は通過してしまいます。

何で直通する列車が一日3本しかない超ローカル線な只見線が
生き残っているかといえば、只見〜大白川間を並行する国道252号が
冬季通行止めになるからなのです。
生活の足が無いという理由が只見線を残しているのだと思いますが、
福島・新潟県境を行き来する人は少なく、
この日も地元(風に見えた)の人は数少なかったです。

でも只見発車後に暖房が程よく効いた車内でウトウトしたことはひ・み・つ(爆)
気づいたら六十里越トンネルを過ぎていた…(-_-)zzz
大白川駅で上りの最終列車と行き違う
大白川駅で上りの最終列車と行き違うと、小出に向けてラストスパートをかけます。
(といってもゆっくりとした足取りで)
そうこうしているうちに、148.7キロを4時間30分かけて小出駅に着くのでした。
ちなみに、帰りは浦佐から新幹線に乗って東京まで出たのですが、さすが新幹線!
228.9キロがたった1時間30分。只見線のゆっくりしたペースの後だと
新幹線の速さを感じずにはいられなかったです。
只見線ワンポイントアドバイス
1.会津若松から下り列車に乗る場合は右側がお勧め。
  途中の会津大塩からは左側に移ると良いかと。
2.乗客の入れ替えは会津坂下・会津川口・只見でありました。
  といっても、高校生が大挙して乗ってくることは無い(と思う)ので、
  座席の移動はある程度出来るかと…。
3.今回の旅で乗った列車だと、会津川口・只見で停車時間があります。
  ちょうど一息入れたくなるときなので重宝すると思います。
  只見では、車内放送で「駅前に飲み物の自販機がある」と放送していました。

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