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コロ記

先生とのお話

<平成12年5月17日>
 転落事故以前、病院が大嫌いなコロ。よほどひどくない限り、コロは病院へは行きませんでした。それでもどうしようもない時には連れて行きます。これは、そんな時のお話しです。

 まだコロが元気な頃、もちろん転落事故など想像がつかない当時の事です。病院へ行く日、キャリーにバスタオルを入れて、室内に置いておきます。キャリーは好きなので、そのうちに入って眠るコロ。そのまま病院へと行きました。病院の玄関前、「なおーん、なおおーん」とさびしい声で鳴きます。しかし、そのまま病院の中へ。診察台の上にコロを出そうとキャリーのふたを開けると、一番奥にいての威嚇。仕方なくキャリーを持ち上げてコロを診察台の上に落とそうと・・・・・落ちてきたのは中にあったタオルだけ。コロは必死に落ちてきません。結局キャリーごとビニールで包んで全身麻酔です。だんだん効いてきて中で夢うつつ。無事に診察を受けることができました。
 実はコロはこんなおんなのこなのです。神経質で怖がり、病院は大嫌い。そんなコロが転落事故。もともと体が丈夫でない上での重傷。この時は、獣医さんも私もコロの命はあと少し・・・と思っていました。
 それから、なんだかんだと事故から1年半が過ぎていました。すでに信じられない命。そんな頃の獣医さんとの会話を集めてみました。

 1999年10月、コロを病院へ連れて行きます。こんな行為が自然とできるようになったのは、良くも悪くもコロが自分の体を自由に動かせないからです。10日に1度、薬をいただきに病院へ行きますが、体調の良い時にはコロも連れて行きます。診察というよりもむしろ、元気な姿を先生に見せる為の通院です。1日ごはんを食べなかった次の日、コロは病院へ行きました。診察を終えた先生。
「この調子だとまだ大丈夫、目がしっかりしていて、反応があるので、あと3ヶ月から半年は大丈夫でしょう。ごはんは1日食べなくても前の日の栄養があるので大丈夫。3日以上食べないと脱水症状で、あっという間に亡くなってしまいますが。体の細胞が栄養を欲しがらなくなってしまっているので、薬での延命はできますが、苦しまずに大往生のほうが良いと思います。」

 それから1ヶ月が過ぎた1999年11月、日常のコロの様子を伝えると、先生が「しかしコロちゃんはすごいです。神経質のコロちゃんの場合、寿命は短いんです。今でも食欲が続くのは医者の私でも考えられないほどです。私の誤診と言えば誤診ですが、長く医者をしている私の常識でも考えられません。この前の様子も、心臓が弱いながらもしっかり打っていますので、この調子で年は越せるでしょう。」

 11月13日の朝、朝から鳴きつづけるコロ、心配になり病院へ連れて行きました。見るなり先生は、「これは大丈夫ですよ、本人は自覚していないはずです。老人性痴呆症のようなものですから。」その症状は、その日だけで終わりました。

 無事に2000年を迎えることができました。しかし安心はできません。1月16日から、ごはんを食べない日が続いてます。毎日繰り返す嘔吐、すでに食べなくなってから3日が過ぎていました。4日目の夜、突然「にゃおおん」ごはんの催促でした。具合が悪くても食べないのは長くて2日、こんなに長かったのははじめてです。コロの「にゃおおん」と同時に、ほっとしました。そんな具合を先生にお話ししました。すると、先生はかなり驚いた顔をして、「普通ではかなり危険な状態です。水が唯一のミネラル源ですが、食事をしないと、体が持たないです。しかしコロちゃんは考えられない。今与えている薬は、心臓を動かす薬、血糖値を上げて食べ物と水を強制的に欲しがるようにする薬、ビタミンとミネラルですが、この薬を飲んでいても、食事を欲しがらなくなると、薬での対応はできないんです。いやぁ考えられないです。」

 転落事故後、何度も言われつづけている「余命3ヶ月」、もう何度も聞いている言葉です。先生のおっしゃるとうり、先生の誤診だとしても、それはとてもうれしい誤診。先生にも私にも信じられない日々は、これからもこれからもずっと・・・・・ずっと続いていてほしいものです。



<平成12年7月30日>
 このまま、永遠に訪れないでほしい時。
 このまま、ずっと永遠に訪れないでほしい時。
 ずっと、ずっと永遠に訪れないでほしい時。

 絶対に考えたくないこれから先に起こる事を、考えている自分に気づく時がある。猫の雑誌などをパラパラとめくり、ふと動物霊園や位牌などの広告に目がとまる瞬間だ。どのようなかたちでどのように最後の瞬間を迎える事になるのかは、その時が訪れないかぎり知る事はないのだが、考えている自分がそこにはいる。

 胸を二度と自分の意志で動かさなくなったコロ。
 自分の手を足を二度と自分の意志で動かさなくなったコロ。
 耳やしっぽまでも二度と自分の意志で動かさなくなったコロ。
 お腹が減ったよと二度と鳴かなくなったコロ。
 そして私の呼びかけに二度と大きなまんまるの目を見開いて反応しなくなったコロ。

 私はその時、どこにいるのだろう。自宅なのか病院なのか、コロと離れた所なのか。そばにいたとして、何ができるのであろう。病院へ連れて行く?最後は自宅の方がいいのではないか?少しでも可能性があれば病院へ行くべき?などと、様々な考えが、私の頭の中を行き交っている。
 その時が来なければ、何もかもわからない。その瞬間、私は何をしているのだろう。その瞬間、私はどうなってしまうのだろう。

にゃ? 母と話す事がある、これから先に起こる事について。選択肢はいくつかあり、火葬後に遺骨を動物霊園に納骨する方法。この場合には個別の納骨と合同での納骨がある。さびしいから合同の方がいいとの意見と、他の猫ちゃんに会うと威嚇するから個別の方がいいとの意見に分かれる。遺骨を自宅に置く方法もある。コロの前にいたハムスターのポーは自宅の下にある、大きないちょうの木の根元で眠っているが、最近は破傷風菌の発生から、住宅街での埋葬は保健所が禁止しているとの話しを耳にする。清掃局に焼却をお願いする方法もあるのだが、コロに対して、その選択は失礼だと思っている。遺骨は戻ってこないのだから。
 箱を用意しタオルを敷いて、大好きなごはんとおもちゃとお花をたくさんいれて箱を閉じる時。私は何を考え、何を想うのか、様々な想いが交錯する。自分の運転で、コロを運ぶ事が出来るのか、引き取りに来ていただいても、出来れば私の目の前で火葬してほしい。やはり、いろいろな想いが交錯してしまう。
 コロの最後は多分、大きな病気さえしなければ、2文字で表わされる「老衰」という結果になるのであろう。一桁代の猫の平均寿命から考えれば、コロの寿命は長い。あれだけ弱かった事を考えると信じられない寿命だ。しかし、どれだけ長くても、例えばギネスブックの記録、36歳を更新したとしても、その最後は決して「大往生」の一言で私は片づけられない気がする。最後のコロの目が「もっといっしょに」と訴えているような気がしそうである。

 「縁起でもない、ねっコロ!そんな話ししないでよって言いたいよねぇ。」話しをしていて、コロが起きると、つい口にしてしまう言葉だ。昔から自分の話しをされる度に、耳をこちらに傾けるので、この話しはコロも耳にしている事であろう。しかし残念ながら、コロの意見を聞ける耳を私は持っていない。コロの意見を聞く耳を・・・。

かお? 転落事故後、「死」を考える事はたびたびある。もちろんそれは、コロの具合が悪い時なのだが、自分の知らない深い深い意識の底の方で、ショックを和らげる為の手段としての考え、なのかもしれない。目の前に広がる「ペットロス」と言う現象に対しての。実はこの2年間で、私の周りの環境は大きく変わっている。以前は、誰にも知られずにひっそりとその最後の時を向かえ、何日か後に、落ち込んだ私を見た友人が「どうしたの」と声を掛けてくれる・・・などと考える世界だった。しかし、今は違う。私には数える事が出来ないくらいたくさんの方々に、コロの毎日の様子を気にしていただいている。
 果たして私は、その時パソコンに文字を打ち込む力を持っているのであろうか。可能な限り、みなさんに伝えられればとも思うのだが、私はその時、何よりもコロのそばにいる事を優先するであろう。
 コロから見える場所で、目と目を合わせ、コロの手を握りながら、優しく話しかけ、頭をなで、背中をなで、ひとりで旅立つコロにさびしい思いをさせないように。

 やはり縁起でもない。この話しはここで終わりにしよう。いや、二度と考える事はやめにしよう。
 だって、夕べコロは、わたしの夢の中で元気に走りまわっていたのだから。



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