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コロ記

夏・夏・夏

<平成12年8月31日>
親指枕 眠っているコロを照らしていた日差しが、だんだんとコロから離れて窓へと近づいていく。地球がまわるたびに日差しは窓に近づく。まるで太陽が、暑さからコロを守ってくれるように、自分の光をコロから離してくれているようだ。今年も夏がやってきた。

 夏の到来をこんなにも意識することは、はじめてかもしれない。今年の夏の到来ほど、憂鬱なものはなかった。猛暑と言われる今年の夏が深まるにつれ、コロの命が続く可能性を、減らしてしまいそうだったから。
 季節の変わり目や猛暑には体調を崩す事は多い。どんなに元気な私でも、暑さでバテる事があるのだから、その暑さは弱っているコロにとって、命を脅かす存在となる。
 春から夏へと季節が変わるなか、コロは結膜炎を発病した。結膜炎自体は目薬での治療で治るのだが、その闘病中に、コロの具合が著しく悪くなったことがある。5月下旬の急激な温度変化に、コロの体がついていけなかった。朝には元気なコロだったのだが、昼を過ぎると突然苦しみだす。何度も繰り返される嘔吐、排泄も所構わずに垂れ流してしまう。犬のように口を開け、はぁはぁはぁと舌を出して苦しむ。コロの手を握り、落ち着く時を待つ。しばらくすると、コロはいつものコロへと戻り、夜には食事も食べるようになった。この様な症状は時折あるので、その日はそのまま様子を見ることとした。ただ、少し気になることがある。それまでの症状に比べると、この症状は少し悪い。明日、コロを病院へと連れて行く事とした。
 翌日、病院の先生は一目見るなり、脱水症状でかなり弱っているとの診断をする。その様子と、コロの年齢から考えても、夜に食欲が戻るのは考えられないほどの症状だそうだ。強心剤の注射を2本お尻に打ち、今後の暑さへの対策のお話しをして、初夏には扇風機を使う事を決めた。病院の帰りには、近所の野良猫ちゃんに威嚇をするほどの元気さが戻ったが、さっそく扇風機を出し、一番弱い風量で首を振りながらコロへと風を向けた。

 コロが転落事故を起こしたその年の夏、コロは普通の猫だった。普通の猫という言い方には、若干の戸惑いもあるのだが、普通の猫のようだった。歩いたり、走ったり、飛び跳ねたり、丸まったり。コロがうちへとやってきて毎年迎える夏と、同じ夏がその年も訪れてきていた。
 私の部屋の窓際にあるスピーカーの下。昨年ピッピーを見つけたこの場所は、コロのお気に入りの場所だった。猫は家の中の涼しい所を知っていると言うが、夏にコロがお気に入りとしている場所は、ここと玄関とお風呂である。どこも比較的涼しい風が通り抜ける場所、寝ているコロの横に添い寝をすると、当のコロは迷惑そうにどこかへと行ってしまうのだが、コロの気に入る理由が良くわかる。
 この年の夏、私はボーナスが支給されたその日に、東京神田にあるメロン専門店へと足を伸ばした。それはもちろん、メロンが大好きなコロへのプレゼントを買う為だった。もしかすると最後のプレゼントになるかもしれない、そう思えた私は、箱に入った1個1万円のメロンを購入し、急いで家へと持ち帰る。食べる日付と、冷蔵庫での冷やし方まで決められているメロン。思わず記念写真などを撮り、その日を待つ。
 贅沢コロの舌は、このメロンを何の問題もなく受け入れる。食べる指定日に、コロの体調が良いかどうかの不安はあったが、記念撮影をしたその時、コロも「食べるぞ」と心に誓ったのだと思う。いつも以上にメロンを食べ、コロは満足した顔で眠りにつく。
 この年の夏の記憶、私はこの位しか覚えていない。それだけに、今までの夏とあまり変わらない夏だったのであろう。

 その次の年、その夏の到来も、意識する事はなかった。確かにコロの症状は日に日に悪くなり、「死」の文字が徐々に近づく事を意識はしている、それでも普通の夏の到来だった。
 春には吐く事も増え、コロの枕元にはちり紙が敷かれるようになり、初夏にはおもらししてしまう事があり、時にはおむつをする時もあったが、家の中をあっちへ行ったりこっちへ来たり、自由に歩いていた。ただそれも夏になる頃には、そこからは「自由に」の文字が消えてしまう。それでも全身の力を振り絞り、自分の行きたい所へと足を運んでいるコロだった。ヨタヨタと転げる事もありながら、一番涼しい所へと。
 この年の夏は比較的涼しかった事も影響しているのであろう。元来、猫は冷房が嫌いである。元気な時のコロも、冷房を入れるとすぐに、冷房の効かない所へと行ってしまう。その夏の日付けの写真には、玄関に体を落として眠るコロが写っているので、その年の夏も、暑さを意識する事なく過ごしていた。

温湿度計 西暦2000年、今年の夏が目の前にやってきた。初夏の段階で、脱水症状に陥ってしまうコロを見て、連日テレビで言われている「今年の夏は猛暑です」の放送を見る度に、恐怖心が襲ってくる。
 6月、梅雨の間は暑い日中を眠って過ごすものの、涼しい日と夜は元気になる。窓を開け放ち、自然の風を入れながら、扇風機をコロへ向けて過ごしていた。しかし6月のカレンダーを破った頃からは、風だけでは涼しくはならない。エアコンを掃除し、さっそく除湿運転を試す。エアコンの冷気がコロのそばに落ちるようにし、扇風機を首振りにして冷気を拡散させる。窓も開けているので、コロの周囲は自然の涼しい風が通りぬける感覚だ。
 それでも夏の暑さにはかなわない日が続いた。食欲も無く犬のように口を開け、はぁはぁはぁと繰り返す。コロの体は今年の暑さについていけないのだ。結局7月の中旬にエアコンの設定を、除湿から冷房へ切り替える事にした。窓を閉め切り、温度を27度前後に設定する。コロにはタオルを1枚かけ、温度管理用の小さな温湿度計を枕元へ置く。するとコロにはちょうど良い温かさなのだろう。そのままぐっすりと眠ってくれる。獣医さんのお話しでは、暑さで年老いた動物達の具合が悪く、来院が絶えないとの事だ。できるだけ先生のお世話にならないように心がけた。それでも、具合が悪くなる事もあり、呼吸の異常、排泄の異常が続く時もあった。
 どんなに人間の力がすごくても、文明が進んでいると言われていても、自然に吹く涼しい風を再現する事は出来ないのである。クーラー、扇風機などの機械を使っても、それは自然の力には敵わない。苦しんでいるコロを見る度に、私が感じた事だった。そんな時に考える事、冷房病の心配だ。27度の設定で、数時間に1度の換気をしてはいるが、コロが冷房病にかかる事はないのか。ぐったりしているのは、体調が悪いのか、冷房病なのか。ただ、この暑さで冷房を止める訳にもいかず、冷房が入っている方がコロの体調が良いので、考えない事とする。実際、動物園の年老いたオランウータンや高地にいるジャイアントパンダたちの部屋には、ずっと冷房がかかっているのだから。そんな考えの中、ぐっすりと眠るコロを見ては、もしかすると自分なりに体調を調節しているのでは、とも思える。日中はぐっすりと眠っているのに、夜は元気になる。やはり、自分で体調の調節をしているのであろう。

のびぃ 夏の問題は、暑さばかりではなかった。それは猫にとっての敵「蚤」の発生する時期でもある。完全室内飼いと言えども、安心は出来ない。野良ちゃんに寄生している蚤が、人間の足に飛び移り、コロに移る可能性がある。できるだけ野良ちゃんに近づかないようにはしているのだが、こればかりは目に見えない。
 実は、ひとつの問題があった。数ヶ月前から、近所の野良ちゃんがうちへとやってくる。母になついたらしく、毎日ごはんを食べに4階まであがって来るのだ。微笑ましい光景なのだが、玄関の閉め方を間違えると、家に入る事もあり、コロへの蚤の寄生に関しては、喜ばしい事ではない。家には上がれないように、充分注意し、対策を考えた。
 もしもの事を考え、獣医さんに相談すると、答えは思わしくなかった。最近は猫の首に滴下するタイプの蚤取り薬があるのだが、説明書には安全と書かれていても、現在のコロには決して安全では無いとのお話しだ。お風呂に入れる事も、コロへの負担は大きく、蚤取りブラシも、背骨がはっきりと目立つゴツゴツのコロの背中には、役に立たない。結論は、充分注意する事だけだった。
 家中に散布するタイプの殺虫剤の使用も、コロへの負担となる。どうしたらいいのだろう。予防策を考え、インターネットで調べているうちに、「ラベンダー」が蚤除けとして効果がある事を発見する。自然の物なので、コロへの負担は最小限に抑えられるであろう。さっそく、ラベンダー抽出液、精製水、スプレー容器を購入し、部屋、玄関、車の中へと散布した。

 週に1回程度、コロのブラッシングをするのだが、今の所、蚤を発見する事はない。自然のラベンダーが効いているのであろう。まだまだ残暑の厳しい日が毎日続いてはいるが、クーラーの効いた部屋の中で、コロはぐっすりと眠っている。今年の夏も、もうすぐ終わりそうだ。
 それぞれの夏を振り返ってみると、確か一昨年の夏には、なにも想い出がなかったような気がする。昨年の夏はだんだんと歩けなくなっていくコロが、一生懸命に歩こうとしている姿が想い出に残っている。今年の夏、先日の朝、コロにおはようの挨拶をした時、久しぶりに「にゃ」と答えてくれたことが、今の想い出だ。
 年を追う毎に、その想い出は、だんだんと小さな事になっていくのは気がかりだが、また来年も、そのまた来年も、どんなちいさな想い出でもいい。
 まいとし、「ちいさな想い出」を、よろこぶことができたら、いいな。と思う。



その時

<平成12年9月1日>

今から20年前の春
たかいたかいお空の
おおきなおおきな雲の上に
1匹の子猫がうまれました
元気で走りまわる子猫たちと比べて
少しだけ走りまわる力の弱い子猫
雲の上にいる
猫の神様たちは考えました
この子はどこへ行ったらしあわせになるのだろう

あれから20年
いつかコロが
たかいたかいお空の
おおきなおおきな雲の上の
猫の神様たちの元へとかえった時
「いっぱいいっぱいしあわせだったよ」と
言ってくれるだろうか
言ってくれるだろうか

 「今日のコロ」 毎日の更新が遅れると、電話線の向こうにいるたくさんの、数え切れないくらいたくさんの方々が、コロのことを心配してくれている。いろいろな事情で、更新が遅れると、申し訳ない気持ちにもなる。そんな時ふと考えた。もしもその時が訪れたら、ほんの一行、その時刻と結果だけでも書き込もうと。
 今やたくさんの方々が、私以上にコロの事を心配していただいている。もしもその時には、コロのたくさんの飼い主さんたちに、その事をご報告しなければ、コロも私も落ち着かないであろう。

 コロ記を考える時、ふと頭の中に浮かぶ言葉がある。その言葉は、どこかに書き留める訳でもなく、何度か頭の中で復唱して、もしもその文章を書く時に思い出す事ができたら、浮かんだとうりに書こうと、よく思う。
 冒頭に書いた文章も実はそのひとつだった。ただ、その時に浮かんだ文章の、後半の部分は少し違っていた。

今から20年前の春
たかいたかいお空の
おおきなおおきな雲の上に
1匹の子猫がうまれました
元気で走りまわる子猫たちと比べて
少しだけ走りまわる力の弱い子猫
雲の上にいる
猫の神様たちは考えました
この子はどこへ行ったらしあわせになるのだろう

あれから○○年が過ぎ
いまごろコロは
たかいたかいお空の
おおきなおおきな雲の上の
猫の神様たちの元へとついたであろう
いまごろコロは
「いっぱいいっぱいしあわせだったよ」と
言ってくれているだろうか
言ってくれているだろうか

 「今日のコロ」やお世話になっている掲示板への書き込みが済んだ後、私が「コロ記」の最後のページを書き終えるまでには、相当の時間がかかる事と思う。ふと頭の中に浮かぶ言葉のほとんどが、最後のページに使う言葉なのだ。もちろんこの言葉もそうである。何も書けなくなった自分に、今の自分が手助けをしているのかも知れないが、時折、こんな言葉が頭の中に浮かんでくる。でも、もしもどこかに書き留めてしまうと、その時を待っているような感覚にも似ているので、書き留める事はしない事にした。
 
 たかいたかいお空の、おおきなおおきな雲の上の、猫の神様たちの元へとついたコロが、神様に質問される前に、満面の笑みを浮かべて、「いっぱいいっぱいしあわせだったよ」と言ってくれるように、これからもコロとの毎日を大切にしていきたいと思う。

 そして、地球上のたくさんの動物達、みなさんの家にいる猫ちゃんをはじめとした動物達もみんな、たかいたかいお空の、おおきなおおきな雲の上の、神様たちが行き先を決めたのだと思います。みんなが「いっぱいいっぱいしあわせだったよ」と言ってくれるように、毎日を大切にしてあげてください。これからもずっと。

にゃ



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