このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください



コロ記

<平成12年9月4日>
 先週金曜日頃に気がついた目の異常。いつもより目を開かず、涙が出続ける。以前、結膜炎を発病した時の様子とは少し違うようだった。ただ、金曜日までの様子はそれほどでもなく、病院へ行こうと決めるまでには、その後2日の時間を必要としていた。日曜日が月曜日に変わろうとしている深夜、左目から涙が出続けるコロを見て、目の周囲が腫れていることを確認する。結膜炎の再発か、とも思ったが、治療に使った目薬は既に無く、通常与えている薬を飲ませ、そのまま手を握り、眠るのを待った。「明日病院行こうね、おめめ痛いのかなぁ、泣いちゃったのだけ拭くからね」
そう言いながら、コロの目をコットンで拭いた。

 日が変わった月曜日、昨日今日と飲んだ薬を全て吐いてはいるが、食欲はある。昼間の様子では夕べのコロの異常は考えられなかった。腫れも小さく見え、涙も出ない。これは病院へは行かずに済むか?そう思える。夕方になり、コロの顔を見て、最終確認をする。様子が良ければ、このまま寝かせておこうと・・・。
 顔の表情は一変していた。左目の周囲を殴られたような、鼻から左のほっぺたにかけて膨れている。鼻なのか、ほっぺたなのか段差がないのでわからないようだ。

 いそいで病院へ電話をし、病院へ。自宅を出て駐車場へ行き、車に乗せて5分もかからない病院へ向かう途中、私の頭の中には、到底5分では考えがまとまらない量の様々な思いがよぎった。
 例えば、もし手術が必要な病気だったらどうしよう、そんな大変な病気だったら・・・。今のコロの体力で、麻酔を行うと、その段階で既に「死」の文字がちらほらする。つまり手術は出来ないということだ。薬で完治できる病気なら良いが、最悪の場合、苦しむコロをどこまで見ていられるのだろう。最後の選択となる「安楽死」。苦しまずに亡くなることができても、コロのこの生命力を、私の考えで絶っていいのか。ただ、選ばなかったとしたら、コロは苦しみ続ける。意志の弱い私に、決断を迫る瞬間が近づいてくる。
 いつも以上に安全運転をしながら、病院へと到着した。コロを抱きかかえ、診察台の上へと寝かせる。ライトの光に浮かび上がったコロの顔、そのほっぺたの腫れははっきりと見えていた。

 「左目の周辺が腫れているようなのですが」と私。先生は続けて、
 「あれ、すごいですねえ、腫れていますよ、目の周辺だけではないです。顔全体が腫れています」
私と先生との会話、その後先生が発する一言一言に、恐々と全神経を集中させながら、話しに聞き入る。もしもの発言に身構えるように、戦いの時に身をかばう、盾を心の前にかざすように。
 「これはどうしようもないですねえ。心臓の働きが弱っていて、血液の中の水分が足らないんです。心臓の力も弱いから、血液の循環が上手にできず、どうしても水が溜まってしまう。むくんでしまっているんですね。」
 「若くて元気な子が同じ症状だったら、利尿剤を与えた後、コロちゃんにいま与えている薬か、もう少し強い薬を、朝昼晩と3回与えて、2〜3日で治してしまえるのですが、今のコロちゃんにその治療方法では、心臓がついていけなくなるんです。今コロちゃんが飲んでいる薬は、薬としては弱いんですね、でも今までの様子から考えても、この薬が一番合っている。強い薬に変えてしまうと、今度はコロちゃんに薬が勝ってしまうので。」
 「では、今1日に1回与えているこの薬を、朝と夜の1日2回与えて下さい。ただ、吐いてしまった場合は、その時には体が受付けませんから、夜だけでいいです。その子にもよりますが、体のどこかに水が溜まってしまうんですね。コロちゃんは、それが顔だったのです。今こうして眠っている間にも、下になった方には、水が溜まっていくんですね。」
 先生の発言は私の恐れていた事ではなかった。コロに当てられたライトの光とは別に、私の心に、ひとすじの小さな光がさしていた。薬の件での細かな質問や、今後の対策などを質問する。
 「体はもう痩せちゃっていますので、顔に水が溜まるんですね。枕か何かで、少し顔を上げてあげた方がいいですね。」
 痛みとかはあるのですか、との私の質問には、
 「私達がもし、むくんでいても、人から指摘されたり、鏡を見て気がついたりするように、痛みを感じる事はないと思います。ただ、ペロペロと繰り返しますから、気持ち悪い感じはあると思いますが。」
 今までと同じ薬の追加分をいただき、行きよりも更に慎重な運転で自宅へと帰った。

 コロの顔が元に戻るかどうかはわからない。薬の与え方と、寝かせ方を工夫するつもりだが、一気に効いてしまうような処置方法がとれないので、徐々に様子を見ていくこととする。
 今まで同様、コロの座布団の上にバスタオルを三つ折りにして敷く。その上にペットシーツを2枚。1枚は下半身の排泄物用、もう1枚は顔の所の嘔吐用。今までのほとんどは、その上にコロを寝かせていた。その時々の状態や気候で、枕を用いたり、タオルを掛けたりはしていたが、病院から帰りさっそく今後の事を考えた。
 常時枕を利用すると、枕が汚れてしまう。むくみを抑える為には枕の高さは若干足らない。そこで、タオルを四つ折りにして座布団の上に置き、その上に枕を置く。更にその上からペットシーツを掛けることで、コロの枕問題は解決した。
 病院から帰り、疲れたコロ。夕飯をたくさん食べた後、ぐっすりと5時間眠りつづけた。高めの枕が気に入ったのだろう。

 以上が本日、9月4日の診断結果です。「今日のコロ」「コロトピック」「コロ記ちょっとした話し」への記入も考えましたが、詳しい症状を知っていただくには、「コロ記」のほうが良いと考え、急遽ここに掲載いたしました。校正をしておりませんのでご了承ください。今後のコロの症状により、この「顔」は書き直す予定ですが、これからの毎日に、若干の変化があった場合には、「今日のコロ」にて報告させていただきます。
 尚、コロの具合は、それほど心配するものではございません。あまりご心配なさらないように、お願いいたします。又、写真の掲載はコロの了解がとれたらにしたいと思っています。(「その時」に使用している写真は、8月31日撮影の物です。今見るとなんとなく、鼻の周辺と左目が腫れているような感じです)
 私は、ここへの掲載が「宣告」というタイトルにならなくて良かったと、ほっとしている次第です。



空 −くう−

<平成12年9月5日>
 信州長野の善光寺さん。その歴史は古く、建立は644年だそうだ。実際には聖徳太子さんが送った手紙が現存しているので、それ以前の開創であろう。現在では天台宗が別格大寺(善光寺大勧進)、浄土宗が七大本山のひとつ(善光寺大本願)、との形をとってはいるが、日本に宗派が伝わる以前からあるので、宗派を問わないお寺として知られている。
 本堂向かって左側にある「経蔵」、内部には一切経を収めた輪蔵があり、この輪蔵を回すことにより、お経をすべて読んだ事となる。また、堂内には般若心経の一文字と願い事を記入して納経する「一字一願写経」もある。私は7年に1度行われる「御開帳」の時に、大好きな「無」の文字を書き、納経した。

 先日、東京上野にあるデパート「松坂屋」で「善光寺展」が開かれた。デパート内に本堂も作られ、ここに立寄れば、信州の善光寺さんにお参りした事となるらしい。松坂屋へと出掛けた私はそこに、善光寺経蔵と同じ「一字一願写経」を発見する。いろいろと考えた私、般若心経の中の「無」の次に好きな字「空」を書き、願い欄には「病気平癒」と書かせていただいた。続いて住所と名前を記入する。住所と苗字を書き終えた私は少し考える。この「病気平癒」の願いはコロの事だった。少しでも元気になってほしいコロ、その願いを書いたつもりだ。以前に私は納経させていただいているので、ここには私の名前ではなく・・・悩んだあげく、苗字の後には「湖露」と記入した。実際には動物の名前を書くことを禁止されているかもしれない。常識に反しているかもしれない。でも、問題があったら、私が全責任をとればいいじゃないか。そう考えた結論だった。

 「湖露」と書き終えた用紙を、すでに収めてある用紙の上に、重ねて置いた。そこから離れ、ふと後ろを振り返る。すると、私の収めた写経を、眼鏡の縁を持ちながら、じっと見つめる御婦人がいた。
 へたくそな毛筆で書かれた写経用紙。その名前の「湖露」の文字を見て、少し悩んでいたのかもしれない



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