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コロ記

最近の食事

<平成12年10月1日>
  コロが食べている食事。その内容を見ていると、若干の戸惑いを感じる事があるのではなかろうか。最近の猫に与える食事としては「キャットフード」がその中心となるのだが、コロが食べる物の中には、どう考えても健康に問題がありそうな「生クリーム」だとか「プリン」などがある。

 実はこれには深い訳がある。訳と言っても、きちんと猫の健康管理をされている方には「いい訳」に聞こえるかもしれない。いや、偶然にもコロには内臓疾患がなかった為に、このような食事が出来るのであって、本来猫が食べて良い食事ではないので、あくまでもコロの場合として読んでいただきたい。

 コロ記「奇跡」でも書かせていただいているが、転落事故直後、コロに用意した食べ物の多くは猫に与えるのは良くないものだった。ただ、もしも自分が弱っている時に喉を通る食事、そう考えるとどうしても生クリームやアイス、ヨーグルトとなってしまう。これを単純にコロにも当てはめていた。実際コロも喜んで食べ、そのたったひと口に喜んだりもした。これは個人の考え方の違いにもよるが、その、今にも死んでしまいそうなコロを目の前にして、「食べてくれれば大丈夫です」と言う言葉を聞いていながら、これは猫は食べてはいけないもの。という線引きを私の脳には引く事が出来なかった。

 どんなに体に良いものでも、それを食べてくれなかったら、その先に見えているものは「死」。
 どんなに体に悪いものでも、それを食べてくれたのならば、その先に見えているものは「生」。

 私は後者を選んでいた。実際コロは前者の食べ物はあまり好まない。もちろんそれは、飼い主の怠慢であったり、人の食べ物を平気で与えてしまう愚かな私が原因なのだが、ペット用のチーズは全く食べないコロだが、人用のチーズは喜んで食べるという結果がすでに出てしまっている。現にこうしてコロは永い時間を私達と共に過ごしているのだから、内臓の丈夫さと偶然の元気さとに感謝しなくてはならないであろう。ちなみに何を食べさせても良いという判断は、コロ専属の獣医さんも認めている。ただ、獣医さんを決して非難して欲しくはない。もしも獣医さんが反対していても、私は後者を選んでいるのだから。

 さて、現在のキャットフード事情を、コロの立場から考えて見てみる事としよう。つまりコロのわがままを、ここに書いてしまおうと言う事なのだが・・・。
 最近のキャットフードは、20年前とは比べる事が出来ないくらいに進化している。種類の豊富さもさる事ながら、その健康面をうたっている商品が多い。海外の製品でさえもディスカウントストアにて安売りしている光景を見ると、その進化のすごさを伺える。ただ、その内容を明確に示す海外製品に比べると、日本は少し遅れているようだが・・・。

 そのフードは大きく分けると二つに分類される事となるのであろう。「総合栄養食」と「一般食」だ。じつはこれに気がついたのはつい最近で、それ以来少しだけ気にするようになった。「総合栄養食」と言うのは、それを食べてしまえば、猫に必要な栄養素を摂る事が出来る物。「一般食」と言うのは、猫の恰好性を上げる為に、味付けなどを良くしてはいるが、それだけでは栄養を摂る事が出来ない物。(だと思う・・・)どちらかと言うと、ドライは「総合栄養食」猫缶は「一般食」である事が多い。コロの食事のほとんどが猫缶である為、購入の時や与える際についつい確認してしまう。
 ただ、どちらかと言えばコロは「一般食」の方がお気に入りである。困った事だ!と言うと、前に書いている事と矛盾してしまうが、やはりきちんとした食事の時には、できるだけの栄養を摂って欲しいと考える、勝手な飼い主である。しかし、その猫缶の半分弱しか食べないコロには、どちらの場合でも、食事からの栄養補給では間に合う事ができないのであろう。

 最近は年齢ごとに対応する食事も目立つようになってきた。しかしコロは、その「老猫用」の食事はあまり好きではないらしい。同じシリーズの「成猫用」の食事を喜んで食べたりするのである。よって試供品などは、どちらもいただくようにしている。しかし、「老猫用」の食事内容に若干の違和感を感じる事もある。老猫の定義は7歳を過ぎた頃である為に、仕方のない話しではあるのだが、ドライであったり、フレーク状の猫缶であったり、どれもひとつの大きさが大きいのだ。
 もちろん老猫と言っても元気な子がほとんどであろう。ただ、コロの場合には、事故により歯のかみ合わせが悪くなり、最近では歯石もたまりだした様子で、(歯石の除去には全身麻酔が必要であるが、現在のコロに全身麻酔をかけてしまうと、目を開けない可能性がある為に、歯石の除去は出来そうにない)上手く咀嚼が出来ない為、コロにはその老猫用のフードが大きすぎるのである。与える前に細かく裂いてあげるのだが、それでも具を食べずにスープだけをなめている事もある。やはり食べやすさの面から考えても、ペースト状のフードには敵わない。そこで望む事はペースト状のフードを増やして欲しい事である。食べ応えのない柔らかいフードは採算性の面からも、好ましくない製品であろう。ただ、コロの次の世代にでも、歳をとってからの食べる楽しみを、少しでも味わって欲しい事を願って。



秋空のもと

<平成12年10月9日>
 夏の太陽の下、大きな声を出して鳴いていたセミたちの声にかわり、夜の草むらからは秋の虫たちの声が聞こえてくる。今年の夏をむかえる前から、結膜炎などの病気にかかっていたコロ。暑さを乗り越えさえすれば、元気になれると信じていた。しかし現実は、そう甘い物ではなかった。

 実は皆様に、謝らなければいけないことがある。「今日のコロ」を書いている時につくづく思うのだが、あのほんの数行の文章では、その日のコロの様子をストレートに伝えられている訳ではないのだ。
 「今日のコロ」に書いているコロの様子。現実のコロの生活には、汚い部分、見ていると辛くなる部分などがある。その点についてはあまり記入していない。そして「今日のコロ」での表現は、その数日前と比べたコロの調子だけを書いている為、長期的に見たコロの様子は表現できない。同じ「元気」の言葉にも、かなり調子の良い時の「元気」もあれば、最悪の状態から復帰した事による「元気」もある。

 私がインターネットを通じて、コロの事を伝えだしたのは、今から約1年前。当時は掲示板にコロの様子を記入するだけだったが、体調が悪い時の記入の後、回復した事を伝え忘れてしまうと、多くの方々に心配が残ってしまう事がしばしあった。ホームページを開設したとはいえ、やはりそれは変わる事がなかった。そんな時、ふと思ったのが「今日のコロ」だった。三日坊主の私には続けられるのかとの不安、たぶん数ヶ月で終了してしまうかもしれないとの不安など、先が見えない出発だった。それは今でも変わらないのだが、私の頭の中にはいつも「死」がある。転落事故後、どんな時でも頭に浮かぶ事。「死」。

 さて、話しを元へと戻そう。今年の夏、だんだんと顔の様子がおかしくなるコロに気がついたのは、9月になった頃だった。コロと一緒に獣医さんへと行き診察の後、先生から出た言葉は「心臓の働きの事」だった。と、ここまではホームページでの公表をしている。実はこの時、もうひとつの可能性を伝えられていた。それは「歯槽膿漏などによる口腔内の疾患」だった。転落事故後のコロの食事は、食べやすい猫缶だけとなっていた。やわらかい食事だけの副作用として、歯石の増加は避けられない問題かもしれない。それが現実となっていく。もちろん、食べさせてはいけないアイスなど、甘い物の影響もあるであろう。
 その後、その「口腔内の疾患」はよだれに混ざる口からの出血により、可能性が大きくなってはいたのだが、私は公表をしなかった。それはたぶん、コロの事を「かわいい」と思っていただきたい、飼い主の怠慢なのかもしれない。汚い部分、汚れている部分だけを表現してしまう事による、コロへのイメージを増やしたくはなかった。それは例えば、コロの写真にも通じる事がある。実際、コロが眠っているほとんどの時間は、半分目を開けているのだ。ビデオに残っている大部分のコロはそうである。ホームページに載せる事を目的として撮る時にだけ、優しく顔をなぜながら、目を閉じさせている。これも現実には嘘の表現であろう。

 そんなコロの様子が悪くなりだしたのは、秋になってからだった。掲示板でお世話になっている方々が来てくれた5月には、コロはとても元気だった。その後だんだんと悪くなり、次に皆さんが来てくれた時のコロは、ほとんどを眠って過ごし、体格的にもひとまわり小さくなっていた。
 この夏、暑さによる体調不良なのか、コロが食べる量は極端に少なくなっていた。それでも食べる意志だけは強かったので、今後涼しくなれば元に戻るであろうという、希望的観測だけで過ごしていた。しかしコロの様子が良くなる事はなかった。日に日に痩せていくコロ。腰の背骨が目立ちだしたのは顔が腫れだした当時だった。それが今では、肩から背骨が目立つようになっている。つまり、皮と骨だけのコロになっているのだ。
 口を開けて呼吸する事も増えてきた。この時、以前先生に言われていた「口腔内の疾患」が頭をよぎっていた。そんな時、いつもお世話になっている先生は研修の為、海外に出掛けていた。どうしよう・・・インターネットで掲示板を見ているうちに、コロフレンドの猫ちゃんのホームページに、ある病院へのリンクを発見する。偶然にも、その猫ちゃんがかかっていた病院の処置が正しい物ではなかった。その点について指摘していただけた病院だった。

 早速、私はメールを送っていた。コロが少しでも楽になる方法を探して・・・。お忙しい中、翌日には先生からの回答が届いていた。添付した写真などの判断によると、先生のご意見は「歯痛」だった。治療方法はただひとつ「外科的療法」、つまり手術だ。
 日本の獣医さんのほとんどは、猫の「歯痛」には気がつかないらしい。もちろん、コロがいつもお世話になっている獣医さんでも、「口腔内の疾患」とは言ったものの、「歯痛」とは断言していない。
 想像していたよりも重い結果だった。鎮痛剤などの処方で乗り越えられると思っていた私が甘かった。しかし・・・
 今の私には、どの方法が一番なのかをまとめられる力がないらしい。コロがいつもお世話になっている獣医さんは、近所での評判は一番だ。評判などは、実際どの程度の効力なのかはわからないが、これは、どの先生にも当てはまる事であろう。一番始めには「安楽死」を勧めたものの、その後のコロを20年間見続けている。実際今日まで、それほどの問題もなく過ごしてきた。転落事故の後も、コロに一番合う薬を、コロの調子、嫌がり方などの面から、少しずつ調合を変えて、一番合った薬にまとめてくれている。また、とある猫団体の理事長としても有名で、その著書を書店で見る事もあり、時折テレビにも出演されている。獣医さんを目指す学生達がいる大学での講義もされている。もちろん肩書きだって、明確な判断基準とはならないのだが・・・。
 私が今回、相談させていただいた獣医さんは、アメリカのキャットホスピタルで猫の臨床を勉強されている。掲示板にてお世話になっている、アメリカ暮らしの方のお話しを聞いただけでも、日本との違いは大きすぎる。そのお話しの内容からも、処置に関しては全く問題が無いであろう。

 一番良い方法は、どちらの先生にお願いしたとしても、手術により、コロから「歯痛」を取り除く方法が良い事である事には気がついている。しかし・・・

コロの現在の体格、体調は手術に耐えられるものなのか。

無事に手術が成功し、あとはコロが目覚めるだけとなった時に、コロが目覚める事が出来なければ、それは体の良い「安楽死」としか、とる事が出来なくなるであろう。

家以外の環境が大嫌いで、少しでも顔が見えないと心配するコロにとって、15年以上経験していない入院生活はストレスの面からどうなのか。

獣医さんへと行く、片道5分の道程で、どっと疲れてしまうコロに、道路状況の悪い都心までのおよそ1時間のドライブは、持ちこたえる事ができるのか。

もしも、体調から手術が出来なかった場合、そのドライブでの疲労はマイナスにしかならないような気がする。

 痛みを取ってあげる事が一番だという事は、誰にいわれなくてもわかっているつもりである。しかし手術による得るものの大きさに比例して、そのリスクが大きい事もわかってしまう。しかし、このままコロを放置しておけば、歯痛により更に食は細くなり、体が衰弱してしまうのは、時間の問題であろう。何よりも、最後まで苦しんでしまう可能性も大きい。
 理想を言っても仕方がないのだが・・・出来る事なら、自宅で最後を看取ってあげたい。20年間を一緒に過ごしてきた、この自宅で。

 コロを抱きながら、顔を見合わせた時、じっと見つめてくれるコロは、私になんと言っているのであろう。

校正をしておりませんのでご了承ください。



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