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プレゼント
<平成12年10月22日>
コロの首輪は縁起が良い。いや正確に言えばコロの首輪は、縁起の良い物で作られていた。既に亡くなっている私の母方の祖父はその昔、鳶職の頭だった。戦中戦後の木造建築が盛んな時代には、数多くの家を建てていた事だろう。今でこそ珍しい光景になってしまったが、家を建てて骨組みが完成し、棟木をあげる時に行われる上棟式。頭である祖父は、自分の組が関わる式には必ず参加していたらしい。
棟木に神を奉り、骨組みだけの家の中で行われる宴会。その時に白赤黄緑黒の布を家の屋根から家全体にかける。この時の布を祖父がいただいて帰り、娘だった母が譲り受けたのだそうだ。
真っ赤な布から作られたコロの首輪。何故か昔から猫には赤い首輪に小さな鈴といったイメージがある。サザエさんのタマやドラえもんの印象なのだろうか。コロがやって来てすぐ、母がその布から首輪を作った。更に使われていないキーホルダーから小さな鈴を外し、その首輪に白い糸で下げた。
コロの立場からすれば、首輪を付けられ、挙げ句には耳元で必ず鈴の音がするのだから、もしかすると嫌な事かもしれない。しかし、人間の足元を歩くコロは、今どこにいるのかを知る重要な役割を果たす事となる。更に首輪には濡れても落ちない様に油性ペンで、コロの名前を苗字からフルネームで記入し電話番号も明記した。もちろんそれはコロが家を出てしまった時の事を考えてだった。保健所に保護をしていただいた時や事故などで悲しい結果となった時、コロが自宅に帰ってくれる事を願って。
そして、この首輪は毎年、コロが家族になった記念日の5月20日には必ず新しい物に取り替えられた。途中、散歩をするようになってからは既製品の丈夫な物を使ったが、首の毛が無くなってしまう事と、丈夫な分だけ重くなってしまうので、歳をとってからはまた、手作りの首輪を使う事となる。
コロと過ごしてきた19年間に渡したコロへのプレゼントは、この程度の物しかなかったような気がしている。それが今年になってから一変する。コロへのプレゼントが増える事となるのだ。しかし、相変わらず家族からのプレゼントは5月20日の首輪だけなのだが・・・。
平成12年の猫の日、真っ白な箱に赤いリボンが印刷された荷物が届く。以前、新聞の広告にあったデビフペットフードさんの「猫缶新製品プレゼント」に応募していた事を思い出す。猫の日にプレゼントを贈っていただける洒落た演出に、とてもうれしかった。
そして更にうれしい事は続いていく。動物用おむつの試供品を送っていただいたり、コロに逢いに来ていただく方々や友人達が、コロの喜びそうな物を選んでプレゼントしていただけるのだ。その都度、コロと一緒に喜んだ事を覚えている。
話しを少しだけ戻そう。街のあちこちからクリスマスソングの流れる1999年の暮れ。ちょうどノストラダムスの大予言や西暦2000年問題で、その後に起こるミレニアムムードなど、考えもしていない時期だった。
いつものようにコロを連れて、動物病院へと向かった。そしていつものように検診を受けている時、先生が突然話し出した。「コロちゃんは来年で20歳になるんですよね、病院では一番の御長寿さんですから表彰していただきましょう。」先生はそう言うと、それ以上詳しい事は話さなかった。表彰って何だろう?まさか先生が表彰状を書いてくださるのか、それとも先生の所属する猫団体からの表彰なのかなどと疑問が湧き、うれしさの中にもどこか不安が残っていた。どのような表彰なのだろう・・・それでも表彰と言う言葉に、不安よりもうれしさの方が上回っていた。
その後、徐々に表彰の内容がわかってくる。社団法人東京都動物保護管理協会さんからの「高齢動物飼育者表彰」という表彰らしい。表彰は名前のように、実際は動物を飼育している側、つまり飼い主として名が挙げられている人間への表彰となっている。しかし私はただ一緒に暮らしていただけで、何の努力をしている訳でもなく、偶然にもコロが、コロ自身が本人の力で生き、長生きをしているのだから、コロがいなければ今回の表彰はない。これはコロへの表彰として受け止め、喜ぶ事とした。更にコロは、偶然にも事故後から続く病院通いをしていて、その先生によって推薦されたのである。つまりこの世の中には、全く病気をする事もなく動物病院には行っていない元気な長寿の子も多いのであろう。コロは偶然にも推薦していただける縁を持っていた訳で、その縁はとても喜ばしい事と考えよう。
そんな中、更にうれしい事が追加される。マルハペットフードさんが毎年発売している「極楽ねこカレンダー」というカレンダーがある。これは応募の中から選ばれた365匹の猫の写真が使われる日めくりのカレンダーで、毎年多くの応募があるらしい。HPを開設した事で増えたコロの写真が、カレンダーに採用されたらとてもうれしい。応募のチャンスもあと数回であろう、そんな気持ちから、夏に応募していたのだった。写真は私の一番のお気に入り。それでも何の腕前もない私に、カレンダーに採用されるような写真が撮れるのか、という不安の方が大きかった。
しかし、その予想を大きくくつがえす結果が届く。カレンダーへの写真採用通知だ。驚いた。ほんとうに驚いた。何よりもコロが選ばれた事が、とてもうれしかった。寝たきりの毎日では、極楽のイメージには程遠いのかも知れない。でも、そんなコロの写真が採用されるなんて事は、便宜上「飼い主」と言う名のパートナーとして、とてもうれしい事だった。
しかしマルハペットフードさんからの良い報告は、これだけでは無かった。確か、コロの具合が悪くなりだした初夏の出来事だったと思う。極楽ねこカレンダーへの写真の応募方法を知りたくて、インターネットで方法を検索していた所、マルハペットフードさんのホームページ「猫の王国」へとたどり着く。早速カレンダーの応募方法を確認する。いつもなら、ここで他のホームページへと行ってしまうのだが、「猫の王国」という名前と、なんとなく見てみたい気持ちがあったので、それぞれのページを見て進んだ。しばらくして、一般のホームページへもリンクしているページを発見する。大手企業のホームページで一般へのリンクは珍しいなぁ、ここに登録していただければ、少しは何かの役に立てるかもしれない・・・そう考えながら、リンクをお願いするメールを送っていた。
そんなメールの存在をすっかり忘れていた頃、突然のメールがマルハペットフードさんから届くのだ。その文面を読み、更に驚く私。それは、このコロ記を猫の王国の王国図書館で紹介させていただきたい・・・と。正直に言って、唖然としていた。驚きを超えるというか何というか、言葉で上手く表現できないが、私のような素人の書いた文章。それも、ネット上の掲示板で知り合えた方々に、コロの事を紹介する為に書いただけのこの文章を、企業の顔とも言うべきホームページに載せていただけるなんて。戸惑いと共に喜んだ私は、すぐに良いお返事を送っていた。そして8月1日、コロ記の冒頭部分が、猫の王国に掲載されるのだ。
ただ、この出来事があった為に、実は極楽ねこカレンダーに疑いを持っていた。王国図書館へのコロ記の採用から、カレンダー写真採用への優遇措置があったのではないか・・・と。直接担当していただいた会社の方にメールを送る。すると、とてもわかりやすい内容で、選考の方法を教えていただけた。つまり、担当部署の違いから、優遇する事はありえないと。素直に喜べなかった自分を、少しだけ悔やむ。
10月22日早朝、少し肌寒い曇り空の日。「コロ、表彰状もらってくるね。コロは行けないから、写真を持ったからね。」留守中に寒くないよう布団に寝かせ、いつものようにペットシーツ、タオルケット、布団、更には半てんをかけて出かけた。そう、今日は「2000動物フェスティバル」の日だ。コロの表彰状をいただける日。
実は私、とても気楽な気分で家を出ている。動物フェスティバルにて高齢動物飼育者表彰を受ける方は大勢いる。事前にいただいている案内では、受付にて引換券と表彰状を交換してくださいとの事。駐車場に車を停め、会場へと足を伸ばす。全体的に犬中心の催しが多い為か、会場にはたくさんのワンちゃん達が来ている。やはり、コロを連れて来なくてよかった。まあどちらにしても、片道1時間弱の会場までは、コロの体力では無理なのだが・・・。
受付を見ると、数名の方が表彰状をいただいていた。そろそろと近づき、係りの方に引換券を手渡す。係りの方は机上に置いてある受賞者一覧表と私の氏名を照らし合わせていた。しかし私の方が、自分の名前を発見するのが早かったようだ。何故だか私の名前の横に、赤い印が付いている。すると「表彰状は式典がはじまってから、ステージの上でお渡ししますので、それまでしばらくお待ちください」との説明。「はい」とは言ったものの、驚きとともに恥かしさを感じたが、それでも嬉しさの方が大きかった。そして午後1時フェスティバルの式典が始まる。開会の言葉に来賓の方々の挨拶の後、高齢動物飼育者表彰が行われた。
ステージの上ではあくまでも、コロの代理人を務めようと決めていた。年齢の若い順に、15歳、17歳、18歳のワンちゃんの表彰が行われる。気がつけば多くの人がステージを見つめていた。そして、ついに私の番。「愛猫コロ号、20歳です」のアナウンスと共に、「うおっーっ」と歓声があがった。それはとてもうれしかった。何よりもその声が、コロに伝わっていることを信じて。
表彰状を無事に受け取りフェスティバルを少し楽しむ。すぐに帰ろうという私の気持ちは、この時すでに薄れていた。ワンちゃんの行事を見ていると、突然声をかけられる。「コロちゃん、お元気ですか?」突然の出来事に少々驚いたものの、いつもホームページを見ていただいている方が、私を探していただいたようだ。こういう時に私は、ろくな言葉が出てこない。頭の中が真っ白になっている。ほんの少し挨拶をしただけで、その場を後にした事を覚えている。それでも、コロの事を気にかけていただいた事が、とてもうれしかった。
会場での盲導犬や聴導犬などのパートナー犬によるデモンストレーションなどを見た後、帰路につく。この時すでに、空は薄暗くなっていた。
家に帰ると、空のあかるみは既に消えていた。もちろん家の中も真っ暗だ。遅くなるのがわかる時には、昼間から照明をつけていくのだが、時々真っ暗の中でお留守番をさせてしまう時がある。今日もそんな日になった。明かりをつけると、眼をまん丸にしたコロが、こちらを見ていた。「ただいま」と言うと、更に眼をまん丸にする。同時に、「おめでとうコロ、表彰状だよ」と枕元に表彰状を置いて見せた。
しかし次の瞬間から、おめでとうムードは薄くなる。それは、予定よりも遅くなってしまった私の帰りが原因なのだが、通常4時間おきにおしっこをするコロ。寝たきりとなった今でも、出来るだけ自分のトイレでおしっこをしたいのであろう。元気のある時には鳴いて知らせ、元気がない時でもトイレに連れて行くと、そこでおしっこをする。留守により4時間の間隔が少々開いても、我慢をしている事の多いコロ。しかし今回は限界をとっくに超えてしまっていた。布団をめくると中のペットシーツは、どう考えても2度分のおしっこを吸収していた。「ごめんね、気持ち悪かったよね」とコロの湿気った下半身を拭いて乾かす。
私はこの後すぐ、友人のお店の開店祝いに呼ばれていた為、出かけてしまうのだが、帰宅してからすぐに表彰状をコロに見せた。ゆっくりとしっかりと、たくさんのお土産と共に。形だけだが表彰状を読み上げ、ホームページ上で公開する為の写真撮影を始める。私の氏名を不自然さの無いように隠そうと、コロの手を静かに添えてみた。それはまるで、表彰状をしっかりと見つめ、しっかりと抱え、とても満足な顔をしているようにも思えた。コロもこの事を、完全に理解しているのかもしれない。「ありがとう」と撮影を終えながらコロに伝え、表彰状を見ると、コロの口が当たっていた部分が濡れている。コロの唾だった。慌ててティッシュで拭き取ったのだが、途中で180度変わっている考えに気がつく。何故拭き取ったのだろう・・・と。コロの賞状だから、いいじゃないか。そう、それはしっかりと、コロが受け取った印なのだから。
癌(がん)
<平成12年10月25日>
先週の中程から、コロには異変がおこっていた。いや、今になって考えて見ると、その前兆は夏前から起こっていたのかもしれない。コロに食事や薬を与えると、口の周囲は汚れてしまう。普通の猫ならば、自分の腕を器用に使いその汚れを取ったり、そもそも自分の口の周囲が汚れてしまうような食べ方はしないであろう。しかしコロは、自由に体を動かせる余裕もなく、従って食べる時の姿勢も、私達に抱かれたままの状態となり、食後のグルーミングも私達にティッシュペーパーで拭かれるだけとなる。
そんな時だった。コロのあごが少し盛り上がってきていた。夏を過ぎたあたりから顔自体が腫れてはいたが、これは日により、その大きさが変わっているので、まさかあごにまで広がったのか?などの疑問もあったが、様子を見る事にしていた。
金曜日、コロは明らかに食べ方が下手になっていた。気に入った猫缶を食べている時にはその途中で、口を横に振り、フードを擦るようにしたり、水や牛乳を飲む時にも、上手に舌を使う事ができずにいる。実は時折ある出来事であった。口の中の疾患や、かみ合わせの悪さからか、うまく食べられなくなる。これは時間が解決していたので、今回もその状態であろうと思っていた。
土曜日にも牛乳の飲み方が下手だった。生クリームを与えた時にも、大好きな生クリームを口で擦るようにしている。ただ、食べる量こそ減っているものの、食事自体は1日3食になっていたので、ある程度の量は食べられていた。ただ、この時にはあごの腫れは大きな物となっている。
腫れは固く、あごの左側に喉の方まで達している。週明けに病院へ行こうとも考えたが、薬が無くなるのが水曜日、月曜日のコロは妙に鳴いていたので、抱っこをして様子を見ていた。
火曜日、朝から食事を食べないコロがそこに居た。猫缶を3個目にして、母が「食べないと病院に行くんだよ」と言った途端、パクパクとふた口くらい食べたのだ。コロの自己主張なのだろうか、その日に病院へ行く事をためらった。ただ結局、夜のコロは、食事を食べないでいた。「食べない」という表現よりもむしろ、「食べられない」という表現の方が正しいと思う。コロには食欲があるのだ。お腹が減っているコロの状態は、今まで接している過程で充分に知っている。眠らずに食べたいそぶりを繰り返す。そこでキャットフードを与えるのだが、少し匂いを嗅いで無視をする。いつもの気に入らない表現だった。
食事を気に入らないと、意地でも食べないコロ。元気な当時は「食べないならあげない」などと言って、そのうち仕方なく食べるまで時間をおくこともあったが、現状でそれは出来ない。骨と皮になったコロにそんな事をしていたら、今以上に体重は減ってしまう。そこで、コロの召使いのように、様々なキャットフードを準備し、端からコロの機嫌を伺う。気に入って食べてくれれば30分で終わるコロの食事も、この選択作業が加わると、2時間以上もの時間を費やす事がある。昨日の火曜日もその状態だった。
召使いの私は、猫缶が収めてある戸棚の前で考える。コロの好みから、今やお店が開けるのではと思えるほどに種類と在庫がある猫缶。そのひとつひとつを見ながら、どれなら喜んで食べてくれるのだろう。と考え、皿に出していた。開ける事5個、それまで気に入って食べていた物でも、匂いを嗅ぐだけだった。そこで、ドライのフードをつぶして、サラダ油でこねた物も準備した。少し興味があったようだが、それも食べなかった。その日の私のおかずだった「マグロの刺身」を細かくして与えた所、何度か食べようとするが、うまく口に入らない。カステラやおせんべいを細かくして与えても、うまく食べられないでいる。様子を見ていると、口を開けられないのだ。たぶん、あごの腫れが邪魔をして、口が開けられないのであろう。そこで、チーズを柔らかくして、口の中へと入れてみた。人差し指で歯の隙間から、口の中へとチーズを押し込む。ただ、開かない口の中では、舌の動きも思うようにはならず、時にはチーズが外に出てしまう事もあった。結局はあまり食べられないコロ、牛乳に砂糖を加えて与えてもみたが、飲む事は出来なかった。明日は朝一番で病院へ行こう。この時には既に決めていた。
こんな夜の母との会話。「猫との生活はコロだけじゃないけど、こんな状態になった経験はない」と母。「じゃあ言うけど、俺だって今までの人生の中で、下咽頭癌(母の病気)になった人をはじめて見たし、コロだってなりたくてなってるんじゃないから、それは一緒でしょ」と私。コロの事で親子喧嘩が起こりそうな勢いである。結局は現実を見ていくしかないとの結論で終わった。
今から思うと、と思える事がふたつある。
ひとつは、月曜日からはじまった「にゃ・にゃ・にゃ」。前日の日曜日、コロの表彰の為に、動物フェスティバルに出掛けていた。その日に旅行を予定していた母が、予定を変更してフェスティバルに行くと言う事になり、又、表彰状を持って帰る都合と、その日の私の都合から車で出掛ける事になった。会場までの道は、平日の渋滞を忘れてしまう程空いていて、約40分で到着した。当初、表彰状をいただいて、少し見てから帰る事にしていたので、コロの留守番は2時間の予定だったが、実際の所、ステージで表彰される事になり、その後の催しも楽しんでいたので、コロの留守番は5時間になっていた。
月曜日の「にゃ・にゃ・にゃ」はその事に対する甘えだと思っていた。長い間さみしかったよ、と言う表現だと。その日は出来るかぎりコロを抱いて過ごした。しかし、今思えば、体の異変を私に教えていたのかも知れない。
もうひとつの事は、少し前にさかのぼる。夏よりも前、確か5月の連休の前後だったと記憶している。毎日コロの手伝いをしている関係から、コロに接している時間は、以前の元気なコロの時より増えている。よって、コロを見ている時間も増えているのだ。そんな時だった。夜、薬を与えた後にコロの顔を拭いている時、コロのあごの左側にある毛が、少しおかしい。人間の寝癖を想像していただければ、わかると思うが、一部分の毛だけが飛び出ている。ブラッシングなどをした時にも、目立つのだが、撫でて毛を寝かせると目立たないので、そのままにしていた。この場所は、実は今回腫れた所と一致しているのだ。今から考えれば、それも前兆のひとつなのかも知れない。
東京は朝から雨が降っていた。普段ならこの様な天候の日に、コロを病院へ連れていく事はしないのだが今日は違う。あごの件を電話で伝えて、病院へと向かった。行きの車内、時間にすれば、たった5分の道程だが、コロは「にゃ・にゃ・にゃ」と繰り返した。コロが何を伝えているのか、何が言いたいのかはわからないが、「コロ、お医者さんに行っていっぱい食べられるようになろうよ」と言いながら運転しているうちに病院へ到着した。急いで診察台の上へ、コロの顔にライトが当てられ、診察がはじまる。昨夜から様々な想いが頭の中を駆け巡っていた。
腫れの正体はなんだろう、悪性の腫瘍なのか、たいしたことなく取る事が出来るのか、緊急手術となったら、その時にはどうしよう。結局は、最終的に考えた結果と現実は同じ事となっていた。
「これは癌ですね、かなりひどく固まっています。本人もつらいですねぇ、ただこの体での手術は危険が大きすぎます、今のコロちゃんの力を最大限に生かしましょう。」と点滴がはじまった。「ソルラクト」と書かれた点滴の針が、コロの背中へとさされた。しかし、骨と皮だけのコロの体には、点滴の針を受け止められるほどの余裕がなかった。やり直す事5回、やっとその液漏れは収まり、点滴は約5分間続いた。その後に注射を2本打ち、今後の食事内容の話しをしたあと、コロと家に向かった。行きとは違う帰りの車内、コロは鳴かなかった。「暖かくして寝かせてあげてください」と言う先生の気持ちとは反対に、コロは目をしっかりと開け、起きている。行きの車内で母と話したのだが、ここ数日のコロは、あごの腫れさえなければ、意識もしっかりしていて食欲もある、ここ最近ではとても良い状態なのであろう。あごの腫れさえなければ・・・。
眠らないコロ、たぶん前日から何も口にしていない為、空腹が睡魔に勝っているのだと思い、すぐに「流動食」の準備に取りかかった。用意する物は「すり鉢とすりこぎ」「卵黄」「鳥のささみか白身魚」「はちみつ」「牛乳」。
ささみ(又は白身魚)を湯がいてすり鉢でつぶす。卵黄とはちみつ、温めた牛乳も加えると流動食が完成する。それをスポイトで、コロの上唇を持ち上げて、口の中に徐々に入れていく。先日の表彰式でいただいた「はちみつ」が、こんな所に活用されるとは考えてもいなかった。スポイト1本分と水を与えた所で、コロは静かに眠りだした。気がつくと私も、コロの横で眠っていた。コロの体温を下げないように布団に中に電気アンカを入れているのだが、それは私にも心地よかったのだ。
目覚めた時、そこには変える事が出来ない現実が待っていた。コロが夢のように快復する訳でもない現実だ。ただ、病院で先生に「癌」と言われた時も、家に帰ってコロと話している時でも、不思議と涙は出なかった。
毎日コロを見ていると、私も感心してしまうほどに、生き続ける力をコロから受ける時がある。コロの体の痛みや、体が自由に動かない憂鬱さが、もし自分に起こっていたら、私はここまで生きる事を考えるのか、一歩間違えれば、すぐに楽になる方法を選んでしまうのではないか、と。
今までの数日の間、コロの現状を考えつづけていた事も、一因であろう。出来る事ならこのまま、21世紀を迎え、21歳の誕生日も迎え、来年の夏には「また大変な季節になってきた」などと愚痴をこぼし、などと過ごしていたいが、ここ最近のコロを見ていると、果たしてどこまで、との思いも出てしまう。そんな考えが、ある程度頭の中でまとまっているので、今回の件では、それほどの動揺はないのではないか。
また、母の癌での経験も役にたっているのだとも思う。母の入院した病棟は、頭と顔の癌を専門に扱う病棟であった。表現が悪くなってしまうかもしれないが、何も知らずにその病棟に入ったら、かなり驚く光景が待っている。顔中包帯に巻かれた人、変形している人など、服などで隠す事が出来ない場所だけに、目立ってしまう。そんな中、お世話になった方々には、高齢により手術ができずに亡くなった方、これから目を失ってしまう若い女性、抗がん剤で苦しんでいる患者さん達の姿を見ていると、自然と癌に対する考えやその治療の辛さなど、それはどの病気でも共通する大変さが感じられ、今のコロが特別な状態ではないと考えられる。
もちろん、悲しくないのかと聞かれれば、「はい」と言える訳ではない。ただやはりコロとの今までの経験と、その病棟での皆さんの前に向かって行く力と、多くの方々が最愛の動物達との別れを経験している事から考えてもやはり、前を向いて現実に向かっていくしかないと言う気持ちでいっぱいになっている。いっぱいにしておかないと、今にも倒れそうになってしまうからだ。
何度か流動食を与え、太陽がすっかりと沈んだ夜。私は久しぶりに父の前に座った。もちろん毎日、お線香は絶やさないが、ゆっくりと座るのは久しぶりだった。もしかすると、父がたまにはゆっくり話そうとしての悪戯かもしれない、などとも思ったが、久しぶりに全てのお経をゆっくりと読んでいた。元気なコロを想像しながら。
途中、コロが動く音が聞こえた時、自然と涙が流れてきた。今日はじめての涙だった。それは、悲しいという訳でもない自然と流れでる涙だった。今でもその真相はわからない。今日がいつもと違う事と言えば、いつもなら足がしびれないうちに終わらせてしまおうと、急いでお経を読んでいるのに対し、今日は一字一句ゆっくりと読んでいる事ぐらいだった。実は今月に入り、いろいろな問題が起こった為、毎晩布団に入ってすぐに「般若心経」を眼を閉じながら一読している。もちろん宗教の力に頼る訳ではなく、自分の落ち着きを取り戻す為だ。その時よりもゆっくりと読んでいたからなのだろうか、私の眼から流れる涙は、最後まで続いていた。
すべてを終え、コロに「コロちゃん、治るよ」と話し掛けると、コロは1度、大きく「うん」とうなずいた。
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