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31日(金)
昨夜布団に入ってから、コロの事を考えていた。朝の夢を見てから、なんとなくコロの事を考える1日だった。亡くなる数日前からその時までの事を、まるでビデオを再生しているように忘れていた事までよみがえる。
その事が逆に良かったのかもしれない。今朝の寝起きはさわやかだった。こんな朝はコロの写真に、笑顔でおはようと言える。
30日(木)
久しぶりに夢の中でコロと出逢った。お風呂の蓋の上で眠るコロ、そっと近づくと私に気がついて「にゃ」と鳴く。頭を撫でると「ゴロゴロ」と喉を鳴らしながら、私の顔をなめてくれた。更に夢の中で、コロのお線香をどれにしようか迷っている私がいた。先程の夢をこの時に思い出し、とても悲しくなっている私。まだ夢の中なのに・・・。
こんな時にはやはり、寝起きの気分はあまり優れない。いないコロの事を考えてしまうから。例えどのような子と、これから暮らす事があっても、コロとの生活は戻る事はないんだよな・・・と。でも、夢の中なら逢えるんだよね。
29日(水)
28日(火)
27日(月)
今日はコロの月命日。母はお墓参りに行こうとしたようだが、霊園は月曜日がお休みだった。きっと月曜日は、コロも静かに眠っているのだろう。
26日(日)
コロの遺影に「ついて来るんだよ」と話しかけて、盆踊り大会に出掛けた。コロはいないが、自然と昨年の盆踊りを思い出していた。そして、帰り道はチッコちゃんと一緒だった。
25日(土)
24日(金)
家の隣のグラウンドで今年も盆踊り大会がはじまった。毎年コロと一緒に行っていた盆踊り。それはコロの散歩と共に、近所の方々にコロの元気な姿を見せる為だった。今年、コロはいない。
23日(木)
ふと、コロの祭壇を見ると、奥に眠っているコロが見えた。「あっ、ごめんね。最近抱っこしていなかったよね。」こう言いながら私は、コロを抱いた。既に亡くなっているコロ、体は動かない。少し口を開け、目も薄っすらと開いていた。抱きながらしばらく時間は過ぎていった。そしてコロを祭壇の奥へと戻す。その時一瞬、コロの遺骨は霊園にあるのに・・・何故、体がここに?とも思えたが、それほど不思議な事ではなかった。
「コロ」と呼ぶと、生きていた時にそうであったように、目をまん丸にする。「けーち」再び呼ぶと、更に目をまん丸にする。呼び掛けるとコロはいつも目を真っ黒にするのだ。「体は動かないけれど、意識は戻ってきているんだな」そう感じていた。でも、私の耳には変な耳鳴りが続いている。この音は一体?
目が覚めた。枕から頭を外し、自分の腕枕で眠っていたようだ。夢だったんだ。そう気づくのには時間がかからなかった。不思議な耳鳴りも、自分の血液の音だと言う事に気づく。すぐに祭壇に行き、コロの写真を少しだけ抱く事にした。・・・今朝の話しです。
22日(水)
実はこの所、チッコちゃんが4階まで上がって来る事がなかった。もちろん外で会わなければ上がって来ないのだが、外で会っても一緒に歩くのは1階だけ。階段に差しかかるとテコで動かしても動かなくなる。無理矢理抱いて行くのも嫌なので、仕方なくそのままにしていた。何があったんだろう?食べている途中で嫌がらせでもあったのか、それよりも最近、気に入る食事が無かったからか・・・答えは見つからなかった。
そんな今日、台風の中にチッコちゃんはやって来た。体を雨で濡らしながら10日ぶりに。ドライと猫缶をそれぞれ空にして帰った。うれしかった。
21日(火) 今日のコロ
昨年より、3日遅れの記念写真。
20日(月)
最近は、コロの写真に話しかける変なオヤジになっている事が多い。
19日(日)
18日(土)
17日(金)
昨年、コロの大好きな雪印牛乳が飲めなくなる事件が起きた。そんな時、栃木県の那須にある南が丘牧場から、牛乳を持って来てくれた友人がいた。喜んで飲む姿を、コロトピックに写真で載せた事を憶えている。
そんな今日、その友人が再び牛乳を持って来てくれた。もちろんコロも飲んでいる南が丘牧場の牛乳だ。「今年は・・・供えてあげてね。」の言葉と共に。
16日(木)
15日(水)
一般的にはお盆とか、終戦記念日と言われている今日、家では少し違うのだ。実は今日は母の誕生日。母曰く「終戦記念日は私より後」との事だ。別にパーティーも行わなければ、プレゼントもない平凡な1日なのだが、例年はコロを抱きながら、まるでコロが言っているかのように「おかあさんお誕生日おめでとう」とコロの代弁という形で言っていた。今年はコロの祭壇に「コロ、お母さんにおめでとうって言っておきなね」と伝えるだけだった。
14日(火)
ペットフード売場で製品のPRをしていると、つい嘘をついてしまう。猫の年齢を聞かれると、つい言葉に出てしまうのは「20歳」の答えなのだ。チッコちゃんも10歳を超えているのだからどちらにしてもシニアの試供品をいただけるのだが、何故か今でも20歳と言ってしまう。そんな今日も「アイムス」の商品PRで試供品をいただいた。アイムスは使った事が無く、この試供品はコロの霊前に供えた後、チッコちゃんの食事となる。
試供品と共にいただいた商品のリーフレット。そこには「正しいフード選びチェック」がある。チェックの結果は「ネコちゃんの長生きのためにも正しいペットフードの勉強を。」だった。勉強しないといけないなぁ。
13日(月)
12日(日)
朝、水2箱を抱え、自宅へ向かう私。駐車場から自宅まで、その足元にはチッコちゃんが一緒に歩いていた。手伝っているつもりなのか、励ましているつもりなのか、階段を私より先に上がり、踊り場で私の事を振り返りながら、ずっと一緒に上っていった。お手伝いのごほうびは猫缶とドライフード。残さずに2皿分、食べてありました。
11日(土)
10日(金) 今日のコロ
今年の「火垂るの墓」は今までの火垂るの墓とは少し違っていた。LDを持っているのだから、いつでも観れるはずなのに何故か毎年のこの時期に、放送されるテレビでしか観ない「火垂るの墓」。 物語の終盤、衰えていく節子ちゃんの姿がコロと重なるのだ。くぼんでゆく目・・・細々と力のなくなる手足・・・バサバサになった髪の毛・・・コロの最後の、本当に最後の姿が、そこに映っていた。
今日はうれしい発見がありました。詳細は今日のコロで。
9日(木)
この2日間チッコちゃんに一度も会わなかった。そうなると私の身勝手だが心配になる。そして考えは悪い方へと向かっていく。そんな時には必ずコロにお願いするのだ。「チッコちゃんを呼んで来てね」って。今日、チッコちゃんはやって来た。きっとコロと一緒に。
8日(水)
7日(火)
犬の鳴き声から、何を言ってるのかがわかる機械が発売されると、今日のニュースで報じられていた。100年前に21世紀を予想する新聞に、動物との会話が可能と書かれていたから、かなりその夢は近づいたに違いない。首輪にぶら下げて使う事から考えて、小型化とあまり鳴かない猫の鳴き声分析が進めば、猫用が発売される日も、そう遠くはないようだ。逆の発想から、人間の言葉を鳴き声に変換できれば、双方向の会話も可能になりそうでワクワクする。あっ、でも私には必要がないんだった・・・でも、ビデオのコロの鳴き声から、コロが何を言いたいのかはわかるかなぁ。
6日(月)
お風呂場の手桶で水を飲んでいたコロ、お風呂上がりには必ず、手桶を水でゆすぎ、水を満タンにしておいた。人が入浴中で喉が渇くと、じっとお風呂の前で待つコロにとっては大切な水飲み場だった。今でもお風呂上がりに、手桶をゆすいでしまう私。
5日(日)
使っていなかった引き出しを開けると、忘れていた写真がたくさん出てきた。「コロの写真は・・・」と期待に胸をふくらませて見続けたが、残念ながら1枚も、コロの写真はなかった。それでもその奥から、以前に極楽ねこカレンダーに申し込んで落選した時に、マルハペットフードさんに送っていただけた、焼津のマグロテレホンカードが出てきたので、少しうれしかった。
夜、出掛ける為に階段を下りていくと、1階の階段に座っていたチッコちゃん。すぐにごはんの催促をしたのだが、出掛ける私にその準備がなく、「帰ってからね」と声をかけておいた。数時間後に自宅近くで、どこからともなく現われたチッコちゃん。一緒に階段を上がろうとしたが、階段を下りる他の人の足音が聞こえた為に断念。チッコちゃんはなかなか用心深いのです。途中階まで上がった私は、チッコちゃんが来ていない事に気が付いたので、再び1階に戻ると、こんどは飛んできました。そして無事に4階まで駆け上がり、おいしそうにごはんを食べていました。
4日(土)
3日(金)
チッコちゃんの忠猫ぶりは、今日も健在。でもお食事の内容は・・・気に入らなかったらしい。
2日(木)
昨年10月におこなわれたコロの表彰式で、式場に行けないコロのかわりに、私は1枚の写真をプリントして持って行った。そしてその写真は、コロが焼かれる火葬場にも持って行き、私達の待つ待合室に飾っておいた。その後、コロが過ごしていた部屋のテレビの上に、簡単なカード立てに載せて、いつも私達を見ていられるようにしておいた。実際、コロの祭壇の写真よりも身近な為に、親近感が強かった写真となる。しかし、プリンターで印刷されたその写真は、かなり色褪せてしまっている。何でもなければ捨てて新しいものを印刷するのだが、今までの経緯から捨てられない気持ちの方が大きく、今日写真をパウチで処理した。色褪せている写真だけれど、何故かとっても、大切な写真である。
1日(水) 今日のコロ
「千と千尋の神隠し」を見た。しかし、心のどこかで少し、不安があったりする。実はコロの転落事故は、私が「もののけ姫」を見た次の日の事だった。同じ宮崎駿さんの作品、偶然だったのだろうが、今でも私の心のどこかに・・・・・残っている。
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