このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
13年10月へ | 今日へ戻る | 13年12月へ |
30日(金)
家で使う為に作成しているコロカレンダー。毎月必ず、月替わりの前々日までに準備していた。しかし、今月もそうだったが、明日からの12月も、1日に慌てて準備する事となる。最近はコロの写真に、良い表情を見つけられない自分がいる。
29日(木)
昨日、チッコちゃんが一度外に行ったのは、もしかするとトイレなのかも知れない。冷静に考えてみれば、うちには猫用のトイレの装備が無いのだ。それはもちろん、コロがいなくなったからなのだが、それ以前から猫用のトイレは無かったと言って良いのだろう。コロのトイレは風呂場の排水溝だった為、留守用に用意する簡易トイレ以外はトイレが無い。多くの方が使っている猫砂も、実は使った事が無い。まぁ、チッコちゃんにしてみれば、うちでトイレを、とは考えていないのだろうが。
28日(水)
チッコちゃんの夢を見た今日、午後9時を過ぎてから、チッコちゃんはやって来た。食事をした後、ホットカーペットの上で熟睡。寝入りばなに、右手で握るような動作をする癖を見つけた。更に寝込むと、舌を少し出す事も発見。ホットカーペットの上で、更に私に体を寄せたまま、2時間半を過ごした。日付が変わる頃に外へ行ったチッコちゃん、10分後に玄関から鳴き声が聞こえたのでドアを開けると、再び入ったものの、今度は10分くらいで帰って行った。
27日(火)
出先で立寄った新しいペットショップ。たくさんの種類のフードの中に、療法食を見つけた。こんな時には悲しく、残念な気持ちが込み上げる。
26日(月)
ほんの些細な事でも、チッコちゃんに影響を与える。金曜日の帰りの出来事が怖くて、今日は階段を上がろうとしなかった。コロが亡くなってからの出来事や、チッコちゃんとの出逢い。たくさんの方々から猫ちゃんのお話しを伺っているうちに、猫や動物についての考えが、変わっている自分に気がつく。
25日(日)
3連休だからか、動物霊園は静かだった。その分、コロとゆっくり過ごせたのだと思う。
24日(土)
今年の極楽ねこカレンダーをめくっていて、ある事に気がつく。来年用の応募の際、月下美人の写真を選んでいた事を10月15日に記載しているが、コロの表情の良い写真には、全て私の腕が入っていた。人物不可の観点から、腕の写りのなかった写真を選ぶ事としたが、コロの表情はあまり良い物ではなかった。今日気づいたある事とは、人の腕が写った写真が採用されていた事。きっと人の顔や全体の写りはいけないのだろう。申込みの前に、カレンダーを確認しておけば・・・と反省した。
23日(金・勤労感謝の日)
今日は2度やって来たチッコちゃん。1度目は牛乳を飲んですぐに帰った。2度目はお食事。家に入ったり出たりを何度も繰り返す。やはりチッコちゃんとの意思の疎通はまだまだらしい。ちなみにチッコちゃんはコロと同じく、普通の牛乳を飲めるようだ。
22日(木)
コロとの意思の疎通は、それなりに出来ていたと思うのだが、やはりチッコちゃんとはなかなか難しい。行動のひとつひとつを理解出来ない時もある。やはり10年以上、外で暮らしているからだろう。コロのそれとは、全く違う。残念ながら今日も、お互いの気持ちは通じ合えなかったようで、逢えなかった。
21日(水)
チッコちゃんを見ていると、コロとの違いをいろいろと感じる。私は「猫に詳しい」訳ではなくて、「コロに詳しい」だけだった事を、はっきりと思い知ることとなり、更に勉強にもなっていると感じている。そんなチッコちゃんは今日、現われなかった。逢えなければさみしい自分もいたりする。
20日(火)
今日も来てくれたチッコちゃん、目やにが気になったので取ってみた。すると、素直に取らせてくれた。食後にはホットカーペットの暖かさに気がついたようで、カーペットの上で毛繕い。そのまま1時間ほど眠っていました。そしてまた、自分のおうちへ・・・。
チッコちゃんが家にいる間、時々コロの写真を見つめて、心の中で話しています。やはりどこかに、重い気持ちが。
19日(月)
昨日は現われなかったチッコちゃん、今日は自分の家に居た。迎えに行くと、一緒に家までやって来る。玄関を入り、少し探検。体を撫でて欲しくて、甘える事も覚えた。食事を一通りして、また自分の家に帰った事だろう。
18日(日)
昨年より1ヶ月遅れで、ホットカーペットを敷いた。コロもきっと、飛び跳ねて喜んでいたことだろう。
17日(土)
今日のチッコちゃんの滞在時間は30分。家の中で寝転がったり、カニカマを食べたり。出る!と言いながらも、外を見ているだけだったり・・・。そして帰っていった。
16日(金)
最近は「今日のコロ」ではなく、「今日のチッコちゃん」の感があるが、今日もチッコちゃんのお話し。留守中だったチッコちゃん。3度目の訪問で、やっと会えました。家に来るなり、はんぺんとドライフードを食べ、帰りました。その後急いで、はんぺんをコロの祭壇に供えます。「なんで私にくれないの?」と、きっと思っていたでしょう。
15日(木)
住家に迎えに行くと、チッコちゃんは丸くなっていた。呼ぶと、家まで一緒に来る。玄関の中で食事をし、1歩だけ家の中へ。猫缶を全てとドライを半分ほど食べ、自分の家へと帰ったのだろう。
14日(水)
チッコちゃんが3日連続で来てくれた。頭や喉をなでると、ゴロゴロ言いながら喜んでくれる。体に触れる事を、完全に許してくれたようだ。
13日(火)
昨日、末期癌と闘った38歳の方と、その御家族の100日間がテレビで放送された。言葉の端々に光を感じられ、最後まで見入ってしまった。その中でも特に、旦那さんの最後のシーンに。比べてはいけないのだが、私にはコロのその瞬間が、重なって思い出された。その時の奥さんの気持ちも、なんとなく手にとるように。
2日連続で食事に来たチッコちゃん。玄関の中で、コロの写真を時々見つめながら、おいしそうに食べていた。そんな今日は、チッコちゃんの住家を発見する。寒風を避ける為には、なかなか良い場所だ。
12日(月)
膝の上にコロをのせ、食器を目の前に出しながら与えていたコロの食事。うまく食べられないコロの食事をサポートする為に、割り箸が大活躍していた。四方に寄ってしまうフードを中央に寄せる為に。割り箸にはマジックで「コロ」と書かれ、コロの専用になっていた。最近はチッコちゃんに与える猫缶を、ほぐす為に使われていた。途中何度も代替えしたが、名前は「コロ」のままだった。
今月の1日に来たままだったチッコちゃんが、今日やって来た。それまで、姿を全く見なかったので、少々心配していたが、玄関でにゃ!と鳴いて催促し、猫缶とドライフード、更には歯磨きフードも残さず食べて帰った。そして、今日から割り箸の名前も「チッコ」に変えた。
11日(日)
ヒーターと扇風機を入れ替える為に、物置部屋の片づけをしていた。以前良く使った移動用のキャリー。1時間しか使わなかった部屋用のケージ。一晩の留守番時に使ったタイマー付給餌器。交換予定だった爪とぎ柱用の板。次から次へと、コロの物が見つかる度に、作業は中断していた。
10日(土)
ベランダで鳥が鳴いていた。雨宿りの為なのか、滞在時間が長かった。残念ながら私は、鳴き声で鳥の種類を聞き分ける能力が無いので、窓越しに見ようと立った瞬間、鳥はどこかへ飛んでいった。コロがいた時には考えられない光景だ。いや、きっと窓際で、窓を開けたがっていたのだろう。
9日(金)
子供の時に買った覚えが・・・と、探していた本「ネコのIQテスト」を今日、見つけた。当時のコロを採点した結果が、本に記入されていた。とりあえずコロは「優秀」に入っているようだ。
8日(木)
昨日ホットカーペットを洗濯した。コロが寝たきりで、カーペットを汚す可能性が出てから、カーペットカバーを自宅で洗濯可能な物に替えていたから。今年は以前の、洗濯不可能の物でも良かったのだが、やはりこちらを使おうと思う。
7日(水)
燈っているお線香の灰が先端に残り、くるっと曲がる事がある。そんな時には、コロがとっても喜んでいるんだな、と思う事にしている。今日はきっと、とっても喜んでいたにちがいない。
6日(火)
今でも時々、ペットショップに立寄る事がある。もちろん用事は何も無いのだが。ケージの中で遊ぶ子猫を見て楽しんだり、フードや用品の新製品を見たりしている。そんな中で一瞬、ゴールデンハムスターを購入しようかなと考えた。コロと暮らす前にゴールデンハムスターのポーと暮らしていた事から、その事を思い出した。でも、きっと今ハムスターと暮らしても、それはコロの隙間を埋めるため・・・心からハムスターを愛する訳ではないのかもしれない。そう思う自分に気がつき、やめた。
5日(月)
今日はなんとなく、部屋でコロの気配を感じる。まだ暖房器具を出していないから・・・抗議しているのかも?
4日(日)
私の勝手なのだが、「ボランティア」とか「里親」とか「飼う」とかいう言葉は嫌いだ。もちろん便宜上使う事もあるのだが、やはり嫌いだ。
とても立派にボランティアをされている方々は、たくさんいる。しかしその反対にボランティアを鼻にかけてされている方も時々見る。そんな姿にうんざりするのだ。大切なのは心からの気持ちであって「ゴミを拾ってごみ箱に捨てる」。こんな事でもひとつのボランティアと言えるのだから、結局はその人の心の持ちようだと思っている。何心なく行えるか、やってあげたのだと思うか。名ばかりのボランティアでは無く、何心ない行動。自分がボランティアだと思わない気持ちが、本来のボランティアの姿だと私は思う。
私はコロを飼っていた訳でもなく、里親になっていた訳でもない。コロの兄になったつもりで、コロと一緒に暮らしていた。例えば相手が人間であれ猫であれ、親となった立場の人は、最後まで私は里親・・・と感じているのだろうか。里親ではなくきっと、親だと思うはず。と私は考える。そして一緒に暮らす大切な家族として。
今日の読売新聞に「猫の里親探し」という記事があった。その方は既に200匹近い猫ちゃんの仲立ちをしているのだが、自分を動物愛護活動家だとは思っていない・・・私が与えられるのは愛情だけ・・・と。
記事を読みながら・・・・・涙がでた。
3日(土・文化の日)
1月2日の父の命日には、仏壇の前でお経を唱える。「修証義」「大悲心陀羅尼」「般若心経」と。これは、どうしても日付の問題から、法要を命日には行えないので、その代わりの気持ちも込めて。今回のコロの命日には、その日に動物霊園で法要を行えた。なので家では「般若心経」だけを唱えた。命日と法要が重なった事と同時に、霊園の宗派は浄土真宗。家の宗派は曹洞宗との事から、同じ日に別のお経を聴いたコロが、迷わない為に。
2日(金)
週末に、コロと父の香炉の掃除をする。お線香の残りを灰の中から出すのだが、先週のお線香はコロの方が多かった。
1日(木) 今日のコロ
先月、無事に一周忌を終え、今はなんだか安心している。
13年10月へ | 今日へ戻る | 13年12月へ |
このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |