このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

県道戸隠高原浅川線新旧道



長野冬季オリンピックは長野の道路に数々の変化を与えた。
以前紹介した 国道19号の新トンネル 、長野—白馬間のオリンピック道路、五輪大橋などがオリンピックの産物である。
そして長野市北部の山間集落を結ぶマイナー県道、
県道506号線が一大幹線道路へのステップアップを果たしたのもオリンピックのおかげだ。
県道沿線にボブスレー・リュージュ会場、「スパイラル」が建設されたのである。
オリンピック会場へのアクセス路としては、元々の506号線は細く、線形も悪すぎたのだ。

浅川の谷底を通っていた本来の506号線とは対照的に、新道はループ橋で高度を稼ぎ、谷を形成する断崖の上に通された。
これは田中康夫やら「脱ダム宣言」で有名な、浅川ダムに水没しないようにということでもあるだろう。

このルートができたことで、長野市民が飯綱高原や戸隠へ向かうメインルートにも世代交代が生じた。
一代目は善光寺から大峰山を迂回するように登ってゆく、有料道路の「戸隠バードライン」。
この道は1985年、大きな被害をもたらした地附山の地すべりと共に消失。
急遽、七曲などの連続九十九折りを抱える市道が2代目を担うこととなった。
この道は七曲を含め、線形が悪く、私もよく車に酔ったものだ。
であるから、県道506号線新道の完成と共に、その線形と路面状況の良さから、メインルートの座は即座に移った。
この道の完成のおかげで、飯綱や戸隠へも随分簡単に行けるようになったものだ。

紹介が長くなったが、今回私が探索したのは、この新道取り付け区間の新旧道である。
対照的な二つの道を、どうぞ御覧あれ。


地図を開く(別ウィンドウ)


 
① 旧道の入口


ここは長野市北部、県道長野信濃線と旧道との分岐点である。
県道長野信濃線は峠にトンネルが完成したこともあって、国道の抜け道として交通量も多い。
肝心の旧道は手前の信号から左に折れる。
奥の青い案内標識の交差点は新道の分岐点である。


旧道は最初から生活道路である。
右手に見えるマンションには知り合いが住んでいたような・・・・。
どうでもいいか。


宇木大橋。
どこが大橋なのか分からんが、右側の欄干は崩壊してしまったのだろうか。
なかなか歴史がある、渋い橋である。
ところで気になったのだが、この橋の名前となっている宇木。
何を隠そう私の実家がある地区である。
ここよりも南、浅川とは全く接しない地区なのだが、何故このような名前がついたのであろうか。


橋を渡るとすぐに新道とぶつかる。
写真左手に真新しい欄干が確認できるが、これは新道の橋。
無駄に長い橋で浅川を一跨ぎにしている。
旧道はこの交差点を真っ直ぐ、山腹に家々が密集する浅川東条の集落へと入っていく。

ああ、そういえば昔浅川で遊んだことあったなあ・・・・・・。



 
② 浅川東条


新道との交差後、旧道は猛烈な登坂で新道との高度差を稼ぐ。
すなわち、浅川東条の集落の高さまで登るのである。
この経路選択も、山間集落を中心地と繋ぐという元々のこの県道の性格を考えると頷ける。


旧道は幅員を地形に合わせながら、猫の額ほどの集落を抜けていく。


浅川東条を出ると、新道のループ橋は遂にその姿を現す。
左手の橋はループが始まる手前、そして写真中央に写るのちょうど半周回った辺りである。
旧道は相変わらず地形に合わせて蛇行しながら、まるで異世界の物のようなループ橋に近づいてゆく。



 
③ 見上げれば大ループ


旧道は新道に接近し、そのままそいつの下を潜る。
この辺りは新道完成後、整備されており、この道がまだ死んでいないことが分かる。
ただこのアンダーパス、高さ制限が2.3m、幅員制限にいたっては2.0mで、車が通行できるのか不安だ。
通行できなくても、この先には何もないので何ら影響ないのだが。

アンダーパスを抜けてすぐ、旧道は短い橋で浅川の左岸に移る。


ル〜プ!!
えーと、ややこしいので手前から…。
一番手前、旧道。
その奥はこれから回りだそうとしている新道。
この新道、回り始めながら浅川を斜めに跨いでいるという近代的線形!!
そして写真には写っていないが、一周して高度を稼いだ新道が私の頭上辺りを横切っている。
新道はループした勢いで、空中で「逆Sの字」を描きながら、さらに高度を稼ぐのだが、
写真奥に写る高架橋は「逆S」の真ん中の部分である。
私の言葉足らずな説明よりも、地図と写真を見比べた方が分かりやすいかもしれない。

ちなみに断崖絶壁に無理矢理括りつけられたようなお堂、ブランド薬師への道はここから始まる。
ブランド薬師から眺めるループ橋はまた素晴らしいが、今回は時間がないのでまたの機会に紹介しよう。



 
④ 谷底を行く


新道が遥か上のトンネルへと消え、狭い谷には浅川の流れとこの旧道だけが残される。
ここからは浅川ダムが完成したとしたら、水没する区間であり、完全な無人地帯である。
この旧道の路面状況も一気に悪化する。


謎の中央分離帯。
現役時代からあったものなのかどうなのか・・・・・・。
こんな物ない方が容易に離合ができたであろうに・・・。
御覧のようにこの辺りからアスファルトにひび割れが見られるようになる。


新道が対岸にその姿を再び見せる。
ループ、逆S字カーブに続く八櫛トンネルと飯綱トンネルの間の高架橋であろう。
新道の2トンネルの狭間はパーキングとなっており、谷を見下ろすことができる。
ダム完成時には展望台として整備する予定だったのかもしれない。

旧道は浅川にピッタリ寄り添いながら、徐々に高度を上げてゆく。



 
⑤ 道は廃れ始めている


探索したのが夏ということもあるだろうが、道の両脇から植物が迫り出し、道を食わんとしている。
新道完成後からまだ7年程しか経っていないことと、北向き斜面であることが幸いしたのだろう。
廃道化はまだまだ先である。
ガードレールは緑に覆われている箇所が何箇所もあるが・・・。


崩壊箇所。
浅川地域の地層は泥岩を主とし、非常に地すべりを引き起こしやすい。
この日も長い雨が続いた後であったので、この光景にはひやひやさせられた。

ちなみにここで一台の車が私を追い抜いていった。
山菜採り、あるいは渓流釣りであろうか。
何はともあれこの道はまだ利用はされているようである。



 
⑥ 目まぐるしい幅員の変化


何だここは?!
一箇所だけ50mほど、道の幅員がやたら拡大、いや肥大している。
すこし窮屈な4車線道路を造れそうな広さである。
路面には多数のタイヤ痕が弧を描いており、ここがそういう方の溜まり場になっていたことを示している。


さっきまで無駄に広かったと思えば、すぐにこの狭さ。
人体に例えると、さっきの部分が胃で、ここはさしずめ小腸といったところか。
植物に最も侵食されていたのはこの辺りである。
もはや元の道幅が分からないくらいに、植物が繁茂している。


浅川を跨ぎ、右岸に移る。
険しい断崖に根付く植物が両側から迫っており、なかなか威圧感がある。
南向きの斜面ということもあってか、川側の植物さえガードレールを乗り越え道路に侵入してきている。
人類の英知、ガードレールも植物の成長はガードできなかったのだ。



 
⑦ 現道と合流


不意に自動車の走行音が聞こえて、私は慌てて振り返った。
しかし、そこには緑豊かな細道が伸びるのみ。
音の主は私の頭上にあった。
長い飯綱トンネルを抜けてきた新道の高架橋である。
文明から切り離されたような旧道を見下すかのように、新道は緩いカーブを空というキャンバスに描いていた。


そのまま旧道は半ば強引気味な上り坂で、新道に吸収されていく。
いや、逆だ。
ここで新道区間が終わり、元来の県道506号線になるということである。

ここからは新道を下る予定だが、折角なのでもう少し登って中曽根のループも見に行こう。



次回、この「浅川ループライン」の名の元ともなった二つのループが登場!!


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