このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

国道229号線
武威トンネル旧道群①


 
① 旧道群の両端




積丹町に国道229号線の旧道探索に来た、私と zwiebel
西河トンネル旧旧道の探索( レポート )を終え、次なるターゲット、武威トンネル旧道の前にやってきた。

武威トンネルの旧道は、左の地図に緑線で示したとおりであり、山西河幌内府武威という3本の隧道を有している。
この旧道は昭和41年に開通し、平成14年に武威トンネルの竣工と共に廃止となった。

zwiebelのHPの掲示板の情報によると、この旧道に加えて、旧旧道、さらには旧旧旧道まであるという。
旧旧道は大正時代、旧旧旧道に至っては明治時代開通という凄まじさである。
そして、これらの旧道群は全て隧道を有しているという。

この区間は特に世代交代が多いため、それぞれの道を「○代目」と記述することも検討した。
しかし、旧旧旧道が本当に1代目であるという確証がない(旧旧旧道のさらに海側に道があった可能性も否定できない)ため、本レポートは「旧」を重ねるという呼称を採用したい。





前回の続きなので、当然天気は雨。
まだ午前中だというのに、空は夕方のように暗く、皆様に美しい積丹ブルーをお見せすることはできない。

我々は西河トンネルと武威トンネルの間の空き地に車を停め、そこから旧道へのアプローチを図った。
向かって左が平成生まれの武威トンネル、 右が昭和生まれの山西河隧道である。






山西河隧道は半分開口していた。
容赦なくコンクリートで塗り固められる、国道229号線の旧道にしては珍しいわけであるが、結局のところ入れない。
向こう側の光が見えないことから、きっと片方の坑口は塗り固められているのだろう。





山西河隧道の延長は20mと、非常に短い。
きっとこの岩をくぐり抜けるためだけのものであろう。

この岩を越えれば、短時間で向こう側へ降りることができそうであったが、岩は若干オーバーハングしており、登るのは危険そうだ。
この天気と波では、磯伝いにこの岩を回り込むこともできないし…。






仕方がないので、現道の武威トンネルを抜け、西側から探索を始めることにした。
武威トンネルは700m。
普段ならウンザリする現道トンネル歩きであるが、今日に限っては束の間の雨宿りタイムであり、ホッとする瞬間だ。





武威トンネルの西側にやってきた。
ここもまた、二つの険しい岬に挟まれた僅かな平地で、来岸という集落がある。

ご覧のように、海側に別れていく道が旧道で、その奥に見えるのが武威隧道である。

期待を胸に旧道へと踏み出す。





武威隧道の手前にはお馴染みのバリケード。
コンクリート化粧のうえにバリケードとは、やたらと過保護な隧道だ。

実際に現地にいる時は気付かなかったのだが、ここから海側へと向かう旧旧道の石垣が見える。
石垣が切れている辺りに隧道が眠っているのであろう。

※カーソルを合わせると画像が変化します。








旧道にある三つのトンネルの中では一番長い武威隧道。
その延長は207mである。





武威隧道の脇から旧旧道は岬の先端へ向かって伸びている。
雨露をたっぷりと含んだ植物の群集も、元気に伸びている。


我々げんなり。
しかし、この先に未だ見ぬ隧道があるのだから行かないわけにはいかない。



 
② 驚愕の明治隧道






旧旧道は釣り人が利用することもあるせいか、僅かながら踏み跡があり、それほど藪に苦しむことなく進める。

しばらく進むと威圧感たっぷりの断崖が視界に迫ってくる。
旧旧道はこの断崖との対峙を避け、ここで曲がって隧道を穿つのだと、私は思っていた。
しかし…。





旧旧道はその下を行く!!!!

圧倒的な高さ、そしてオーバーハングしている断崖の下も、旧旧道は構わず伸びている。
凄まじいとしか言いようがないルート選定だ。

こんな無茶苦茶なルートであるが、廃止から40年以上経つ現在でも原型を保っている。
落石が少ないことも要因として挙げられるが、先人が築いた石垣が道を守り続けたのだろう。

そして旧旧道は岬を目前にして、カーブを描く。
その先には—。








隧道っ!!!!

わーいわーい。
あると分かっていたのだが、年甲斐もなくはしゃいでしまった。

これが大正生まれの旧旧道の隧道。
名称、スペックなど詳細は不明であるが、1代目西河隧道と同じ頃に造られたのではないだろうか。






岬方面を眺めてみる。
情報によると、なんとここのさらに海側にも隧道があるらしい。

写真中央の窪みがちょっと怪しいが…。
路盤から海岸に下り、窪みに向かって走る。





うぉぉぉぉぉ!!!!

ほ…本当にあった…。

これは知らなきゃ発見できないなぁ。
明治時代の隧道ということもあって、喜びもひとしお。

形状から見ても、徒歩道か。
随分高い位置にあるのは、恐らく海水の浸入を防ぐためだろう。
現役当時は梯子や桟橋の類があったのだろうか。

これまたオーバーハングしていて、登れないので、向こう側からアプローチすることにしよう。





再び旧旧道の路盤に舞い戻り、大正の隧道へもぐる。
中に入ると、風が恐ろしく強い。
ただでさえ強い風が、穴に集束してくるのであろう。

隧道は細いながらも、長い。
40mくらいはあるであろうか。





壁面は完全に素掘り。
路面は軟らかな土である。

幅員や高さから判断して、現役当時は1車線の車道だったのだろう。
今日のような天気の悪い日に、この辺りで対向車に出会ったら発狂しそうである。





狭小隧道を抜けると、そこにはブラインド過ぎる急カーブ。
きっ危険すぎる。
こんな道をバスが走っていたというのだから驚きだ。
運転手のテクニックは神業そのものだったのであろう。

強風の隧道から押し出されるように抜け出た我々は、振り返って再び驚愕することになる。
落石を誘発しかねない程の大声をあげてしまうくらいに…。








なぁぁぁぁぁ!!!!



次回!!雄たけび連続旧道探索。
旧旧旧道、明治隧道の全貌に迫る!!!!


次回へ

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