このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
七曲りは私にとっては非常に思い出深い道である。 とっても深い・・・そして不快な思い出が残る道だ。 飯綱高原や戸隠に行く度にこの道を利用し、その度に車酔いを引き起こしたのである。 以前も説明したことがあるが、七曲りは飯綱や戸隠へ向かう観光道路としての機能は失っている。 上の地図で赤い線で示してあるのがその道である。 本来この道は集落を結ぶ生活道路であり、観光道路としての役割は青の線で記した戸隠バードラインが担っていた。 1964年に開通した有料道路、戸隠バードラインは比較的線形も良く、飯綱・戸隠エリアの観光発展に大きな影響を与えた。 しかし1985年、地附山の地滑りにより、バードラインは山塊諸共消え去ってしまった。 その時から不通区間を補うために利用され始めたのが、七曲りを含む市道である。 ところがその七曲りの区間が厳しかった。 1.2kmに及ぶ、8連続ヘアピンに加え16%という急勾配区間。 私を含む多くの市民が運転に神経を削り、そして同乗者は酔った。 そんな七曲りであったが、1998年の冬季五輪を期に 浅川ループライン が開通し、観光道路としての役目を終えた。 地滑り、8連続ヘアピン区間、2ループ・・・。 凄まじい経歴を持つ飯綱・戸隠観光道路。 静かに生活道路としての余生を送っている2代目七曲りを天空開発が訪れた。 |
2代目への入口は長野市上松にある五差路である。 案内標識からも分かるとおり、長野駅、善光寺、飯綱・戸隠など各方面への主要道が伸びる要所だ。 この案内を見ると、七曲りは「戸隠・飯綱高原」方面、すなわち右方向の県道37号線だと判断してしまうが、実はそうではない。 右は確かに戸隠や飯綱へは行けるが、道が違う。 以前紹介した3代目浅川ループラインへと向かう道なのである。 ならばどちらに行けばよいのか。 正解は何の表記もない斜め右へ進む道である。 五差路からひっそりと分岐した道は、急坂をもって私を迎える。 MTBならば「よっしゃ」と燃えるところだが、今日は普通のチャリ。 非常に厳しいスタートだ。 道は山の斜面を切り取るように登っていくが、住宅地は続いている。 ご覧のように、山側にはポツンポツンと家が並ぶ。 家並みも途切れ、グングンと高度を上げる。 左手には長野盆地が広がっているが、それとの高度さもどんどん広がってゆくのが実感できる。 途中、1代目戸隠バードラインとの交差点が現れる。 バードラインは善光寺方面から登ってくるのだが、ここに至る坂は桜坂と呼ばれている。 福山雅治の曲が発売された時、ここの桜坂のことを歌ったのだと思っていたが、どうやら違うようだ。 左手前が善光寺へと下る道。 右の道を登るとバードラインの元料金所、そしてその奥には地滑り現場がある。 七曲りへ行くには左奥の道を登る。 「七曲り経由で飯綱・戸隠に行ける」と標識に書いてある。 坂はさらに厳しくなり、普通のチャリでは辛くなってくる。 写真奥を横切っている尾根の先端辺りが最初のピークとなっており、そこからは転がるように谷へ下っていく。 この辺りでムキムキのおじさんが、ヒーコラ漕いでいる私を抜かしていった。 あの調子でチャリダーも滅多に寄り付かない七曲りを突破する気だろうか。 私は残念ながらそんな気は毛頭ない。 ここまで来るとだいぶ良い景色が広がる。 長野盆地を取り囲む山並み。 ここからは、志賀高原から始まり四阿山まで続く2000m級の山並みが見渡せる。 長い登りの後の下り。 これ程気持ちが良いものはないが、線形はあまり良くはない。 小刻みなブレーキを駆使しながら、ヘアピンを抜けてゆく。 尾根の先端から谷底へ・・・。 そう、七曲りは谷底から始まり、大峰山の山腹まで一気に上り詰める区間なのだ。 七曲り手前最後の分岐。 奥へ進むと間もなく七曲りが現れる。 左は長野市街地の西部に下る道。 さっきのおじさんは勇敢に七曲りへ挑んだのか、町へ下ったのか。 知る術はないが、私は七曲りへ向けて最後の坂をヒーヒー登り始めた。 憶えている、この景色。 近いぞ!!!! 来たっ!!!! あのやたら長いうさぎ小屋のようなロックシェード。 目移りするような標識群。 そしてトラトラ模様のゲート。 8箇所 急カーブ。 勾配は16%。 制限速度は30km/h。 道路好きにはたまらない、物凄いラインナップである。 子供の頃はあんなに嫌いだった七曲りだが、期待が高まる。 それでは突入〜!!!! |
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