このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
積丹半島の北端。 11月の雨の中、西河トンネルと武威トンネルの旧道群を探索してきた私とzwiebel( HP )。 既にびしょ濡れで疲労困憊であったため、帰りたい気分でいっぱいであった。 しかし、本日のノルマ第3弾、来岸トンネルの旧旧道を探索せねば!! …というわけで、 前回 とはうってかわって、グッタリとしたレポを始めよう。 我々は車で武威トンネルを抜け、来岸トンネルの東側にやってきた。 左側が2004年生まれの現来岸トンネル、右側が1970年竣工の旧来岸トンネルだ。 旧トンネルは、例によってコンクリートで固められ、盛り土が施されている。 旧道に車を停め、さあ探索を始めよう。 旧旧道は旧来岸トンネルの脇から海岸の方へと伸びている。 舗装はされていないが、地元の漁師や釣人によって利用されているようで、廃道と化してはいない。 これならば探索はサクサク進むはずだ。 平和な砂利道はすぐに日本海にぶち当たる。 …いや、旧道としてはここで左カーブを描き、岩の方へと進んでいたのだ。 すなわち…。 そこに隧道が存在するのである。 この荒々しい素掘隧道、来岸1号隧道という名を持つ。 竣工は1922年、大正生まれの隧道である。 容易にアプローチ出来るため、ネットが張ってあるが、これなら通り抜けそうだ。 ゴツゴツした内部は、やはり風の通り道となっており、非常に寒い。 人目のつく場所にある割にゴミの類が少ないという印象。 寒すぎるのと、簡単過ぎたアプローチのせいで、感動も無いまま早足で通り抜けようとした私の目に飛び込んできたのは…。 もう一本の隧道の存在!! うおぉぉぉぉ!!!! み…みじかっ。 もし現代ならば、この岩塊をダイナマイトで吹っ飛ばしてしまうだろう。 大正という時代だったからこそ、こんな小さな岬も大きな障害となり、そこに隧道が生まれたのであろう。 ベロンとむくれたネットを跨ぎ、5歩ほどで来岸2号隧道をくぐる。 山形の廃道 様が管理されている「隧道リスト」によると、延長4mという短さである。 2号隧道を抜けた先には、何やら建物があり、非常に居づらい雰囲気であった。 旧旧道もこの建物へのアプローチに使われているのであろう。 ここに居てはいけないわけではないが、何か言われると嫌なので早々に立ち去ることにした。 最後に振り返って一枚。 現在レポートを書きながら気づいたのだが、岩塊の海側にある平場、足元に石垣が見えるが…。 もしかして旧旧旧道の欠片…? それとも船着場の跡かなんかであろうか? 私はすでに長野に移住しているので、もう確かめようがないのだが…。 2号隧道からさらに進むと、すぐ横の岩山から旧来岸トンネルが這い出てくる。 やっぱりこっちもガッチガチ。 そしてすぐに現道と合流する。 現来岸トンネルの延長が167mであるから、旧旧道も当然それ程長いものではない。 簡単に探索が終わりホッとすると同時に、一抹の物足りなさを感じる我々であった。 西側より見た現来岸トンネル。 ゆるーいカーブを描いた明るく広いトンネルが、地元民や観光客を快適に往来させている。 それが通行の安全性に繋がっているわけであるから、それはそれで良いのだろう。 しかしいつも通る道の傍らには、こんなに小さくも幾年も人々の生活を支えていた道があったことを知っていて欲しい。 そんなことを願う今日この頃である。 |
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