篠栗線なら古うからあって、駅長なんかは子供の頃、篠栗線の列車ば押してやりよった。
列車ば押すちゃ、どうゆうことかていうとクサ、戦時中で石炭がなかったもんやケン、汽車はタキモン(木のこっぱ)ば燃やして走りよった。
篠栗線が吉塚の駅ば出たら郷口川(ごうぐちがわ・いまの宇美川)の鉄橋ば渡らないかんとバッテン、その川土手にのぼるとい、タキモンじゃあ汽車も力が出んでクサ、坂の途中で止まってしまうとタイ。
吉塚駅近くまでバックして、そっから、またタキモンばくべて再挑戦するとバッテン、やっぱあ土手ばあがりきらん。乗っとるもんも下ろして、さがってから、またのぼりだす。
戦時中ていうとい、そげなのんきなことば繰り返しよった。
郷口川で遊びよった子供たちが集まってきて、みんなで線路の両側から汽車ば押し上げたもんやった。

篠栗線ていえば、そげな思いと愛着のある名前バッテン、旧国鉄が昭和43年(1968)に、終点やった篠栗から伸ばして筑豊本線の桂川に繋いでから、変な名前にしてしもうた。
福岡と北九州と筑豊ば結んどるケン、福・北・ゆたか(豊)線ゲナ。
この山手駅と隣の南蔵院、トンネルの先の九郎原(くろうばる)、筑前大分(ちくぜんだいぶ)が、延ばして新しゅうでけた駅タイ。
難所の八木山ば越えないかんちゃケン、山ばほがしたり(篠栗トンネル)、橋架けたりして金のかかった延伸工事やったらしか。
さてこの筑前山手駅やが、山の谷間にあって、線路が地上から高い位置(ホームの高さは14.5m)にある。これは5階建てのビルに相当するらしか。
地上からは塔のような階段ば96段もあがっていかな利用することができん。
これは九州一げなバッテン、こげなとは自慢にもなーもならん。とても後期高齢者にはこの駅での乗り降りはむずかしかバイ。
なしこげなとこに駅ば作ったとか。
もともと国鉄の計画では、伸ばす区間の駅は、城戸南蔵院と筑前大分のふた駅だけやった。そやけんトンネルと高架橋ばっかりの設計やった。
それば計画が発表されてから、地元がクサ「それじゃ不便じゃなかや」ていいだして、この山手と九郎原が追加されたていう訳よ。
地元の圧力でイヤイヤ作らされた駅やったケン、国鉄も「作りゃよかっちゃろうもん」ていうこっタイ。
利用者のことは全然考えとらん代表のような駅になってしもうた。もちろん無人駅。
2008年5月中ごろまでは、近距離きっぷの券売機が設置されとったとバッテン、券売機荒らしにやられたもんやケン、 現在は乗って車内で車掌からキップば買うか、降りる駅で精算するかのどちらかしかなか。
駅周辺は、秘境駅並みでなあーもなか。隣の南蔵院には、篠栗新四国八十八箇所霊場の巡礼者ば対象とした土産品店や旅館があるバッテン、普段は閑散としとる。
篠栗線は、昭和62年(1987) 国鉄分割民営化で九州旅客鉄道が継承。平成13年(2001)10月6日全線が電化された。
そもそも篠栗線の生い立ちは・・・
糸島の志摩町に船越湾ていう港がある。芥屋の大門の南側タイ。こっから篠栗ば経由して飯塚まで鉄道ば引こうて考えた会社があった。有力な株主のついて、設立されたその名も船越鉄道株式会社。明治29年(1896)のこっタイ。
目的はなんかていうたら、筑豊の石炭ば折尾・若松に運ぶより、船越湾に運んできて、こっから船積みした方がはるかに安うついて儲かる、いうことタイ。筑豊から若松に路線ば広げとった九州鉄道はそれば知って、腰の抜けるごとたまがった。
そげな鉄道のもしでけたなら、九鉄はメシの食い上げになってしまう。
九鉄側は、オモテからウラから、手ば回して力づくでてもこればツブそうてした。すったもんだのあげく、結局は九鉄が船越鉄道ば吸収合併することで話はついたとバッテン、船越鉄道が事業免許ば取っとった路線の建設は九鉄がせんならんごとなった。
九鉄がするとなら本線がすでにあるとやケン、吉塚に駅ば作って繋げばよかタイ。いうことで篠栗線が明治37年(1904)にでけた訳タイ。
バッテン、もともと邪魔されんごとライバル会社ば合併したっちゃケン、九鉄は篠栗線ば延ばす気などサラサラなかった。そのうちい、申請しとった建設許可も失効してしまう。
腹かいたとは篠栗タイ。村長でのちには国会議員までした藤金作さんやらが大運動したとバッテン、これが叶うたとは、60年も経ったあとの昭和も43年になってからやった。もうそんとき、石炭の時代はとっくに終わってしもうとった。
いま篠栗線、いや、福北ゆたか線の沿線は、福岡市の通勤圏になってクサ、ベッドタウン化して人口が増えとる。
郷口川ばのぼりきらんやった蒸気機関車に変わって電車が、黒か石炭の代わりにホワイトカラーばどんどん運んできよるとタイ。
上・駅のホームから八木山方面ば見たところ。右下に八木山越えの国道201号線と八木山バイパスが走っとる。
中・上りの博多行き普通列車が駅に到着。
下・えっちらおっちら96段上がってくると、天上の( ? )改札口に着く。苦労してあがってきただけホームからの眺めはなかなかのもの。真ん中に見えとるアンテナが若杉山のてっぺん。
上・篠栗までは3km。城戸南蔵院までは1.5km。
左・ホームから見下ろした山手地区。地上14m、5階建てのビルからのぞいたぐらいズーンときて、高所恐怖症のもんは見きらん。
でけた時から山手地区の住民に不評やったこの階段、JRに掛け合うたっちゃ話にならんもんやケン、困ってクサ、防犯上も問題やケン、なんとかみんなで知恵絞った挙げ句に行き着いたとが「壁に絵ば描いたらどうやろか」やった。
「壁いっぱいに描きよったら絵の具のバサラかいるバイ」
「タダで描いてくれるもんのおるやろか」
「どげんかなるクサ、みんなで当たってみろうや」
篠栗の国道201号線に「県立社会教育総合センター」ていうとがある。早ういうと先生やら県職員の研修所タイ。
ここい行けばなんとかかるバイ。て「山手駅ば明るくする会」の会長さんと、山田地区の区長さんが頼み込んだらクサ、おんしゃった。おんしゃった。描いてくれる人のおんしゃった。
暗い階段が
明るい絵の美術館になった
九産大芸術学部出身の三根さんと井手さん。このふたりがクサ、休みば利用してバイ、遠かとっから自転車で通うてきて、2006年の夏から約1年かけて完成させなった。
1階から一番上まで五つある踊り場と、一番上の待合室に、三根さんは4枚の風景画ば、井手さんのほうは2枚の抽象画ば、みごとに描き上げなった。
またふたりの大きな絵と天井の間には、篠栗中の生徒さんが描いた絵が、びっしりと並べられて、暗かった階段が「絵の美術館」に変身してしもうた。
九州一の長か階段で「鉄チャン」の間で有名やった駅は、ここんとこ絵が有名になってクサ、東京あたりからも鉄チャンが写真撮りにきとるらしか。
地元のばぁちゃん達も、時間に余裕持って駅に来てクサ、階段ばひとつ上がっちゃあ腰延ばしてえば眺め、またひとつ上がっちゃ絵ば眺めして、駅にあがるとの苦にならんごとなったて喜んどんなるゲナ。
そのうちに見学者の増えて、入場整理券ば出さないかんごとなるかもしれん。
興味があったら、今のうちに見に行っとったほうが利口かも知れん。
ついてに云うたらいかんバッテン、下で紹介しとる近くの新四国霊場にも参ってくれば幸運が転がり込んでくること間違いなし。
絵の写真の順番は、上が1階で下に行くほど駅の階段ば上がっていくごとなっとるケン、そのつもりで見ちゃんしゃい。
右の絵がいちばん上の待合室にある。