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 ステンショ物語 (その12)    汽車が走り出した明治の頃                 
                      駅はステーションがなまってくさ、ステンショていわれとった。
    
「幸福の黄色いハンカチ」に飾られた
 日田彦山線

 大行司駅(だいぎょうじえき)は、JR九州・日田彦山線の駅。

 村の名前ば使うとった宝珠山駅よりも、宝珠山役場にいちばん近かった。

 なんで過去形かていうたら、2005年3月28日に宝珠山村は小石原村と合併して、いまは東峰村になっとるけけんタイ。

 そやけん、いまは「東峰村宝珠山庁舎にいちばん近か駅」ていうとが正しか。

上・黄色いハンカチがひらひらしとる大行司駅ホーム。 右・古い大行司の駅名標。なんで高倉健 ?

 大行司駅は、相対式ホーム2面2線(ホームがふたあつあって、線路が2本あるいうこと)の地上駅タイ。確かに地上駅バッテン、ホームが山の中腹にあるもんやケン、駅舎からホームまで77段の階段ば上り下りせにゃならん。
  福北ゆたか線の「山手駅」 の階段が95段で九州一。ここんとは、それについで二番目に高っか。年寄りには利用しにっかろう。

 あっそうタイ。黄色のハンカチのことば忘れよつた。

 映画「幸福の黄色いハンカチ」に主演した高倉健(本名、小田剛一)の父親・小田敏郎さんがクサ、むかし宝珠山村にあった大正鉱業で労務課長ばしとんなったとタイ。

 敏郎さんは単身赴任やったケン、八幡の香月小学校に通いよった健さんはクサ、夏休みと冬休みに、母と兄と2人の妹といっしょに、決まってここば訪れとったらしか。
 それに因んで、というかあやかって、黄色のハンカチが駅いっぱいに飾られとるていう訳。

 その時、宿泊しとったとが、いま「いぶき館」になっとる「宝珠山炭鉱倶楽部」やったていう訳タイ。これも 宝珠山駅の項 で見てつかあさい。

 駅長の詮索グセで「なし ? 大行司駅ていうと ? 大行司ちゃいったい全体なんや ? 」が始まった。

 大行司駅から国道に出た正面に高木神社いうとがある。明治維新以前は、大行事社(だいぎょうじしゃ)て呼ばれとったゲナ。
 彦山霊仙寺(ひこさんりょうぜんじ)は、弘仁10年(819)に、嵯峨天皇から七里四方ば与えられ、彦山の神領として彦庄(ひこしょう)が確立したらクサ、神領内の各村に鎮守の神として高皇産霊尊(たかみむすびのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)・伊弉冉尊(いざなみのみこと)ばご祭神とする大行事社ば48ケ所に置いたていわれとる。

 この高木神社もそのひとつ、旧宝珠山村ば守護する鎮守の神として、この時、勧請されたらしか。中世では、この大行事社が、宝珠山の政治的・経済的拠点で、村民の象徴として大きな役目ば担っとったていう。大行司て書くごとなったとは、明治以降のこと、それまでは大行事やったケン、ここは誤植ではありまっせん。

 ついでにいうとくバッテン、いま英彦山ていいよるとは、始め日子山やった。上に書いたごと嵯峨天皇が勅旨ば下して彦山て改めさせなったとタイ。しかし、江戸時代の享保14年(1729)に、崇敬しとんなった霊元天皇がクサ、彦山が「ただの彦山じあ勿体なか」いうて、勅額で「英」の尊号ば贈んなったもんやケン、以来、英彦山ていうと。

 ついでのついでに、英彦山に祀られとんなる天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)いうとは、天照大神(太陽神アマテラス)の子神やケン「日子」タイ。

 読みはいっしょでも山の方は英彦山て書いて、鉄道の方は日田彦山線。ああ、日本語はややこしか。

 現在、彦山駅〜夜明駅間で、列車の行き違いができるとはこの大行司駅だけ。無人の駅舎は古か木造で簡易委託駅らしか。近所に毎日掃除ばする人のおってキレイにしとる。

 駅がでけたとは、昭和21年(1946)9月20日、 彦山線が宝珠山から大行司まで伸びてきて開業した。当時、日田彦山線は北から田川線ば延ばし、南は久大線の夜明駅から北へ向こうて延ばしてきよった。
 釈迦岳トンネルが難工事でねえ、最後の最後に大行司駅〜彦山駅の間が繋がって、東小倉から夜明けまで全通したとは昭和31年のことやった。

 始めて大行司駅に来たもんは、びっくりするやろう。
 濃い緑の山々ばバックにして、白ペンキで塗られた木造の小さな建物だけ。線路も見えんし列車ば待つ乗客の姿も見当たらん。ただ「大行司駅」て書かれた小さな看板だけが「ここは駅ですバイ」て主張しとるだけ。

 駅舎の中はガラス窓から差し込む光に何気なく貼られた村のお祭りのポスターがくすんで見える。

 待合室には木製のベンチが置かれ、事務室は人影もなくガランドウ。無人の改札口だけが、利用者ばだまって待っとるだけ。

春やったケン、ホームにさくらは咲いとるし、下には小さな小学校。
懐かしか故郷の原風景ば見るごたった。

 宝珠山村と小石原村は「平成の大合併」に取り残されたらいかんいうて、合併しなったとバッテン、合併しても人口は、たったの2.550人。そやケン、合併後も「村」。こげなとは全国でも数少なかとゲナ。

 珍しかもんやケン「ミニ合併」いうて有名になった反面、「合併の意義があったっちゃろうか」ていう声も強か。

 
どうせなら、新しか村の名前も「東峰村」なんてせんでクサ、「宝石村」にすればよかったっタイ。珍しかもん好きのマスコミが飛びついて、村おこしになったかもしれん。駅長が村長やったら、迷わずにそげんしとる。

 なんで宝石村かてな ?  想像のつかんやったらステンショ No13の「宝珠山駅」 ば読んじゃんしゃい。

 「駅長さんもし、ところで大行司駅のことはどげんなりよりますと」

 「おっとっとっとぉ。すっかり駅のことば忘れよった」

 「初めから話がそれたらいきまっせんバイ」

 「そげんいいなんな、鉄道のことやケン、脱線もする」


左・古かバッテン、堂々としとる大行司の駅舎。ホームには石段ば上の電柱のとこまで登らないかん。

石段ば撮しよったら「てつ旅」のあんちゃんが階段ばあがっていった。挨拶したとい、挨拶も返しきらん男やった。

ホームから見た駅舎は遙かに下。手すりがついとるちゃあいうもんの、年寄りには無理。

日田彦山線の名所「三つのめがね橋」

 大行司駅から筑前岩屋駅の間には、3つのめがね橋がある。
 完成したとは昭和13年(1938)バッテン、開通は日田彦山線が全通した昭和31年(1956)。これらの橋、専門的には「無筋コンクリート充腹アーチ橋」ていう。
 北の筑前岩屋駅から順に、栗木野橋が長さ71.2m。宝珠山橋梁が79.2m。第二大行司橋梁が54.9m。毎年12月にはライトアップされる。

 奈良尾の谷に架かっとる「めがね橋(宝珠山橋梁)」は、テレビ番組で「日本一美しい鉄道橋」いうて紹介された。

場所・福岡県朝倉郡東峰村。 大分自動車道ば杷木ICで下りて左折。1kmの「池田信号」ばまた左折。県道52号線ば約6km北上する。「塔の元信号」に突き当たったら、右折して国道211号線ば約2km南下すると役場前通り越して「宝珠山信号」。直進100mで左へ曲がると駅に突き当たる。            取材日 2007.03.31/2008.09.22

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