このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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前回の
日田行き
では、
老松酒造
の粕取り焼酎“まるき”を発見したものの購入には至らなかった。薄給の身ゆえの大失態を演じたのであるが、好きなモンを追いかけるのである。恋に障害は付き物のように、焼酎探査にもちょっとくらいイベントがあっても良いのである。・・・というわけで前回の探査から2週間後の1月29日。再度日田へアタックをかけることとなった。
前回は金銭面に加えて時間的にもやらかしてしまった。宮崎を出る時間が遅かった為に日田に到着したのが夕方。酒屋は3件ほどしか見ることが出来なかったのだ。今回はどれだけ多くの酒屋を回ることが出来るか。これが目当ての焼酎を入手するための大前提となる。と言うわけで、宮崎を早朝6時に出発したのだった。
その後は順調に事が運び、何とか午後1時頃には日田に到着する。今回の目的はズバリこれである。
1.井上酒造の粕取り焼酎“大海”の店頭在庫確認及び確保。
2.老松酒造の粕取り焼酎“まるき”の店頭在庫確認及び確保。
3.その他何でも良いから大分焼酎の購入。
この3つを掲げたのであるが、家計を鑑みると全てクリアーとは行かないようだ。よってこの順番の通り優先順位をつける物とし、wifeの許可をもらった。 井上酒造及び老松酒造の界隈に酒屋らしい物が見あたらないことは分かっていた。今回の探査の主活動域は日田市街地の今まで入り込んだことがない地域となる。
まずはJR日田駅の北側。古い商家や蔵屋敷の街並みが残る豆田地区である。
初めて同地区に入り込んだのだが、カメラを持っての路地裏探検にはもってこいの雰囲気だ。ただ、こういう風な探索型の観光地にはお決まりの“お土産向け雑貨屋さん”がだいぶん侵出している事が気になったが。いずれゆっくりと歩いてみたいと思うが、今回は粕取り探査であった。
・・・この豆田地区には日田の粕取り親分である“三隈”を造っているクンチョウ酒造さんがある。熊本国税局の鑑評会でも優等賞の常連、そして全国の鑑評会で金賞受賞という銘醸蔵である。花月川(美しい名前の川だなぁ・・・。でもあまり水はきれいではなかったですが・・・。)のほとりに建った蔵でして、『薫長』と代表銘柄の清酒の名前が入った煉瓦煙突がスッと空に向かって伸びている。
入館料も無料というから、立ち寄ってみることにした。
観光客が非常に多く、試飲可能な販売所にたむろっている。ツアーにも見学が組み込まれているのか、旗を持ったバスガイドさんが酔っぱらい相手に奮闘されていた。販売所はゆっくり見たいので、奥へ奥へと足を進めた。
タンク室などの扉が開いており、中を覗くとが出来たが、微生物を扱う酒造りである。当然ながら、そのような造りの現場に足を入れることは出来ない。
資料室に置いてあった日田を紹介した古い雑誌等を見つつ、階段を上がって酒造りに使用していた古い道具を見る。焼酎瓶はあるが、粕取り焼酎を蒸留するときに使用する道具一式は見あたらない。これについては
猛牛師
が
以前
紹介されている通りで、粕取り焼酎が未だ現役であることを表している。 販売所を覗く。銀杏焼酎なる非常にマイナー心をくすぐられる限定品も置いてあったが、棚にずらりと陳列された“三隈”は圧巻だ。
手前が35度で奥2本が25度。撮影をしていたら、顔が真っ赤になったおっちゃんが係のお姉さんに「その“みたか”って焼酎、美味いの?」と聞いていた・・・。
再度ハンドルを握り、目に付いた酒屋にアタックをかけ続ける。
やはり蔵のお膝元であろうか。“三隈”は確実に置いてある。「井上さんや老松さんの粕取りはないですか?」と聞いてみるのだが、「これしかないよ。」と“みたか”じゃなかった・・・、“三隈”を指さしておっしゃるのだ。筑前系のスーパーの敷地内にあったディス屋では八鹿さんの“鹿の子”と共に陳列棚の大きなスペースを占有している。販売量は“鹿の子”を完全に引き離しているようだ。
日田の粕取り焼酎について尋ねたところ、日田の3蔵(井上、老松、クンチョウ)の中ではもっとも“三隈”が好まれていたらしい(豆田地区の酒屋なので当たり前だが)。“三隈”については、最近ではやはりにおいがネックになっているそうで、昔と比較するとなかなか商品が動かなくなったらしいが、たまに4合瓶を若い方が買っていくこともあるそうだ。
ちょっと哀しい話を聞いた。
「井上さんも老松さんもここ10年くらい造っていないはずだよ。」
猛牛師
が
蔵前
で女将さんに伺った話では粕取り“大海”は細々ながら造りを継続していると言うことだっだが・・・。しかも、老松さんの粕取り“まるき”に至っては絶版の可能性が浮上してしまう。 ちょっと面白い物を見つけた。同じ豆田地区の深見酒舗さんである。“薫長”、“老松”となかなか味のある看板を掲げる同店であるが、“三隈”は目立たないところに置かれていたが在庫は豊富。
若い店長さんが対応してくださったが、それこそ昔からこの地区は粕取り焼酎と言えば“三隈”だったという。日田周辺で何故生活の酒としての粕取り焼酎が残っているのかを尋ねたが、「当たり前に飲まれてきたので、私も意識したことがないです。」とのこと。言われてみれば確かにそうである。何ら特別というわけではない、日常の風景なのですね。

で、面白い物がこれだ。“梅酒”である。値段は1升瓶で2410円。「何だか高くないか?」とも思われるだろうが、そこら辺にある甲類焼酎に漬けたようなぁ梅酒ではない。
なんと、粕取り焼酎に漬けた梅酒なのである!!!
以前、福岡の
杜の蔵
さんで飲ませてもらったり、自分で漬けた物を飲んでその美味さにぶっ飛んだことのある粕取りの梅酒であるが、きちんと店頭化されているのにはぶっ飛んだ。製造元は老松酒造。・・・って、“まるき”の在庫分。まさか梅酒に使用しているわけじゃぁないですよね?この“梅酒”はとっても気になったのだが、もし“大海”が出てきたときのことを考えると購入できなかった。これも宿題になりそうです・・・。
探査はまだまだ続く。豆田からちょっと西にある酒屋を攻めた。カメラを構えるのを忘れたので申し訳ないのだが、“三隈”だけはどの店にも置いてある。その他“碧雲(これは初めて見たなぁ・・・)”も発見したりとそれなりに楽しい探査となった。
ある古そうな酒屋に入った。棚を見渡すと杜の蔵さんの米焼酎(銘柄は忘れたが“豪気”ではない)であるとか、なんだか色々と妙な焼酎が並んでいる。“大海”を持っていないか確認したが、店番をしていたおばあちゃんの口からは期待していた答えは出ない。・・・しばらく棚を物色していると最下段にラベルが少しヘタった瓶が・・・。
「おばあちゃん!あるやん!」
「あらホント!?」と少々ビックリしたような顔をされて、「買われるんでしたら、こっちも少しくらい勉強させていただきますよ。」と笑われた。
結局、この“大海”は150円引きの2000円で購入することが出来た。それなりにドラマティックな出会いであった。ついでなので日田での粕取り焼酎の飲み方について伺う。おばあちゃんの言われるには、盆焼酎の習慣もあったらしいが、大抵はコップに並々と注いで生でがぶ飲み状態だったらしい。おばあちゃんは更に話し続ける・・・。
おばあちゃん:「うちにも昔は角打ちの台があったっちゃけど、最近は警察も
厳しいでしょ?だから日田ではあんまり角打ちが残っている
店もあまりないはず。ちょうどあなたの背中の辺り(指を指し
ながら)に台があったかな。
えっ?粕取りは飲まれていたのかって?いえいえ、地元の清
酒がほとんど。あとは麦焼酎が多かったですね。たまに飲ま
れる人はいらっしゃったけど。」
なにやら貴重な話が聞けた。ちなみに「今の日田では粕取り焼酎は飲まれなくなった。」という話をここでも聞く。今では麦焼酎の他に芋焼酎の人気も高まりつつあるらしい。
ここまで来て、レジの後にある瓶が目に入った。ぶら下げられた札には『老松酒造 粕取り焼酎 六九〇円』とある。「若い人が買いやすいように、こげな風にして売りよると。」とのこと。現在は量り売り用の瓶を切らしていることもあって、販売休止だそうだ。残念・・・。 
物はしっかり確保したが、三隈川沿いの旅館街を探査することとした。
もう見飽きたという感のある“三隈”であるが、本当に地元に浸透している様子がうかがえた。数件を見たがこんな様子で、宮崎を出る頃には晴れていた空も雲に覆われ、だんだんと厚くなっていく。
ある酒屋さんに入ったのだが、やはり“三隈”が陳列棚の最上段に鎮座していた。以前は“大海”をメインに扱っていたが、いつの間にか入ってこなくなり(井上さんが粕取りの仕込みを辞めたという意味でおっしゃった)、今では代わりに“三隈”を置いているのだという。
記念にとってあるという“大海”を見せていただいたのだが、画像の右側が35度、左側が25度だそうだ。以前私が井上酒造のページで見たことのある“大海”のラベルは右の暖色系の物である。やっと再会できたと言う思いでいっぱいになった。写真を撮っても良いとのことなのでお言葉に甘えさせていただく。
先ほどの店で私が確保した“大海”は35度であったが、ラベルは左側の青系の物であった。暖色系のものが本来の35度のラベルであるならば、ちょうど出荷時期に切らしていたのであろうか。
自分が購入した瓶との差違に色々と考えてしまった。
ちなみに“大海”。においはそれなりにきついが、濾過が十分にされていたのだろう。当時から“三隈”のように白濁、油が浮くということはなかったそうだ。
35度の瓶。興味が湧くのが王冠で栓がしてある。一体いつの詰め口なのだ?
店の方にも分からないとのことだった。
お礼を申し上げて店を出た。
今回の粕取り探査は“大海”の確保をもって終了である。この探査において得ることが出来たのは、飲み手側の変化や芋焼酎の流入などによって、昔と比較すると生活の酒としての地位を下げつつも地元に十分に浸透している“三隈”の姿であり、酒屋の認識の中では既に『過去の酒』となった“大海”や“まるき”の姿であった。ただ、これだけは言いたいと思う。今回の探査で粕取り焼酎を見ることが出来なかったのはコンビニくらいの物であった。この日田は“粕取り焼酎天国”なのである。
・・・一応の終わりを見たような締めくくり方ではあるけれども、“まるき”も確保していないし、老松さんの梅酒も欲しいのでもう一回くらい日田には行くことになりそうです。ですから、もうちょっと引っ張りますね(自爆)。
(05.01.31)
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