このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

熊本県と大分県の(本当に)県境に位置する杖立温泉。

温泉街の一番北側に位置する大きなホテルには、館内にその県境がある・・・などと紹介されているのだが、 その歴史は1,700年もさかのぼることができるという。

遙か昔の神功皇后の三韓征伐の際、戦の後に宗像付近まで引き上げたところで突然産気づかれる。・・・で どこをどうたどられたかは存じ上げないが、このこの杖立で仲哀天皇との間にできた応神天皇を無事ご出産。その際に産湯として使われたのが杖立温泉の起こりとか。

この伝説の舞台は、今の露天風呂“元湯”とされているそうだ。
その後は、かの“弘法大師”空海も旅の途中に寄られるなど、全国に名高い湯治場として発展する。私自身、農家の飲み会などでこの温泉にまつわる昔日の色話等を聞く機会もあったのだが、今は山奥のひっそりとした温泉街・・・と言う風情である。

「九州の奥座敷」として隆盛を誇った名残はいくつかの大きな温泉ホテルに感じることができるが、山の斜面にへばりつくように林立する旅館やその間に延びる幅1mにも満たない路地などどこかなつかしい「昭和」を思い起こさせ、杖立川を眺めることのできる温泉を求めて今も多くの人が集まる。そういえば、毎年5月に谷に翻る大群の“こいのぼり”は九州を代表する初夏の風物詩であった。
杖立温泉のある小国町には清酒“蓬莱”を醸す河津酒造(名)がある。 一昔前まで は粕取り焼酎“熊襲”を製造していたらしいが、近年ではとうもろこし焼酎の“ひごだい”や麦焼酎“おでさん”等が主流の銘柄となっているようである。同蔵では先般の焼酎ブームを受けて、芋焼酎の製造など商品の多角化に精力的な蔵元なのであるが、その波に乗る最中、久々に粕取り焼酎の製造を再開した。

これが河津酒造の粕取り焼酎“蔵々”である。度数は30度(青)と40度(赤)と言うことであるが、この後のドライビングを放棄して試飲をしてみたところ、やはり度数が高い分、40度の方が美味く感じる。うまい焼酎だと思ったのだが、ネックとなるのは価格のようで、30度でも2,000円の大台に乗ってしまうのだった。・・・買うことができなかったのが恨めしくてねぇ。
旅館に着き、部屋で薄めの茶をすする。夕食までは多少時間があるようだった。

せっかく杖立まで来たのだし、下駄を履いて付近を歩いた。
温泉街のメインストリートには深夜2時ま開いているコンビニはあるが、こちらは酒類の扱いはない。

このコンビニよりも小国市街地側に1軒の古い酒屋がある。この他に酒屋はない様子だったから、温泉街の酒類配達、宿泊客の需要を一手に引き受けているのだろう。

河津酒造の“蓬莱”のカップ酒を買おうと店に入ると、おばぁちゃんが出迎えてくれた。焼酎は大分、人吉の大メーカーのものが棚には並んでいる。今から配達だったのだろう。忙しい中申し訳ないが、店の大将が応対してくれたのも嬉しい。

「蓬莱のカップはありますか?」

そう聞いてみると、無いという。代わりに手渡されたのは何故か日田の酒蔵の“
薫長”であった。阿蘇方面から延びる日田往還の途中にある杖立温泉である。・・・だが、棚には主に福岡の酒の1升瓶が並んでいたのだ。ということは、人の交流、業者の攻勢・・・。色々とあるのだろうか。

粕取り焼酎について聞いてみた。大将は「うそ!?(粕取りを)好んで飲むの!?」といった顔をしながら、

「すみません。昔はあったのですが、今は飲む人も少ないから扱っておらんとですよ。」

話によると、以前は“ 三隈 ”が日田から杖立まで入ってきていたという。やはり、地理的な日田の影響が強いのだろうか。飲み方については以前から紹介しているとおり、そのまま飲んだり、夏場に蜜(蜂蜜、氷砂糖etc)を入れたりしていたようだ。

店が粕取り焼酎を扱っていたのは20年ほど前まで。日田の町中では今でも粕取り焼酎が飲まれる環境はあるのとは対照的である。“三隈”消費の周辺地であり、(芋焼酎は無かったが)観光地であるためなのだろうか。

ちょうど、妻から電話があった。夕食の準備が始まるということだったので、日田のカップ酒を袋に入れてもらって、もと来た道をカランコロン・・・と戻ることにした。

数百メーター歩いただろうか。さっきの大将がカブに乗って私を通り過ぎていく。荷台にはP箱が乗っていたが、ロープではなく手だけで器用に支えていた。通りの飲食店も、夜の営業に向けて準備を始めているところであった。
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(06.07.22)
杖立温泉の酒屋

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