このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください
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川南町にある“
合資会社 都乃泉
”が廃業される。
そのような記事が地元新聞の朝刊に掲載されたのが2008年12月17日付けであった。来るべきXデーは2009年の3月。職場の配属の関係で児湯郡にお世話になったことがあってたまに代表銘柄である甘藷焼酎の“
都の泉
”を飲む機会があったが、ラベル共々、味のある良い焼酎であった。
蔵の歴史は87年。大杯と黒の2種類の“都の泉”、樫樽貯蔵の“平成元年”、地元尾鈴山中にある名瀑府“矢研ぎの滝”から名前をとった“矢研”(麦焼酎?or麦と芋のブレンド?)といった銘柄を世に送り出していた。また、“都の泉”には地元の通浜漁港から取った“通浜”というPB銘柄を地元の酒店が出していたと記憶している。また、土産向けにかぼちゃの焼酎を出していたこともある。これも地元がかぼちゃの一大産地だからこそ出来たことだろう。 そうやって伺ったのが、“都の泉”に大杯と黒の2種類のラベルが存在する理由であった。聞いてみれば蒸留の課程の差であるという。
普通であればその色がそのまま甘藷の品種や使用する麹の違いを表すのであるが、ここではより飲みやすい風味の物を黒、昔ながらの芋くさい焼酎を大杯として店頭に並べていたという。ねらいはあるのだろうが、もしかしたら「わかりやすいから・・・。」と笑って答えられるかもしれない。
都城の大手銘柄に押されてはいたが、昔からの熱烈な固定客がついた地焼酎。
今、記憶をたどりながらこのコンテンツを打っている訳だが、川南の中心部であるトロントロンの風景がぱっと浮かんだ。ハイコントラストの真夏の昼下がり。通りには杯の図案の入った黄色い看板を掲げた店が並んでいる。そのような風景だ。
廃業の理由は高齢化と後継者の不在だという。記事を見て慌てたのだが、東郷町の
七福酒店さん
に連絡を入れてかぼちゃ焼酎を確保し、宮崎市内の酒店をかけずり回って麦焼酎を買い求めた。貯蔵10〜25年という焼酎の販売が宮崎県内限定という事に助けられた。箱から出して並べてみたが、思い入れのある蔵の最後の銘柄なだけにきっと開封することが出来ないままだろう。 私が初めてこの蔵を訪れたのはまだ学生時代だ。大学が大きな休みに入り、実家への帰省途中に父へのお土産を・・・と立ち寄ったのである。
宮崎市内から国道10号線を北上し、川南町と都農町のちょうど町境。路地を一本海側に入ったすぐの処に建っている鳥居が目印であった。その付近は蔵の建物が建っていて工場然としているのだが、2007年に鳥取県で開催された
第9回 全国和牛能力共進会
において第2区の優等主席を出した畜産の町である。耳をすませばどこからともなく牛の鳴き声が聞こえてくる。
そういえば、近くに軽種馬の生産農場があったが、今もあるのだろうか。 蔵の引き戸を開けて中に入るといつも女将さんが出迎えてくれ、“都の泉”や“平成元年”を包んでくれた。毎度アポなしの訪問であったのでびっくりされたかもしれない。
その間、近くのおばあちゃんが世間話に訪れ、私と同じように焼酎を買って行く。
焼酎をくくってくれる間、他愛のない話をして時間を過ごす。そうしていると代表銘柄の“都の泉”がかつて児湯地域を代表する銘柄であったという古い話をしてくれたのが印象に残っている。
ついつい、お忙しいにもかかわらず長居をしてしまう。
長期貯蔵原酒
(かぼちゃ&麦)
(2008.12.23)
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