このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

3日目〜スーパーひたちとかしてつと大都会〜

また早い時間に目が覚めました。というよりあまり寝付けなかった
と言う方が正しいかもしれませんが、とにかくもういいやと思って
起き出して、露天風呂へと向かいました。
空はまだ暗く、外の様子があまり分かりません。
傍には川があり、どうどうと勢いよく流れる音が良く響きます。
勿論誰もいません(笑)
そりゃそーだよなーと思っていたら、一人だけ入ってきました。
「お早うございます」と挨拶を交わして後は静かに時を過ごします。
ようやく空が白んできました。冷たい、というほどではない心地よい
空気で時々体を冷ましながらのんびり露天風呂を味わいます。
露天風呂へ続く階段1
露天風呂へ続く階段2
露天風呂へ続く階段3
露天風呂へ続く階段4
露天風呂
思う存分堪能した後、部屋に戻り朝食までの時間をゆっくりテレビを
見ながら過ごします。天気はまあまあといった感じですが
私にとっては雨さえ降らなければ上々なのでとても良い状況です。
やがて朝食の時間となり、会場へ向かいます。和洋バイキングと
なっていて、大抵は洋食を選ぶのですが並んでいた和食がとても
美味しそうだったので今回は和食にしました。
おかゆがあって、疲れた体にはとてもありがたかったです。
デザートは果物の他にケーキまであって、朝からいただいて
しまいました(笑)
朝食をしっかり食べた後、部屋でくつろぎながら予定の時間が
来るのを待ちました。
旅館を後にして送迎車で作並駅に到着。
空は晴れていて寒さも大したことなくいい感じです。
作並駅は普通のローカル駅といった印象ですが、実は“交流電化発祥の地”
という鉄道史に残る駅だったのです。詳しいことは別の専門的な所に
委ねますが、交流にすることによってメンテナンスがしやすくなるとか
よりパワーのある電車を走らせることが出来るなどのメリットが生まれ
るそうです。その礎を築いた所に偶然とはいえ降り立ったことが
何だか鉄道との不思議な縁を感じました。
交流電化の碑
作並駅
仙台に戻って、ここから個人的にちょっとしたイベントと思うことが。
…いや、単に特急を使うってだけのことなのですが(爆)
しかも指定席じゃないし(^_^;)
接続時間が短いので急いでスーパーひたちに乗って一息。
ここから約3時間の特急の旅です。田園風景や遠くに海が見えるなど
それなりに良い景色なのですが、いかんせん只見線の衝撃が強すぎて
平凡な印象を抱いてしまいます。心地よい椅子と揺れで気持ち良く
なってウトウト…ふと眼を覚ますと、車窓に古いトンネルが見えました。
(あれは!?)俄かに高揚して車窓を凝視すると、煉瓦造りのトンネルと
レール跡のような道が連続して常磐線に並行して現れます。
後日調べてみたら、やはりそこは廃線跡でした。常磐線の旧線だそうで
かつてはそこをC62などの蒸気機関車が走っていたのです。
昭和42年に一部電化で新線に切り換えられたとのことです。
こんな傍で見られる廃線跡はかなりの見どころではないかと思います。
しばらく釘付けになった後、また平凡な車窓になりウトウト。
そのうち、水戸に到着。ここでまた鈍行に乗り換えます。
ところが、乗り換えのホームに来ると、3階建ての車両が連結された
ひょっとするとさっきの特急より豪華かもという電車が止まって
いました。
(おかしーなー、ダイヤ通りだったらこの列車に乗らなアカンねんけど)
戸惑っていると、同じように戸惑っている中年の女性がその電車に乗ろう
としていた青年に訊ねています。
「(指定券が無くても)普通に乗れますよ」と言うのを聞いて
大丈夫なんだと安心し(笑)乗り込みました。
しかし、座席はほぼ満員。座れないかも、と少し焦って、ようやく
座席を見つけて座りました。
水戸ではすぐそばの偕楽園の梅が奇麗でした。
石岡でこの豪華?な電車とお別れです。
そして、跨線橋を渡り、向かう先は『鹿島鉄道』♪
昨日行けなかったくりでんと共に3月で消えてしまう鉄道なのですが
JRから鹿島鉄道のホームに向かうに従い、独特のオーラが漂うのを
感じました。ホームに来て最初の感想

紀州鉄道の匂いがする

似てるというか、空気が同じ??うまく表現出来ませんがとにかく
そんな印象でした。
車庫には色々古い車両が止まっていました。私の他に数名のテツが
三脚を持ってあちこち動き回っていました。
私もデジカメを持って色々撮影。
やがて鉾田から来た列車がやって来ました。
その列車が以前乗った紀州鉄道の車両と恐らく一緒で
(もしかしてこれに乗れるの!?)と浮き立ちました。
すると、一体今までどこにいたのかというくらいテツが
集まってきてちょっとした撮影大会。
車両からは普通に生活の足として利用している一般の人々が
降りてきます。
その車両を撮りたかったのですが・・・・・・・・・・
撮りたかったのですが………
三脚軍団に紛れることがどーーーーしても出来ませんでした(号泣)
しかも、その車両はそのまま車庫に入っていってしまい
代わりにやってきたのはレールバス。残念ですが仕方ありません。
車両に乗り込んで、出発を待ちます。
先ほどの三脚軍団はいつの間にか消えていました。
何人かは三脚を抱えて乗ってきたのですが、これだけ?さっきの
軍団はいずこに行ったのでしょう。
列車は動き出しましたが天気が怪しくなってきました。今にも
雨が降り出しそうです。
藪の間を抜けるような感覚で列車はトコトコ走ってゆきます。
霞ヶ浦が遠くに見えたと思ったら、割と近くまで迫る所もありました。
見方によっては水面を走ってるようにも見えて
『千と千尋の神隠し』に出てきた鉄道風景のモデルになったんじゃ
ないかと思うような風景でした(実際は分かりませんが)
鹿島鉄道の駅にある時刻表は何故か漢数字。味があります。
家と家の間を抜けて行ったり、田畑の間を通ったり藪の間を
抜けたり、只見線のダイナミックな風景と対照的に、細かい
変化を楽しめる路線で飽きることなく終点鉾田へ到着。
あまり滞在出来る時間が無いため急いで写真を撮って
構内にある店でたい焼きを買おうと思って店をのぞいたら
人の気配がありません。もしかして閉まってるのかなと落胆していたら
向こうから「はいはいはい〜〜」という女性の声が。
店に入ってきたその女性は、「たい焼き?」と私に聞いてきた
ので、あずきとクリームを注文。女性は既に焼いておいて保温してあった
たい焼きを取り出しました。
あつあつのたい焼きを持って急いで車両に戻り、石岡へ戻ります。
沿線で鹿島鉄道の撮影をしていたと思われる男性などが乗って来ました。
沿線の至る所で三脚を構えたテツを見かけました。
それでも土日の様子をネットで見ると、この日はこれでも少ない方なのかぁ
と妙な感心をしてしまいました。
途中からとうとう雨が降り出してしまいましたが、しばらくして
止むと雲の切れ間から光のカーテンが霞ヶ浦の対岸に現れました。
鈍く光る霞ヶ浦に虹のように何色も輝いてそそぐ光は幻想的な光景でした。

鹿島鉄道1
鹿島鉄道2
鹿島鉄道3
鹿島鉄道4
鹿島鉄道5
鹿島鉄道6
鹿島鉄道7
鹿島鉄道8
鹿島鉄道9
鹿島鉄道10
鹿島鉄道11
鹿島鉄道12
かしてつの旅もあっという間に終わり、また常磐線で東京へ。
どっぷりローカルの旅情に浸っていたのが、一転して大都会の
喧噪の中へ。待ち合わせしていた友人と食事をしてこの旅行の
話で盛り上がりました。友人に言われた“旅情マニア”
という言葉に激しく同意。旅テツというより、その方が
しっくりくるという結論に至ったのでした。
そして友人と別れて馴染みのお店へ向かい、お店の人たちと歓談。
どこか行ってきたの?と聞かれた言葉を発端に、私がテツだという
ことがバレてしまいました。

「っ変わってるなあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

思い切りしみじみ言われてしまったのでした。否定する余地も
ありません(笑)
お店を出て、始発までの時間を24時間営業の店で本を読みながら
過ごしました。そして、いよいよ最後の行程が始まります。

4日目〜帰りは飛騨の山を爆睡で越え〜
2日目つづき

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