小河内線の場所 |
東京都西多摩郡奥多摩町氷川(奥多摩駅) 〜 東京都西多摩郡奥多摩町境(水根駅跡) |
小河内線の歴史 |
小河内線は、都民の水瓶・小河内ダムの建設資材運搬用に東京都水道局が施設した貨物線です。 ダムの建設が決まったのは1932年(昭和7年)ですが、水利紛争のために4年間手がつけられず1936年(昭和11年)になってから工事が始められました。 しかし、翌年に勃発した日中戦争をきっかけに工事は遅れ、太平洋戦争に発展して戦局が悪化した1943年(昭和18年)には工事は中止に追い込まれました。 終戦後の1948年(昭和23年)に工事は再開され、セメントや砂などの主要資材運搬のための専用鉄道・小河内線の施設がこの年に始まりました。 当初はロープウェーによる資材運搬が計画されていましたが、輸送の確実性や費用などを考慮して鉄道に見直されました。 非常に険しい山岳地帯に施設するため、23箇所のトンネル(3.3km)と23箇所の橋(1.1km)を建設する難工事になりましたが、 1952年(昭和27年)11月に小河内線は当時の国鉄青梅線の終点氷川駅からダム工事現場(水根駅)までの6.7Km全線の開通となりました。 小河内ダムは小河内線の活躍により、1957年(昭和32)年に完成となりました。 ダム完成後に役割を終えた小河内線は休線となり、山の景観の一部となる余生を送り始めました。 バブル期には、黒部ダムの黒部峡谷鉄道のような観光用鉄道として営業運転する計画もありましたが、実現されることなく現在に至っています。 |
現在の小河内線 |
当時の国鉄氷川駅は奥多摩駅と名前を変えて、JR青梅線の終点として営業しています。一方水根駅は大部分が草木に覆われていますが、一部トラック運搬による砂利置き場として活用されています。 小河内線の線路はほぼ全線に渡り残されていて、途中、奥多摩むかし道(ハイキングコース)の迂回路として整備されている区間もあります。 ほとんどのトンネルは使われなくなってから半世紀以上経っているにも関わらず、内部の壁面・レール・枕木等きれいな状態で保存されており、そのまま車両を走らせることができそうです。 点在する橋は、遠くから見る分には問題なくしっかりと建っていますが、近くで確認すると金属部分が錆びてぼろぼろになっていたり、木製の枕木が腐っていたりで危険な状態のものが多く存在します。 トンネルや橋以外の箇所は、山腹に位置しているため落石の痕跡があったり、草木や土や落葉に埋まっていたりする所が多く存在します。 全体的に山と同化していく感があり、四季折々の姿を演出してくれます。 |