このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

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大人の存在1

冒頭でも述べたように、『銀河鉄道の夜』は大きく四度の改稿がなされています。
なかでも、3稿から4稿への改稿は大幅です。

3稿から4稿への改稿で大きなところをまとめてみましょう。


 1・「一、午后の授業」から「三、家」が新たに冒頭に付け加えられている。
  (世界観の説明と、銀河鉄道に乗る前の伏線はりになっている。)

 2・ブルカニロ博士の存在が完全に削除されている。(カンパネルラの父が彼のなごりか。)
  (1〜3稿では、銀河鉄道からカムパネルラが消えたあと、泣いているジョバンニの元に
   博士があらわれる。博士はジョバンニの銀河鉄道での旅は、自分による実験
   だったことをあかす。特に3稿のブルカニロ博士はいろいろな事をジョバンニに教える。
   その内容はかなり哲学的。ブルカニロ博士は賢治自身かもしれない。ちなみに、
   実験とは「遠いところから私の考を伝へる実験」。)

 3・ジョバンニの心の独白がなくなった。
  (3稿では、特に冒頭に多かった心の独白。カムパネルラへの思いや、自分の境遇に
   ついてずっと独白している。内容は4稿の境遇よりシビア。お父さんが本当に監獄に
   入っていたり。完璧な自分の同伴者としてカムパネルラを求める姿に賢治とジョバンニ
   がかぶるように思う。ジョバンニも賢治自身かもしれない。)

この大きな改稿は、
賢治が3稿から4稿になおす間に、
『銀河鉄道の夜』を「少年小説」として書こうと意識したことによるとされています。

賢治の残したメモのなかに銀河鉄道の夜を「少年小説」と分類したあとがあり、
そのメモの書かれたた年代がちょうど3稿から4稿がおこされた年代にかぶるからです。

賢治の生の声を聞くなら、3稿が一番いい。

3稿でのブルカニロ博士はとてもよくしゃべります。

ブルカニロ博士は賢治自身であると思われ、
銀河鉄道での旅を「実験」と称して、
世界について、人について、思想について、生きるということについて
かなり饒舌に語っています。

賢治が大人として子供に伝えたいことを
直接子供に語りかけている感じです。

けれど、子供(読者)のための物語だということを意識した時、
作品に込めた思いが
〔自分で考えて自分なりの答えを見つけ出していくことの大切さ〕である以上、
自分の考えをそのまま押し付けるだけのかたちにはしたくなかったのでしょう。

教わるより、自分でわかる事が大切。

と、いうわけで
子供が自分で答えを考え出せるようにところどころにヒントを隠し、
ブルカニロ博士の饒舌な言葉はオブラートにつつまれて
作品の色々なところに分散されてゆきます。

大人の存在は静かに子供を導く者としてだけ描かれます。

時に質問を投げかけ、ヒントを与え、考えることを促すのが大人達です。

4稿で新たに追加された「一、午后の授業」の章では、
先生が星図の銀河をさして質問を投げかけます。

「ではみなさんは、さういうふうに川だと云はれたり、乳の流れたあとだと云はれたりしてゐた
このぼんやりと白いものがほんたうは何かご承知ですか。」

ジョバンニは「たしかにあれがみんな星だと、いつか雑誌で読んだのでしたが」
「なんだかどんなこともよくわからないという気持ちが」して、
先生に指されても答えることが出来ません。

銀河とは何か?星とは何か?

物理的な答えとは別に、
そのモチーフに隠された精神的な意味。

これは『銀河鉄道の夜』の大きな命題です。


3稿ではこの答えにあたるものを
ブルカニロ博士によって教わるジョバンニですが、
最終稿でのジョバンニは自分で導きます。

けれどその導いた答えも読者に自分で考えさせるために
あまり饒舌には描かれません。


『銀河鉄道の夜』は饒舌な答えを望む人には幻想の美しさ以外とても単調かもしれません。

けれど、大人達の投げかける言葉に耳を傾けて
幻想世界の奥にあるものに目をこらして、
よくよく読むと
隠された様々な命題が鮮やかに浮かび上がって来るように
かなり意識的なしかけがなされている作品です。



けれど、3稿は確かにわかりやすいです。
私も3稿を読んでからこの作品を好きになりました。

4稿ではられっぱなしで解消されていない伏線が
3稿のほうではちゃんと解消されているところなどもありますし。

大人になったらお勧めです。3稿。

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