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軽井沢スキーバス事故の論点





■平成28(2016)年1月15日軽井沢スキーバス事故

 平成28(2016)年 1月15日未明、軽井沢の碓井バイパスで発生したスキーバス事故は、死者15名という大事故となった。亡くなられた乗客は全て大学生、たいへんに痛ましく、この時代において衝撃があまりにも大きい。故人らの死を悼み、冥福を祈るとともに、他の受傷者の回復を願ってやまない。

 本事件に関する報道は多様な側面からなされている。どうやら、バス運行会社の運営が杜撰であったことは間違いなさそうだ。そのような事実関係は、公式な調査や捜査・訴追によって明らかにされるであろう。バス運行会社の非を糾弾する役目は、多士済済の論者がおられるだろうから、筆者は敢えて担わない。奇を衒うわけではないが、付和雷同せずに論点を呈示するのが、筆者のような者の役割だと自覚する。

 さて、筆者は本事件の報に接し、早い時点から「これは日本の労働力問題の典型断面の一つ」という印象を持った。筆者は鉄道を専門とし、交通現象に多大な興味を持ち、人口問題その特殊解としての労働力問題が関心事項となっている。過去記事も何編か存在する。以下、筆者の問題意識に即して、解説しよう。

   脆弱なる足許 平成25(2013)年10月 1日
   緩慢なる危機 平成26(2014)年 4月23日
   平成27(2015)年・鉄道の論点 平成27(2015)年12月22日

 日本のバス事業は近年、高速バスの発展に加えて、割安(格安)貸切バスの需要が伸長している。特に後者は、内需のみにとどまらず、インバウンド団体旅行の強烈な追い風が吹いている。今や、著名観光地を擁する地域のハイシーズンでは、サイズ問わず貸切バスを押さえるのが難しくなりつつある。

 その一方、大型バスを運転できるドライバーの数は減少傾向にある。大型二種免許保有者において、特に20歳代の絶対数が極端に少なく、30歳代に至っては絶望的な減少傾向をたどっている。絶対数最大の年齢帯は、平成19(2007)年以降75歳以上が不動の座を占め続け、高齢化社会日本を端的明快に象徴する状況となっている。

 片や需要が伸び、片や労働者人口が減っている以上、対応しきれない断面が生じるのは当然すぎるほど当然にすぎない。社会全体で、インバウンド需要を敢えて抑えるか、大型二種免許保有者を充分な数養成するか、そのどちらかを選ばなければ、社会的状況は変化せず、危険は常に内在する。需要に応えきれていないのに、需要を制御せぬままこなそうとしている現状は、かなり危ういといわなければなるまい。





■監督(規制)強化だけでは危険を除去できない

 運輸局によるバス運行会社監督は、為されてはいたものの、必ずしも充分ではなかったようだ。おそらく今後、監督(または規制)強化が進む方向になるだろう。これにより、本事件を起こしたような、まともな運営ができない会社が淘汰される可能性は高く、その結果として、類似事故の発生はとりあえず抑えられるであろう。

 しかしながら、社会的状況が変化しない限り、類似事故発生の圧力が潜在し続けることは前述したとおりである。まともな運営ができる会社であっても、制度が疲労する懸念がある。

 さらにいえば、まともでない会社を排除し、社会的状況を良い方向に変化させたと仮定してさえ、類似事故発生の蓋然性は残り続けざるをえない。何故ならば、バス運行とは、ドライバーの技量に依存する輸送形態だからである。自動運転・制御できる交通モードにバスが革まれば話は別だが、現状の手動運転・制御では(急病発症を含め)ヒューマン・エラーの発生確率を無視できない。

 この要因は、監督(規制)強化では解決しようがない。むしろ弥縫策と評するべきかもしれない。根本的には、バスの自動運転・自動制御化、せめて危ない時に「止める」制御が必要と思われる。自家用車での実用化が先行している一方で、バスでの開発・実用化は明らかに遅れている。いちおう検討はされているようだが、実用化までの道のりはかなり遠く見えてしまう。





■それにしても度し難き運輸行政

 ……以上でまとめようと思っていたところ、本日(平成28年 1月23日)別の報道に触れ、率直にいって腹立たしくなった。各地の運輸局が貸切バスの現地に出向き、抜き打ち監査を実施した、とTV報道されたのである。

 なにが「抜き打ち監査」だ。チャンチャラおかしい。「抜き打ち」で実施すべき監査がマスメディアの手により全国放送されるわけがない。情報が事前にリークされていたことは明白で、意図もまた明白である。要は運輸局の仕事ぶりを知らしめたい、ということだ。「仕事をするふり」もいい加減にせよ、と言いたくなる。実に醜悪で姑息なスタンド・プレイではないか。

 ひょっとすると、事故が起こった以上は目に見えた何かをやらねばならぬ、という切迫した意識に基づいてのアクションであるならば、自覚がないことになり、更にたちが悪い。

 日本の運輸行政は、かくの如しの惨状である。遺憾ながら、バス事故の危険除去は遠い将来にならざるをえまい。ならば利用者はバスに危険は常に存在すると認識し、自衛するしかあるまい。また、「安かろう悪かろう」という俚諺には、交通現象においても真理が含まれていることが改めて明らかになった。低価格には安全が含まれていない場合もありうると、常に意識しておくことは重要であろう。安全を提供するのは交通事業者の義務と責任であり、不安全な交通事業者を遠ざけるのは利用者の知恵である。





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参考文献

(01)「バス運転者を巡る現状について(平成26年4月25日)」(国土交通省自動車局)

(02)「大型バスの車両安全対策の検討状況(最終報告)——大型バス車両安全対策検討WGについて」(国土交通省車両安全対策検討会)





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