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需要構造の分析と対比

━━都電荒川線と日暮里・舎人ライナーを比較する━━





■鉄道ピクトリアル第852号(平成23(2011)年8月臨時増刊号)記事より


 (前略)
 荒川線は全線12.2kmで一日 5万 2千人なのであるが、路面電車の優等生と言われる長崎電気軌道が全線11.5kmで、やはり一日 5万 2千人なのである。……
 新交通で見ると横浜新都市交通(シーサイドライン)が10.6kmで 5万 6百人、都営の日暮里舎人ライナー 9.7kmで 4万 9千人である(以上の数値は平成20年度)。
 何が言いたいのかというと、路面電車というものは、新交通なんかに負けないくらいの輸送力があるということなのである。いやむしろ逆に、乱暴な言い方をすれば、新交通なんて「路面電車に毛のはえたようなもの」なのである。
 (後略)


「都電の時代──東京都電をめぐる雑話あれこれ」(岩成政和)
 7.こんな素敵な乗り物はない より




■コメント

 この記事を読んだ時には、正直なところ頭痛を感じた。まさしく「贔屓の引き倒し」を字義どおりに実践した書きぶりとはいえまいか。この岩成政和という著者は、交通現象の本質を理解できないまま、自説に都合の良いよう数値を扱っているだけ、と批判しなければなるまい。特にまずいのは、客観的に示される数値の解釈で、表面的というよりむしろ恣意的な意図すら感じられる。

 岩成政和は、日暮里・舎人ライナーの本質を理解していない。そればかりか、都電荒川線の本質をも理解していない。不正確な理解に基づく分析を信憑できないのは当然のこと。即ち、岩成政和は都電荒川線を擁護しているつもりでいて、実はかえって貶めている。

 なお、長崎電軌と横浜新都市交通の分析は省略するが、どちらも都電荒川線及び日暮里・舎人ライナーとさほど大差ないものと見込んでいる。



◆都電荒川線

 まず、都電荒川線の利用実績が全線で52千人/日という数値は、そのまま是とできる。ここで問題にすべきなのは、利用実績の絶対値そのものではなく、実は輸送密度(または断面交通量)である。筆者は平成20(2008)年度の数値を持ち合わせていないが、近年の傾向からは12千人/日km前後と想定される。都電荒川線の利用状況から想定すると、ほぼ全線均一の断面交通量があると理解してまず問題ないだろう。

 そして、この数値こそが、都電荒川線沿線の恵まれた需要構造を示している。52÷12の値は 4を超える。即ち、路線途中で 3回も利用者が入れ替わっているわけで、都電荒川線の需要構造を簡略に表現すれば、例えば大塚駅前・王子駅前・熊野前で利用者が全て入れ替わっている状況に近い。

都電
都電荒川線(平成16(2004)年撮影)


 以上はごく淡泊に記しているものの、実はかなり凄いことなのだ。岩成政和がこの点を指摘しないのはなぜなのか。

 短区間で続々と利用者が入れ替わっているからこそ、都電荒川線の経営は安定的に持続可能なのである。同じ輸送密度であっても、全利用者が三ノ輪橋−早稲田間を乗り通すと仮定すると、収入がいきなり四分の一に落ちこんでしまう(均一料金制を採っているため輸送密度は収入に比例するとは限らない)。

 他線の例を挙げれば、例えば阪堺では堺市内の需要が減っており、利用者の入れ替わりが少ないからこそ経営的に苦しくなっているという現状がある。これとの対比もないから、岩成の分析は主観を押しつけるだけの浅薄な内容にとどまっている。

 都電荒川線の輸送力そのものはさほど高くない。近年の輸送密度は12千人/日km程度だし、過去の実績を見ても15千人/日km程度にとどまる。区間による需要変動を最大限考慮しても断面交通量はせいぜい20千人前後にとどまるだろう。この断面交通量(≒輸送力)と利用実績(=利用者数総数)を混同しているのが岩成政和の記事であり、都電荒川線の本質をなんら伝えていないどころか、かえって晦ましている。



◆日暮里・舎人ライナー

 都電荒川線に対し、日暮里・舎人ライナーの利用実績はどうか。筆者は既に、平成20・21(2008・2009)年度の利用状況を記事にまとめている。
    平成20年度利用状況分析
    平成21年度利用状況分析

 このうち、同年度の比較となるよう、平成20年度の利用状況を分析してみよう。以下に日暮里・舎人ライナー各駅の一日あたり乗降実績表を再掲してみる。

乗降実績表
日暮里・舎人ライナー各駅の一日あたり乗降実績表(平成20(2008)年度)


 全線の利用者数は確かに49千人/日である。では、断面交通量はどうか。日暮里・舎人ライナーの最混雑区間は西日暮里−熊野前間であり、断面交通量は確実に40千人を超える(日暮里・西日暮里の乗降客数計より)。

 断面交通量は熊野前以北で漸減していくとはいえ、最末端の舎人−見沼代親水公園間でさえ 7千人/日を超える。隣接する舎人公園−舎人間でも断面交通量は12千人/日に近い水準まで及ぶと推測される(舎人・見沼代親水公園の乗降客数計より)。

 読者諸賢はすぐに気づかれたであろう。12千人という数値は、近年の都電荒川線全線の輸送密度にほぼ匹敵する。即ち日暮里・舎人ライナーでは、需要が最も少ない区間でさえ、都電荒川線に匹敵する利用実績があることになる。

日暮里・舎人ライナー
ロングシート化等で輸送力増強を図る日暮里・舎人ライナー(平成21(2009)年撮影)


 いうまでもなく、西日暮里−熊野前間の約40千人/日という断面交通量は、路面電車で対応できる領域を大幅に逸脱している。路面電車の輸送力には、明確な上限が存在する。「新交通なんて『路面電車に毛のはえたようなもの』」という記述は、まったくの誤りである。しかも、日暮里・舎人ライナーの需要は増え続けている。都電荒川線の「輸送力」で対応できるはずなどないのだ。

 勿論、運行本数を極端に増やせば、路面電車の輸送力で日暮里・舎人ライナーの需要に対応することは一応可能に見えるかもしれない。ただし、その「運行本数の極端な多さ」が道路に大渋滞を惹起することもまた確実であり、社会的に受容される見込みはきわめて薄い。また、表定速度低下も確実で、これに連動して需要が押し下げられる事態も想定しなければならない。それゆえ、日暮里・舎人ライナーは全線立体交差が妥当、という解に辿り着く。全線立体交差化するためには新交通システムの導入が適切で、新交通システムを導入したからこそ現在の需要を確保できた、ともいえるのだ。



◆まとめ

 筆者は平成14(2002)年 6月に既に、都電荒川線がシステムとしての発展を止めている状況を批判的にまとめた記事を残している。当時まだその概念がなかったバリアフリーを、昭和50年代前半に達成した都電荒川線の事績は、まさに画期的であった。しかしながら、都電荒川線のシステム的発展がここで止まっているのもまた現実だ。

    不変は普遍ならずして〜〜交通システムとしての路面電車

 筆者は、このような批判と、都電荒川線の需要構造が卓越していると分析することを、同時並行で矛盾なく展開できる。なぜなら、どちらにも客観性を担保している(つもり)からであり、客観性の芯があるからこそ、どちらの論も自信を持って主張できる。

 残念ながら、岩成政和の論に客観性がないことは明らかである。「新交通なんて『路面電車に毛のはえたようなもの』」など、とんでもない誤りだ。そして、誤った説の流布は有害でしかない。

 客観性の裏づけない誤った記述が掲載された点は、第一義的には著者の責任であるが、鉄道ピクトリアルの趣味誌としての限界をも暗示している。このレベルの記事が路面電車・LRT優位とする基礎理論になるというならば、路面電車・LRTの発展はありえないとほぼ断言できる。世で求められる客観性の担保は、もっと高いレベルにある。





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