玉川町五丁目付近 奥正面が酒店 (1996/08/16)宮沢方面から来ると中神停車場通りの手前で線路跡の延長線上に住宅が建っている。迂回し波多野酒店前から再びたどることになる。そのすぐ近くの西川コンクリート辺りが南中神の駅だったのだろうか。 以前、南中神駅跡付近にお住まいだった paletteさんによると、この写真と下の写真の部分は南中神駅の敷地であったということです。かなり大きな駅だったんですねぇ。paletteさん情報どうもありがとうございます。(1997/05/12追記)
玉川町五丁目付近 立川方面から見る (1996/08/14)南中神駅付近を立川方面向かうと線路跡が周囲より狭くなっておりそれを過ぎるとやや開けた風景になる。何かの跡なのだろうか。 paletteさんによる補足です。 「旧五鉄跡は、第二次大戦後直後の混乱もあって、権利関係が複雑になってしまったと、子供の頃聞いたことがあります。何しろ、空き地は全て畑になったり、空襲で住むところを失った人が大勢いた時代ですから、配線跡は、必要に迫られて利用されたのだと思います。道路になっていたり民家があったりするのは、そうした事情があるようです。」(1997/05/12追記)
八清通り越えた玉川町三丁目付近 この辺りにあったと思われる。(1996/08/14)この付近もきれいに舗装されている。また、線路跡の延長線上に建物が。ここから約300メートルは住宅などによって跡をたどることができない。
東町五丁目付近 (96/08/14> ここもきれいに舗装されている。しかし郷地駅跡手前(都立短大前交差点手前)でまたまた建物に遮られるのである。
都立短大交差点のガソリンスタンド (1996/08/16)位置的にはガソリンスタンド付近が郷地駅だと思われる。これから先は線路跡をたどるのが難しくなる。
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