我拝師山の中腹、現在のみかん畑と山林の境界付近で銅剣・銅鐸が出土しました。
なぜこんな高い場所から出土したのでしょうか。縄文時代なら狩猟民族なので山懐に住んでいてもおかしくないが、銅鐸を祭祀に使うのは弥生時代、稲作文化の時代です。
この時代まだ吉原の平地は海で住むことができなかったのか、それとも祭祀の時だけ山中に入ったのか。
「善通寺市域からは香川県下の8割に及ぶ青銅祭器が出土している。」(「香川史学第30号」香川歴史学会,H15.8.25 より)
出土地の標識
(左)平形銅剣出土地:昭和九年頃平形銅剣4口発見、昭和三十年三月善通寺市文化財保護委員会
(中)銅鐸発見地:昭和四十一年九月菅昌彦氏此處開墾中発見、昭和四十一年善通寺市文化財保護委員会
(右)平形銅剣出土地:昭和十四年五月十九日平形銅剣1口発見、昭和三十年三月善通寺市文化財保護委員会
みかん畑へ登る道に案内板が設置されました。(H24.11.27設置)
吉原町
全景1
全景2
全景3
俯瞰図
江戸時代の記録
道路標示
字名
五岳山
二反地川
石灯籠
葭の原
八十八カ所案内板
三井之江
十五丁石切場