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☆2002年韓国の旅(1) (実行日:2002年11月22日〜25日)     小さな旅日記目次へ      トップページへ     

   

この記録は、筆者が2002年の11月に韓国へ行ったときの様子を記したものです。自分にとって4回目の韓国行きで、今回は金曜の夜出発で月曜の昼に帰還なので実質土日だけの短い日程でしたが、言い換えれば2日間は朝から晩まで使えたわけで、短いながら目いっぱい楽しめた旅でした。
 

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  【11/22(金)】


新村の繁華街の夜仕事場を早めに出て、日暮里15時40分ころの京成の特急に乗車。スカイライナーは16時過ぎまでなく、特急のほうが先に着くということで、ちょうど1000円の乗車券だけを購入。自分の場合、海外への旅で成田へ行くときは今まですべて京成を利用していたので、自分にとって海外への旅の入口は「日暮里」である。成田空港駅(第1ターミナル)へ着いたのはもう暗くなりかかっていた。ちょっと時間の読みを誤り、本来なら出発2時間前までにHISのカウンターへ行くべきところをだいぶ過ぎてしまったが、無事ノースウェストNW007便の航空券を入手。荷物は1つにまとめて持ち込みである。出発前の落着かない雰囲気だが、そういう時間に空港のターミナルを歩くのは嫌いではなく、展望ロビーなどに出てみたリする。2年前にここへ来たときもそうだったが、つい中森明菜の「北ウィング」が頭の中を流れてしまう。要は気分屋なのだろう。ともあれ、韓国への旅が始まった。(写真は資料映像)
 
夜の成田空港展望スペース出発は18:25予定だがバスでの搭乗となる旨伝えられており、搭乗ゲートに17:50までに行くことになっていたが、実際には案内が遅れていたらしく、17時50分ではまだ大行列になっていた。行列がなくなるまでは出ることはあるまいからしばらく坐って待つ。やっと乗ったバスは、いったいどこまで行くのか不安になるほど空港内を延々と走ってからようやく機体の横に着いた。飛行機が苦手な自分は、離陸するまでの時間が長いほど気疲れしてしまう(苦笑)。喉の渇きを感じながら入った機内で、私の席番「63A」は後ろのどん詰まりに近い位置だが、幸いなことに私のすぐ前まで3人掛けの席のところが私のところから2人掛けになっていて、窓側にかなりスペースがあることがわかった。狭い機内でこのスペースは貴重だ。
 
 その後も飛行機が空港内をさらに移動したり出発の順番待ちなどで遅れ、離陸したのは19時10分ころになっていた。ひとたび離陸してしまうと緊張がやや解ける。ヘッドホンからはたまたまダンスクラシックのようなものが流れていて、離陸するときの曲はデヴィッドボウイの「レッツダンス」であった。不思議と離陸の瞬間に聞いていた曲は印象に残る。前回韓国へ行くときは途中でえらく揺れて冷や汗ものだったが今回はさほどでもなくてほっとした。それでも揺れ始めるたびに自分も体を動かしていると気が紛れることが分かる。「Sushi or sandwich?」と聞かれてもらった寿司はいなり寿司だが、デザートに甘いフルーツが付いてしまうあたりがいかにも機内食である。琵琶湖あたりと思われるところで下に一面の金色の光の粒が見えた。晴れているらしい。
  
しばらくして今度は先ほどとは違う感じの夜景が見え始め、韓国上空にかかる。やがて右側通行の道路が間近に見え、広大な仁川(インチョン)国際空港に着陸したのは21時10分ころで、飛んでいた時間は正味2時間だった。成田同様、飛行機は延々と空港内を移動したりで、最後尾の私が機外に出たのは21時半くらいだった。仁川空港は新しいビルのにおいが感じられるだけで、広いビルを延々と歩いても韓国にきたという実感に乏しいが、空港内に外国語の案内が多いことを感じる。韓国語・英語・中国語とともに「いらっしゃいませ」の日本語の電光掲示もあり、入国審査のところにもその4ヶ国語で案内が表示されていた。日本国内に中国語や韓国語の案内が増えたのと同じような状況だろう。入国審査を抜けて到着ロビーに出るときの気分というのはちょっと緊張する。9年前に最初に韓国に来た時には到着ロビーに出た瞬間にある種その国の「におい」が感じられたが今回はそれもほとんどなかった。まずは両替で2万円を交換する。レートは1万円が9万6千ウォンちょっと。2年前よりは円安である。
        
鍾閣の名の由来・普信閣ともあれソウル市内へバスで向かわなければならない。外へ出てみると、行き先を大きく書いたバス停らしきものがたくさん立っているが、時刻表のようなものは見当たらない。その代わり、大きな電光掲示に、間もなく出発するバスの行き先と乗り場番号がハングルと英語で交互に表示されていてわかりやすい。ちょっと待つけど22時05分にまさに今夜の目的地「明洞(ミョンドン)」行きがあることも表示されていた。バスはちょっと遅れてようやく姿を現した。605-1系統の座席直行バスで運賃は6000ウォン。さほど込まず、座席は思いのほかゆったりとしていて快適。22時13分に空港を出発。もう深夜なので高速道路を快調に飛ばす。途中で大きな橋を渡ったのは空港のある永宗島(ヨンジョンド)と半島を結ぶ部分だろう。途中から急に道路が悪くなり揺れがひどくなった。やはり相当なスピードが出ていたようだ。

 市街地が見え始め、車内のアナウンス(これも韓英両語)で、次は麻浦(マポ)駅、と告げられたのが22時52分。ソウル中心部まで40分かかっておらず、都心から50km以上離れた空港のアクセスとしては快適である。もっとも時間帯によっては渋滞がひどいだろう。その後、いくつかの停留所があり、ちょうど23時ころになった繁華街の鍾閣(チョンガク)まで来ると見覚えのある景色になる。ここからはやや時間がかかり、明洞に着いたのは23時07分だった。てっきりここが終点かと思ったバスはまだ先へ行くようで、「明洞の次は南大門(ナンデムン)」などの車内案内もあった。

明洞のミリオレ少し先に以前ソウルへ来たときにその派手さに驚いた「ミリオレ」(写真左)のビルがあり、大きな道を挟んだ反対側に位置する「プリンスホテル」は地味な建物で、フロントもビジネスホテル風であった。「アンニョンハセヨ」とこちらから挨拶したあと、「どなたか英語か日本語の分かる方はいますか」のような意味のことを英語(らしきもの)で伝えると、フロントの1人が「イングリッシュOK」という。あとはボディランゲージも含め、インターネットで予約した紙だのなんだのを見せてキーを受け取る。部屋は2階。入ってみると以前ソウルで泊まったホテルでも感じたのだが、何か日本のホテルとは違う香りが漂っている。図書館あたりのにおいにちょっと近いものがあるが原因は分からない。もっとも風呂に備え付けてある石鹸のにおいもちょっと日本とは違うようだ。
ラッポキともあれひと安心して部屋のチェックをしてから夕食に出る。明洞の繁華街がすぐそこ、という立地条件ではあるが、もう23時半を過ぎていて屋台などはそろそろ片付け始めている。乱暴な例えで言えば銀座みたいな場所なので多少は夜も早いかもしれない。1軒の食堂らしい店に入ろうと思ったらちょうど閉店らしく、私が出たとたんに看板の電気が消えた。そこで、安全パイとしてねらいをつけていたキンパプ(のり巻き)屋へ足を運ぶ。入った店は「ナグォンキンパプ」。見たところ学生風の客層で値段は安心できそうだ。韓国語はわからないけどハングルの読み方だけはある程度覚えたのでメニューは何とか読めるものがあり、一番安いなんとかキンパプと、あと好物のトッポキ(もちの甘辛い味付け)を頼む。すると、どうも「トッポキの方は出来ない」みたいなことをいっているようだ。よくわからないけど店のアジュマは「こっちのラッポキってのならいいよ」みたいな按配なので、じゃあそれで、と頼む。出てきたキンパプ(2300ウォン)は「野菜巻き」という感じ。そして正体不明だった「ラッポキ」(3500ウォン、写真右上)とは、ラーメン(もちろん辛い)にあのモチ、そして野菜などが入っているものだった。ラーメン+トッポキ、なのだろう。しかしキンパプのさっぱりしたゴマ味と対照的な辛さがおいしく、結果的に正解だったかもしれない。主食三昧で満足だった。

ホテルへの帰りにコンビニ「LG25」へ寄り、ミネラルウォーターやチョコ、カミソリその他を買い込む。夕食と全部あわせても1万ウォンでお釣りが来る金額だった。まだ営業中なのか、やたらと賑やかな曲の流れるミリオレ横の地下街を通り、部屋へ戻ってTVをしばらく見てから寝る。設備に問題は無いが、エレベーターの「チン」という音が異様に耳につくのが難点ではあった。
(つづく)
 
【11/22(金)】      【11/23(土)】      【11/24(日)】      【11/25(月)】     【雑感】

 

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