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京都市中京区壬生梛ノ宮町

律宗本山。
991年(正暦2)三井寺の僧快賢が創建。
中興の祖・円覚上人が悪疫駆除のため壬生狂言を行ったことから地蔵信仰が盛んになった。
新選組隊士の墓(壬生塚)がある。
文化財展観室の拝観は事前の電話申込がいる。

京都市中京区坊城通仏光寺上る

文久3(1863)年2月23日、 清河八郎 の建言によって結成された 浪士組が京都に入洛 後、
宿舎としたのが葛野郡朱雀村字壬生(現・中京区壬生)だった。
当時の壬生は、見渡すかぎりの田園地帯で、郷士の家や寺の他は畑ばかりの地だったらしく、
ここから二条城も見ることができたらしい。
234名もの浪士組は、このあたりの寺や郷士邸にそれぞれ分宿した。

新徳寺 周辺の「壬生住人士」と呼ばれた名家郷士の勢力は庄屋を越えるほど強大で、
その屋敷が浪士組の宿舎にあてられた。

「新選組遺蹟」の石碑

新選組遺蹟(八木邸)
(しんせんぐみいせき(やぎてい))

八木家住宅
壬生の名水(鶴寿井)

壬生の名水(鶴寿井)

この井戸は、八木家に3本現存する井戸のひとつで、数百年前から湧き出て、水質に大変恵まれ
飲料として適しているそうです。

新選組の隊士たちも、当時毎日飲用していたそうです。

健康長寿に恵まれることから「鶴寿井」と命名されたそうです。

隊士腰掛の石

この石類は、本屋敷と表屋敷との間にあった新選組の道場のあたりにあったもので、
隊士たちも訓練の合間、この石に腰をおろし休んでいたそうです。

この石類は、当時の位置より二、三移動された後、この場所に落ち着いたそうです。

隊士腰掛の石

八木家は、壬生住人士の筆頭を務め、また、現在となっては世界的に有名な「壬生狂言」の
執行宗家でもあった。
芹沢を中心としたグループと近藤ら試衛館グループは八木家11代目の
八木源之丞(やぎげんのじょう)邸を宿所としていた。

彼らは清河八郎と袂を分かち、京都残留を決めた後もここへ留まり、”壬生浪士組”と
呼ばれるようになる。 そしてここが”新選組発祥の地”となった。

後に屯所を移転してからも、非番の隊士らが連れ立って遊びに来たり、明治以後まで
生き残った元隊士が昔を偲んで訪れることもあったといい、新選組とは関わりの深い場所
である。

長屋門
母屋

長屋門

母屋

長屋門は文化元(1804)年、母屋は文化6(1809)年の建築で幕末期の農家の遺構で貴重、
また新選組ゆかりの地でもあることから、京都市から有形文化財に指定されている。

八木邸の敷地内には、「京都鶴屋鶴寿庵」という和菓子屋さんがありますが、
このお店は八木家の経営です。

当時は、そこも屋敷で、近藤らが起居していたのは、この辺りだったといいます。

八木邸の母屋内部は現在公開されており、ガイドの案内で見学できますが、
見学だけだと600円、お茶・お菓子付きだと1000円の料金です。

このお菓子は「京都鶴屋鶴寿庵」名物、その名も”屯所餅”。
僕は見学料だけ払って、”屯所餅”は土産として一箱買って帰りましたが、
時間に余裕のある方は、現地で味わってみてはどうでしょう。

京都にいくつか残る新選組ゆかりの場所の中でも、この八木邸と壬生寺は
もっとも有名で、なおかつ人気があるのではないでしょうか。
八木邸を訪れた観光客の、ある男性が八木邸のガイドさんに質問をしていました。

ある男性「ここはいつもこんなに人が来るんですか?」
ガイドさん「はい」
ある男性「平日でも?」(この日は日曜日)
ガイドさん「はい」

「なんと平日でもそうなのか! 来年、大河ドラマがスタートしたらこの辺りは
どうなってしまうんだ!?」と、余計な心配までしてしまうのでした。

新選組のゆかりが深いこの八木邸でも、新選組関係の遺品として知られているのは
「野辺帳」だけです。
「野辺帳」というのは通夜や告別式で参列者が記帳する冊子のことです。

文久3年とみられる八木家家人の葬儀に参列した際、近藤や沖田・永倉らが記帳
したものが遺されています。

旧前川邸(きゅうまえかわてい)

旧前川邸

京都市中京区綾小路坊城東南角御所町

また、八木邸と通りを隔てた前川荘司邸、そしてその南隣の南部邸の一部が幕府の斡旋に
より借り受けられて屯所とされていた。 ただしこれら屯所の借受代は、ただ同然であったという。

前川邸の敷地は広大で総坪数440坪以上、かつて平屋建ての母屋には式台付きの玄関、
馬4頭が人を乗せたまま駆け込んだという勝手口があった。
母屋を抜けた広い中庭では、土蔵の横に砂山を築き、大砲の訓練などもしたと伝わる。

長屋門から中をみる

長屋門から中をみる

旧前川邸は、現在所有者が代わり”田野製袋所”という会社になっており、内部は非公開です。

でも、その代わりというか今年になって、内部の写真を絵葉書として作成され、休日には門を
開放し、他の新選組グッズと共に販売を始められました。
(この写真の正面の建物で販売している。 それ以外の建物の内部は現在も非公開。)

八木邸は現在も八木家が所有されておりますが(もしかしたら京都市に委託されているかも・・・)
前川邸は所有者が代わったので”旧”前川邸なのです。

壬生寺(みぶでら)

壬生寺

世界的に有名な”壬生狂言”で知られる寺です。

”壬生狂言”は無言劇ですが、それは700年もの昔、文覚上人が唱える念仏がよく聞き取れ
なかったため、動作で表わしたのが始まりといわれています。

真偽の程はわかりませんが、近藤もこの”壬生狂言”を観賞し、感動のあまりアンコールを求めた
というエピソードもあります。

本堂と供養塔

本堂と千体仏塔

壬生浪士組

壬生寺は八木邸や旧前川邸のすぐそばで、隊士たちはこの壬生寺の境内で、剣術訓練や
砲術訓練をおこないました。

京都鶴屋鶴寿庵

京都鶴屋鶴寿庵

壬生寺に最寄りの京都市交通局のバス停の名称は”四条坊城”でしたが、最近になって
”壬生寺道”に変更されました。

全国から京都を訪れる新選組ファンに壬生寺の場所をわかりやすくしようとした配慮なのでしょう。
放生池
放生池

放生池

新選組が壬生寺で、相撲興行を企画したことがありました。

その時、境内にあるこの放生池から隊士が魚やすっぽんを捕り、料理をし、力士たちに
振舞ったというエピソードもあります。

この長屋門に「松平肥後守御預新選組」の表札が揚げられた。

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