このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

三条縄手の戦い

文久3(1863)年8月24日早朝、新選組は筑前の浪士・平野国臣(ひらのくにおみ)の潜伏先である
三条小橋の豊後屋へ捕縛に向かいました。

新選組が豊後屋へ到着した時には既に平野は逃走した後でしたが、 天誅組 の古東領左衛門を
捕縛することに成功。

この時の戦いを、豊後屋があった場所にちなんで、「三条縄手の戦い」といいます。

逃走した平野は、2ヵ月後の文久3年10月12日に、「生野の変」を起こすことになりますが、失敗し、
京都の六角獄舎へ送られることになります。


土方が、 8・18の政変 と、この三条縄手の戦いで実際に使用した鉢金(額にあてる防御用の鉄板)が、
東京 日野市の土方歳三資料館に残されています。

僕もその鉢金を見ましたが、表面には刀傷と思われるものがいくつかついており、
三条縄手の戦いでは、「激しい戦闘が展開されたのかも」と思わせるものでした。

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