このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

Ⅲ 時代と共に…  〜袖師海水浴場の始まりと繁栄〜

ⅰ海水浴場がやってきた?!
ⅱ戦争・それは砂浜を変えた
ⅲ復活・新たな幕開け
             
ⅳ繁栄・なぜ袖師海水浴場は愛されたか
①海水浴客の移り変わり         
②交通:国鉄袖師駅と静鉄清水市内線    
③衛生:美しい砂浜を目指して    
④商業:奮闘する浴場業者   
⑤保安:「事故を減らせ!」安心して泳げる海水浴場
⑥地元:袖師の人々と海水浴場
まとめ

 清水市の隣町、由比・蒲原両町の海岸線。現在ここはテトラポットが敷き詰められている。しかし、数十年前までここも一面の『砂浜海岸』であった。もちろん夏場は、泳ぐこともできた。このように泳ぐだけの海岸ならば、現在と違いいたるところに見られた。
 しかし、『海水浴場』ということになると、ここに産業的な意味合いが出てくる事を忘れてはならない。店が出て、お客さんが集まってくる。
 袖師海水浴場。その始まり、そして時代という大きな波に翻弄されながらも繁栄を迎える海水浴場の様子を見ていこう。
【袖師海水浴場年表】

大正 9年 江尻海水浴場、袖師海岸への移転案
  10年 江尻海水浴場廃止
      袖師海岸埋め立て計画進む
  15年 7月、横砂海岸へ海水浴場移転
      国鉄袖師臨時駅開設
昭和 4年 7月24日、静岡鉄道 相生町−横砂間 開通
   8年 静岡鉄道 港橋−横砂間 開通
  16年 袖師海水浴場一時閉鎖
  21年 袖師海水浴場再開
  23年 海水茶屋の小屋が桟敷に変わる 袖師村、袖師町と改名
  25年 海水浴場の権利と地割りを巡る漁業会、県、海水浴場組合の紛争 
      が解決に向かう
  30年 4月、袖師音頭(資料30・袖師音頭)、袖師小唄(資料31・袖
     師小唄)が作られる
  32年 7月18日、一葉松の碑の除幕式
      一葉松音頭が作られる
  33年 袖師海水浴場最盛期
      海水浴場に町立救護所設置
  34年 臨港道路用埋め立て開始
      袖師海水浴場衰退し始める
  35年 袖師ヶ浜中央に中部横断道路設置
  36年 袖師町 清水市に合併される(以後清水市袖師・横砂となる)
  37年 海岸埋め立て
      興津埠頭工事計画
  39年 国鉄袖師駅廃止
  41年 袖師海水浴場閉鎖
44年 9月25日袖師海岸水面埋め立て問題で市議会が紛糾。
9月27日市議会建設水道委員会は公園緑地と公共地確保の条件付
     き袖師海岸埋め立てを可決。
  49年 七夕豪雨で静岡鉄道清水市内線庵原川橋、車両に損害
  50年 静岡鉄道清水市内線廃止

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください