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ⅳ繁栄・なぜ袖師海水浴場は愛されたか
『東洋一の海水浴場』袖師海水浴場のことをこう呼んだという。
昭和33(1958)年のある日、袖師海水浴場一日の利用者10万人を記録した。敗戦後、復活、めまぐるしい発展を遂げた袖師海水浴場が、なぜここまで愛されたか。
その理由を以下の6つの項目に分けて研究してみた。
①海水浴客の移り変わり | ④商業:奮闘する浴場業者 |
②交通:国鉄袖師駅と静鉄清水市内線 | ⑤保安:「事 故を減らせ!」安心して泳げる海水浴場 |
③衛生:美しい砂浜を目指して | ⑥地元:袖師の人々と海水浴場 |
以上6つの項目に分けて、研究を進めてきた。ではここで、なぜ袖師海水浴場は多くの人々に愛されたのか。その理由をまとめてみる。
《繁栄・なぜ袖師海水浴場は愛されたか まとめ》
袖師海水浴場があれほど人々に愛された理由は何であったのか。これまで調査してきたことから、他の海水浴場と異なる点、すなわち「差」がうかがえた。
① 立地条件 ② 保安 ③ 環境・地形 |
(1) 立地条件 「駅から徒歩1分足らず(実際は道が混んでいて1分では着けないだろうが)」。こんな好条件のもと存在している施設など、そうあるものではない。海水浴客のための駅とはいえ、それにしても近い。三保・真崎の海水浴場などは、最寄りの駅からバスに乗り替えねばならないのだ。お話を聞かせてくださった方々も皆一様におっしゃっていた。「何といっても、交通の便が良かった。」混雑した駅から海までの道路に並び、うち寄せる波の音を聴きながら、人々は泳ぐ順番を待っていたことだろう。 |
(2) 保安面 遠浅ということや、町ぐるみの救護所、監視人を兼ねた漁業組合の存在も関係し、安全面において、三保・真崎等の他の海水浴場に比べ、優れていたようである。 その他、桟敷の呼び込み、芸者など、様々な理由が考えられるものの、やはり何と言っても「遠浅であった」ということではないだろうか。 |
(3) 環境・地形 「陸から100㍍離れても足のつく、遠浅で穏やかな海」。これが最大の理由と言ってしまっても、過言ではないだろう。小さな子供でも安心して泳げる程に浅い海だったようだ。広く白い砂浜、緑の松、鮮やかな空と海の色。訪れた人々の心にその美しい景色は焼きついたことであろう。 |
しかし、美しい浜にはゴミが捨てられ、海岸線は後退し、海は急深で汚くなり、・・・ 変化をとげた袖師海水浴場に少しずつ幕が下り始める。 |
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