このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

ⅳ繁栄・なぜ袖師海水浴場は愛されたか
『東洋一の海水浴場』袖師海水浴場のことをこう呼んだという。
 昭和33(1958)年のある日、袖師海水浴場一日の利用者10万人を記録した。敗戦後、復活、めまぐるしい発展を遂げた袖師海水浴場が、なぜここまで愛されたか。
その理由を以下の6つの項目に分けて研究してみた。  

①海水浴客の移り変わり ④商業:奮闘する浴場業者
②交通:国鉄袖師駅と静鉄清水市内線 ⑤保安:「事 故を減らせ!」安心して泳げる海水浴場
③衛生:美しい砂浜を目指して ⑥地元:袖師の人々と海水浴場


以上6つの項目に分けて、研究を進めてきた。ではここで、なぜ袖師海水浴場は多くの人々に愛されたのか。その理由をまとめてみる。

《繁栄・なぜ袖師海水浴場は愛されたか  まとめ》
袖師海水浴場があれほど人々に愛された理由は何であったのか。これまで調査してきたことから、他の海水浴場と異なる点、すなわち「差」がうかがえた。

① 立地条件   ② 保安   ③ 環境・地形


(1) 立地条件
 「駅から徒歩1分足らず(実際は道が混んでいて1分では着けないだろうが)」。こんな好条件のもと存在している施設など、そうあるものではない。海水浴客のための駅とはいえ、それにしても近い。三保・真崎の海水浴場などは、最寄りの駅からバスに乗り替えねばならないのだ。お話を聞かせてくださった方々も皆一様におっしゃっていた。「何といっても、交通の便が良かった。」混雑した駅から海までの道路に並び、うち寄せる波の音を聴きながら、人々は泳ぐ順番を待っていたことだろう。


(2) 保安面
 遠浅ということや、町ぐるみの救護所、監視人を兼ねた漁業組合の存在も関係し、安全面において、三保・真崎等の他の海水浴場に比べ、優れていたようである。
その他、桟敷の呼び込み、芸者など、様々な理由が考えられるものの、やはり何と言っても「遠浅であった」ということではないだろうか。


(3) 環境・地形
 「陸から100㍍離れても足のつく、遠浅で穏やかな海」。これが最大の理由と言ってしまっても、過言ではないだろう。小さな子供でも安心して泳げる程に浅い海だったようだ。広く白い砂浜、緑の松、鮮やかな空と海の色。訪れた人々の心にその美しい景色は焼きついたことであろう。


しかし、美しい浜にはゴミが捨てられ、海岸線は後退し、海は急深で汚くなり、・・・
変化をとげた袖師海水浴場に少しずつ幕が下り始める。



文責・岡村

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください