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井原五郎兵衛



☆伊那谷の鉄道敷設の功労者


明治13年飯田町(現飯田市)通り町一丁目に生まれ、
東京帝国大学法学科を卒業後、長兄が日露戦争で戦死してしまったため家族の漆器店を継ぐ。

先代・五郎兵衛の遺志を受け継いで、松本出身の辻新次らと伊那電車軌道株式会社創立に参加した。

明治42年12月辰野〜松島間を開通させた。しかし、運輸収入が少なく
赤字となったので、辰野の事務所に勤務し経費削減をはかったり、

構内の掃除をしたりして、経営に専念した。

伊那電は松島よりだんだんに軌道が延長され、同45年には伊那町(現伊那市)まで、
大正3年には赤穂(現駒ヶ根)まで、以後伊那福岡・飯島・七久保・上片桐と伸ばし
大正11年には伊那大島、さらに大正12年8月には飯田まで開通した。

辰野から飯田まで15年かけ、昭和2年12月には天竜峡まで延長された。

まさに、伊那電敷設の功労者である。


また、三信鉄道敷設の難工事に尽力し、昭和7年10月には天竜峡〜門島間、
同11年4月には満島まで、そして南より北に伸びていた豊川鉄道・鳳来寺鉄道と連絡させ
同11年12月には鉄路によって東海道本線と接続させることができた。

五郎兵衛の卓越した見識と手腕によるものである。

昭和2年には代議士に推され、六十三・百十七・飯田貯蓄銀行の重役
富士生命の取締役をつとめるなど、政治・経済界に大きな足跡を残した。



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