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飯田線の偉人たち



飯田線は急峻な地形、脆い地盤を多くかかえ、鉄道建設には不向きとされたルートであった。
それは鉄道のみならず、街道も貧弱で、毎年のように土砂崩れで不通にあっていた。
街道に交通手段を依存していた当時は、その脆弱な物流網が地元経済の最大の弱点となっていた。
そこで地元が要望したのが鉄道網である。
しかし飯田線が建設された地域は谷深く、断崖絶壁で難工事を強いられ、多くの人々が命を落としていった。
だが以下紹介する偉人たちの偉業のおかげで現在、飯田線は“地域の足”また“地域の生命線”として
多くの人々を運び、地域の発展に貢献してきた。

そして今日、先人の努力の結晶として飯田線の軌道上に電車が走っている。
これらの偉人たちに敬意を表して、簡単な紹介をしたい。



川村カ子ト
飯田線建設に尽力したアイヌ人測量士
伊原五郎兵衛
伊那電、三信鉄道敷設の功労者
伊藤大八
中央線辰野経由を実現し、伊那谷鉄道の布石をつくった帝国議会議員



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