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川村カ子ト




☆飯田線建設に多大な貢献をしたアイヌ人



三信鉄道は地形・地質の複雑な天竜川渓谷に沿って建設計画が立たれたせいで
測量は困難を極めた。

そこで、三信鉄道は北海道の鉄道測量士で技術的評価が内地(本州)まで
高く有名だったアイヌ人の川村カ子トを隊長とする『アイヌ人測量隊』を招き
彼らに測量を依頼したのだった。


川村カ子トを隊長とするアイヌ測量隊一行は8名が北海道から伊那谷を
訪れたのは、三信鉄道が創立された昭和2年12月も間もないころであった。

そして三河川合〜天竜峡間67キロの実測に起用されたのであった。

測量の現地が岩と雑木の密集地帯で、その上天竜の怒涛に落ち込む急斜面で あったから、
アイヌの渡渉技術をもってしなければ測量が困難と判断されたためである。

視界距離5メートルときかないうっそうとした原始林は、
一歩先がどのような地形か?それさえ判断できない状況であった。

日本人測量隊は、もはや手も足も出ない峻険な地勢で頭をかかえてしまう始末

当然、アイヌ人の独壇場であった。

前面に立ちはだかる岩は、木の枝をバネにして飛び越え
不気味にういなる沢は命綱を巧みに操って、まさに宙を舞うかのような神業を見せた

トランシュットに変わって、手をつかった目測もアイヌ人特有の技術であった。

計器類を持ち込むことすら容易でなかった条件で、大変な威力を示した。

後になって実に正確であったことが証明されたところだが、
手足をクギ付けにされた日本人技師にとっては、まことに面白くないことだった。

スキあらば邪魔の1つもと虎視たんたん。

こともあろうに測量地の杭の位置を手当たりしだいに変えるなど、
はしたない妨害工作までに及んだ。

「変えられたら元に戻せば良い。俺たちは鉄道を作りにきたんだ!

土地のあり限り、くじけてはいけない」

その程度でへこたれるアイヌ人ではなかった。むしろ妨害のたびにアイヌ本来の
気概を発揮してやろうと、奮い立った。

そんなある日、大変な出来事が襲ってきた。

天竜桟道内のカベが突然崩れ落ち大量の水が吹きだした。

三信鉄道側は急きょ設計を変更して、この部分をコンクリートで巻くことにした。

その監督にコンクリート工法にも精通していた川村カ子トが任命された。

しかし、現場に着くなり、何がたくまれたか土工数人がカ子トを
いきなり穴の中に突き落とし、コンクリート攻めにした。

すべてこれが最期と見極めたカ子トだったが、この最中も冷静に土工たちに悟った。

幸い急を聞いてかけつけた請負頭によって危機一髪のところで一命をくいとめた。

以来、アイヌによせる信頼の度は日ごとに高まり、ムショ帰りが多かったと聞く
土工たちもカ子トの指図を忠実に実行するようになったという。

そして、飯田線建設の陰の功労者として、その名を今日もとどめている



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