このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください |
(新門司〜大阪) |
「名門」とは何を意味しているか?「由緒正しき方が設立された」のか、あるいは「名古屋と門司を結ぶ航路から始まった」のか。私は知らないので、ふぇりい倶楽部部員の皆様からの情報をお待ちしています。それはさておき。
関門海峡に面した「門司港」と、フェリーの発着する「新門司港」とはかなり離れている。門司とは言っても、実際は「苅田」に近いのではないだろうか。埠頭は港湾地区らしい建物の立ち並ぶ港の一角にある。
私が到着したときには、すでに大きな船が横づけされていた。1万数千トンクラスの巨大フェリーだ。このクラスの船に乗るのは、新日本海フェリー以外では初めてだ。しばし船体を見上げる。
連休最終日とあって、2等船室は満員だった。人が横になれるだけのスペースしかないくらいに、びっしりと詰め込まれる。私の入った部屋は、子供が混ざっていたために多少のゆとりはあったが、それでも寝返りをうつときには隣に気を使わなくてはならないくらいの混雑だった。2等は安いのだから仕方がないとはいえ、もう少しスペースにゆとりを持たせることはできないのだろうか。それはさておき。
出航前に風呂に入り、旅の汚れを落とす。船の風呂に入るのは久しぶりの体験だ。さっぱりとしたところで缶ビールを手にデッキに出る。出航時間はもうすぐそこまで来ている。
午後5時出航。瀬戸内海に面した港のため、関門橋は見えない。遙か彼方に見える陸地が、本州なのか、九州なのか、あるいは四国なのか分からない。唯一はっきりとしているのは、フェリーが離れた陸地が九州である、ということだけだ。その陸地が見る間に遠ざかっていく。かなりスピードが出ているようだが、あまり動いているようにも思えない。今回の旅行で乗った船に比べると、あまりにも大きな船なので感覚がずれてしまっているようだ。
船室に戻り横になる。テレビのチャンネルを変えていると、突然地図の画面が出てきた。船の現在位置を示すナビゲーションシステムを放映しているらしい。このような「サービス」は初めてだ。出航してからかなりの時間がたっていると言うのに、船はまだ四国沖にも達していなかった。四国だと思っていた陸地は、実はまだ九州だったことが分かった。船というものはあまり早くない、ということを改めて感じさせてくれることだ。しかし、いくら遅いとはいっても、のんびりと一般道を流しているくらいの早さではあるし、その間ビールを飲んで横になれるというのは大きい。フェリーの最大の特典はやはり、航行時間を休憩時間に当てられることだろう。
いつの間にか外は真っ暗になっていた。来島海峡大橋、瀬戸大橋、明石海峡大橋などの下をくぐっていくとのことだったが、いずれも深夜・早朝のため、その眺めを楽しむことは出来ない。残念に思ったが、それはそれで仕方のないことだ、とあきらめることにして眠りにつこうとした。が、同室の家族連れの中の子供が泣き出して眠れない。母親がロビーに連れ出してくれたので何とか眠れたが、あのままだったら……、と思うとちょっとぞっとした。
家族でフェリーで旅行するのも大いに結構なのだが、子供の歳を考えるならば、場合によっては1等船室を確保することも考えなくてはならないのではないだろうか。大人数が雑魚寝をする2等船室では、子供が走り回ったり騒いだりすることは、休みたいと思っている他の乗客の迷惑にもなる。費用がかさむことは分かるし、全員で1等を確保するのは大変かもしれない。それでも、他の乗客のことを考えるならばそうするのがルールではないか、と思った。それはさておき。
しっかりと眠り、目覚めてからしばらくたった翌朝6時、明るくなったばかりの大阪南港に到着。車両甲板一杯の車やバイクの下船には思いの外時間がかかり、上陸を果たしたのは6時半近かった。まだ一日の活動が始まりきっていない大阪の街を走り抜ける。さあ、家に戻って、荷物を放り込んで、着替えて出勤だ!しんどいけど……。
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