このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください


宇高フェリー
(宇野〜高松)

宇高国道フェリー・こくどう丸

 かつては国鉄連絡船も就航していた区間。瀬戸大橋が開通し、本州と四国を結ぶメーンルートの座を橋に明け渡した感は否めない。それでもなお、3つの会社が24時間、20〜30分間隔で運航を続けている。利用者は相当多いようだ。
 高松駅前からフェリー埠頭に向かう。駅から海に向かって突き出していた桟橋はすでに撤去されており、ここに船が接岸できたとは想像もつかない。知識がなければ、連絡船乗り継ぎ駅だったとは分からないだろう。
 高松港では3社がそれぞれ別の埠頭から出航する。どこにするか、考えて迷う必要はない。ほとんどひっきりなしに積み込みが行われており、待ち時間もほとんどないからだ。見ていると、岸壁の先にも道が続いているのではないか、と思わせてくれるくらいだ。
 宇野・高松間は約1時間。ビールでも飲んで一休み、というには少し短いが、それでもちょっと休憩するには手頃な距離だ。最大の競争相手である瀬戸大橋の通行料金が高いこと、四国の中心都市・高松に直接上陸できることなど、橋よりも有利な条件を持っていることはもちろんだが、これだけの便数を運航出来る理由はやはり、運航時間が休憩にちょうど適しているということが非常に大きいだろう。これが片道20分程度の航路なら、これだけの盛況ぶりにはならなかったのではないだろうか。それはさておき。
船が行き交う宇野港
 港湾整備がすすむ宇野港。こちらもかつては海岸ぎりぎりまで電車が乗り入れ、そこから海に向かって連絡船桟橋が突き出していた。今は駅前も岸壁も整備が進み、かつての連絡船を偲ばせるものはどこにも残っていない。
 連絡船桟橋に並ぶようにして発着していたフェリーも、新しい埠頭に引っ越してしまっている。連絡船時代=昭和時代の面影を、全て消し去ってしまおうとしているかの様だ。
 宇高連絡船が、その痕跡を抹消してしまおうとしているのに対して、同じ鉄道連絡船であった青函連絡船は、その栄光の歴史を残そうとしている。旧函館駅桟橋には摩周丸が、旧青森駅桟橋には八甲田丸が、それぞれ係留されており、連絡船を知らない世代にも、連絡船の歴史を伝えようという気持ちが満ちあふれている。おなじ国鉄の輸送の根幹を担っていたにしてはあまりにも扱いが違いすぎるのではないだろうか。
 私は残念ながら、鉄道連絡船を利用して旅をした経験を持たない。しかし、バイク旅行でフェリーに乗って「島」へ渡るのと、列車から下りて連絡船に乗り、「島」へ渡ることは、基本的に感じることは同じではないか、と思う。青函フェリーの4時間程の旅は、「北の大地 北海道」へ「渡る」という実感を確かなものにしてくれるには十分だ。そしてその時間が帰り船では、後にしてきた「島」や、自分の旅の思いでに浸るための十分な時間となる。対岸に見ることの出来る四国でも、海を行く1時間で、「島」を実感し、旅を味わい豊かなものにしてくれる。かつて鉄道旅行で日本全国を巡った人たちも、連絡船に乗るたびにそのような思いを感じていたのではないだろうか。瀬戸大橋や青函トンネルでは、それほど大きな感動を味わうことは難しいだろう。それはさておき。
 宇野港に降り立つ。人も、車も、かなりの数が行き交っている。24時間眠らない航路を持つ街もまた、眠らない街なのだろうか。そんなことを考えながら、この旅2回目の本州上陸を果たし、また西へ向かって走り出すのだった……。




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