このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

 

 

ローカル鉄道の典型〜〜茨城交通茨城線(改稿版)

 

 

 茨城交通、といえば現在ではバス会社との印象が強い。湊線の状況が決して悪いわけではない。新車投入といった明るい話題もあるし、旧国鉄車のオリジナル塗装を復活させる試みなども行われている。少なくとも、鉄道愛好者の世界では、茨城交通は影が薄い存在ではない。しかしながら、客観的に見て、茨城交通の事業の中で鉄道の比重が軽くなっている面は、否定のしようがない。

 茨城交通の廃止路線、と題すれば、真っ先に連想しがちなのは「水浜電車」であろう。実際のところ、この「水浜電車」の存在感は大きい。ある時は路上を、ある時は広野を、またある時は路地を走る電車が、水戸と大洗を結ぶ姿は、多くの人々の記憶に焼きついたようだ。

 しかし、ここでは敢えて、茨城線(旧茨城鉄道)をとりあげたい。なぜならこの鉄道は、ローカルな鉄道の典型ともいえる存在だからである。その成立といい、廃止に至るまでの過程といい、後学の参考に資する面が多々あるのではないか。

 茨城線が地味な路線であったことは確かである。また、全廃から30年が経った今日では、人々の記憶からも忘却されつつあるだろう。だからこそ、ここに一筆を残しておくことは、相応の意義と意味を有するものと信じたい。

 そして、この記事はひとり茨城線のみに捧げるものではない。勿論、この記事は茨城線を素材とするものである。水浜電車とは密接な関連があるので触れる箇所が出てくるが、記事じたいは茨城線のみで完結する。しかし、否、だからこそ、各地方に興り消え去っていった数多くの鉄道と共通するなにかがある、と考えて頂ければありがたい。

 

 なお、本稿は大幅に記述を変更した改稿版である。原版では、正史の記述に重きを置くあまり、かえって正確を欠く内容になっていた。この改稿版においては、通史の事実関係記述が正確かつ信頼するに値すると考えられたので、その内容を正史に優先し採り容れている。結果として、原版は筆者の浅学を露呈するものとなっているが、自戒と自省を籠め、敢えてそのまま保存することとした。

 

 

      第1章   茨城鉄道の開業から茨城交通への合併まで

      第2章   茨城鉄道の経営状況分析

      第3章   茨城線の合理化と廃止への道

 

 

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■改稿前の原版■
第1章 茨城鉄道の開業から茨城交通への合併まで
第2章 茨城鉄道の経営状況分析
第3章 茨城線の合理化と廃止への道

 

 

参考文献

 (01)「茨城交通株式会社三十年史」(茨城交通)

 (02)「茨城の民営鉄道史(上・中・下)」(中川浩一)

 (03)鉄道ジャーナル第 112号『ローカル線5つの顔』より
   「国鉄のローカル線−−その意義と問題点」(青木栄一)

 (04)「鉄道未成線を歩く(国鉄編)」(森口誠之)

 (05)『日本経済新聞日経経済学教室』より
   「昭和恐慌の教訓」(武田晴人)
    http://www.e.u-tokyo.ac.jp/~takeda/gyoseki/nkk981.htm

 (06)『鉄道廃線跡を歩くⅢ』(宮脇俊三編)より
   「茨城交通茨城線【赤塚〜御前山】」(浅野明彦)

 

 

執筆備忘録

本稿の執筆:平成13(2001)年春・秋

本稿の改稿:平成15(2003)年秋

注:本稿の挿画は、参考文献(01)の掲載写真をイラスト化したものである。

 

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