このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください





甲午年頭所感





 甲午の年が明けた。それどころか、松飾りも取れてしまった。正月休みは束の間だった。「 癸巳新年度初所感 」に記したとおり、筆者は今まさに転機の渦中にいる。本業では自他とも認める「左側通行」で、ほんらい閑職の悲哀を存分に堪能できるはずだった(苦笑)のに、どういうわけか旧年中は多忙な時間が長かった。ここ半年ほど、休みらしい休みもなく突っ走ってきた。この年初も、仕事始めからしばらく忙殺されるのは確実だ。

 率直に告白しなければなるまい。拙「以久科鉄道志学館」更新継続が厳しくなってきたのだ。勿論書きたいことは山ほどあるというのに、どうにも追いつかない。この年末年始で環境を再構築し、状況がやや改善したとはいえ、時間資源を更新に充てられるとは限らないのが実態だ。

 筆者は平成22(2010)年夏まで、忙しい時期でも月1〜2度の更新を心掛けてきた。これは詰まるところ、週末の余暇を更新に充てられた成果であった。同夏以降、週末の余暇がなくなり、更新に時間を割けなくなった。その背景は「 旅立ちの記録 」にまとめたとおりである。

 これ以降、たとえ「左側通行」であろうとも、私自身にとって本業が面白くなったことは間違いない。また本業多忙のあまり、週末余暇まで侵食される機会も増えてきた。……とまとめておけば、「和寒も初老の域に達しHP更新どころではなくなった」と読者諸賢を納得させしむ、美しい文章になるかもしれない。しかし、ここでは敢えて本音の一端を記しておこう。

甲午初日
「舎人山」山頂で迎える甲午初日の出
今年の人出は500〜700名というところか


 「癸巳新年度初所感」を記して以降、筆者は自らの天命について考えている。

 筆者は鉄道に関わる職を奉じている。これは筆者の鉄道好きが高じた結果、との説明を加えることが一応可能ではある。しかしながら、(こんなことを理詰めで考えるのは如何なものかと自覚しつつ)理詰めで考えると、「では何故」と首を傾げざるをえない因果が多すぎる。

  ●何故、筆者は幼少の頃から鉄道に興味を持ったのか。
  ●何故、筆者の最も多感な時期が「鉄道ジャーナル」最盛期と重なり、鉄道全分野の知識を吸収することが出来たのか。
  ●何故、筆者は大学進学先に母校を選んだのか。(下宿を要する遠隔地ならばどこでも良かったというのに)
  ●何故、筆者は交通を研究する研究室に進めたのか。
  ●何故、筆者は鉄道に関わる職を奉じることが出来たのか。(有力な就職先が他にもあったというのに)
  ●何故、筆者は鉄道に関するきわめて幅広い業務を経験することが出来たのか。
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 書き切れないほどの「何故」が、筆者には内在している。これに対する合理的な回答はおそらくない。筆者とは異なる別人格を同じ状況に置いたところで、同じ結果につながるとも考えにくい。何故、何故、何故……。

 筆者の履歴は偶然の積み重ねに過ぎない、と解釈することも当然可能だ。ここで敢えて、全てを必然と解釈した途端、一連の「何故」が筆者の天命そのもの、との考えに到達する。筆者は鉄道業界人の常識から外れる、いわば数奇な履歴を践んでいる。ここから得られた経験と知識こそが筆者の基盤ではなかろうか。更に筆者には直感という天稟もある。

 筆者は、筆者以外には成しえない何かを果たすために生を享けた、と考えては誇大妄想気味か。しかしながら、天命とは本来そういうものであるはずだ。

甲午初日
「舎人山」山頂で迎える甲午初日の出


 ……大袈裟に書きすぎたか。大言壮語の法螺話になりつつある気配もする。事実はごく単純で、筆者は一技術者に過ぎず、現下実践しているのは「自ら成すべきことを自ら為す」ただ一点に尽きる(「誰にも出来ない以上自らやるしかない」と表現することも可能)。その為す重点が拙「以久科鉄道志学館」でなくなり、更新頻度が落ちる一方なのは、読者諸賢に申し訳なく思う。

 本年元旦、筆者らは家族総出で「舎人山」山頂から初日の出を仰いだ。綺麗な御来光は昨年と変わらない。ところが、視点をめぐらせてみると富士山以外の山の端が見えない。PM2.5 の影響なのか、霞の向こうに隠れてしまっている。美しい陽光に視界不良の山影。筆者のみならず社会全体の現在を象徴する眺望、といえるかもしれない。

 筆者はもうすぐ五十の坂に達する。頭上高くに天命を仰ぎつつも、直近の見通しは五里霧中そのもの、孤立無援で足掻いている段階にすぎない。それでも筆者は「自ら成すべきことを自ら為す」所存。読者諸賢にも応援していただければ、おおいにありがたい。また、頻度は落ちても更新をやめるわけではないので、拙「以久科鉄道志学館」を引き続き愛読していただければさらに幸甚である。

甲午初日
甲午初日を浴びて走る日暮里・舎人ライナー
天気晴朗なれど背景の山影は霞んで見えない






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