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『どこまで続くかまごころツアー、山陰、紀伊半島、無限大∞ループの旅』
以下の文章はU田こと後田が「まごころツアー10」の感想文として旅行後に提出した文章を加筆・修正したものです。軽い気持ちでご覧ください。 | |
「まごころツアー10」感想文 | 感想文です。 なんかエラそーに語ってます。 |
「まごころ旅行記10<雑談>」 | 涙の戦線離脱!——灼熱の九州行—— 「亀山事件」とその後 |
「まごころ旅行記10<雑談>②」 | 紀勢本線——地元の方々との交流風景—— 近藤クンが主人公です。 |
Mr.うしろだ 「まごころ旅行記10<雑談>」
Mr.うしろだ 「まごころ旅行記10<雑談>②」
「まごころツアー10」感想文
「なんで鉄道なんかが好きなんだ?」
鉄道ファンの端くれとして、よく尋ねられることである。普通電車で延々旅をする、ということに関しても、興味のない人には単なる「物好き」にしか映らないらしい(まあ、乗っていて自分でも物好きだと思うこともしばしばある)。人の好みはそれぞれだから、そのことに文句をつけるつもりはない。いやむしろ、私は今回の旅でその問いに対する答えを見つけたような気がする。 結論、つまりその「答え」から先に言えば、「レールがあって、駅があるから」鉄道が好きなのである。レールがあって、そこに列車が通る。列車は駅に止まる。駅には人々が集まり、見知った隣町へ、あるいは都市へ、そしてまた見知らぬ町へと列車を利用する。列車は移動手段であり、井戸端であり、教室であり、一夜の宿である。ことローカル線に乗ると、沿線の人々の息遣いを垣間見るような気がして、非常に充足した気分になる。はたまた都心の環状線でも、一見無表情な人々の群れの中に様々な人間模様が交錯している…。人々の希望、思惑、願望、欲求、悲哀…全てを飲み込み混沌と化した列車は、その一つ一つを駅に送り届けていくのである。私はつまり、鉄道の持つ一種の抱擁性と、そこに漂う生活臭に惚れこんでいるのである。
「旅人」としてそれを眺めると、一つ一つの「生活」はひどく小さく、滑稽に思えるほどであるが、いつしかその「生活」を羨ましく眺め、「生活」に飛びこみたくて仕方がなくなってしまう。しかし、それぞれの「生活」には「旅人」が土足で踏み込むことは許されない「聖域」のようなものがある。「聖域」に対して「旅人」は謙虚であることが要求される。そういう意味で、「聖域」は日頃一つ所で生活している自分自身を映す鏡のようでもある。それは嫌なものではなく、むしろ色々な「聖域」を見てみたいという欲求となって、結局また旅に出ることになるのである。
抽象的な話はこのぐらいにしておくが、少なくとも私は、私の友人の多くが誤解しているように「列車に乗って移動する」ことが好きなのではない。「列車に乗る」ことが好きなのである。そこには線路があり、駅があり、生活があるのである。そういう意味で、今回の「まごころツアー」はまさにうってつけと言えた。行き先が山陰・紀伊半島!大都市に行くのもいいが、夏の陽射しの下で「日本の夏」を感じるにはやはり地方でないと駄目だ。
そして——私は大満足で九州に戻って来た。1日目のダイジェストとしては山陰本線の廃線かと見まごうばかりの草生した線路。同じく山陰本線の非冷房キハ23で感じた自然の風。束の間だった特急のあまりの居心地の良さ。一畑電鉄の時ならぬ大混雑。その帰りのガラガラの車内。そして、「ムーンライト八重垣」車中で、米子駅を最後に私は眠りについた。出雲大社のご利益を期待しながら…。
2日目。「関空快速」の快適さに始まり、有田鉄道の存在感の無さ(失礼!)に驚いた。紀州鉄道の地域密着ぶり。和歌山線の各駅各駅の表情。大阪市内主要駅の賑わい。さらに、阪和線・きのくに線の下りラッシュの凄さまで思い知ることになった。
3日目。眠い目をこすりつつ食べた新宮駅のうどん。紀勢線での地元の方々との交流(私以外は寝ていた)。参宮線から意外に海が見えないこと。名松線の想像以上の山岳路線ぶりとその絶景&家城(いえき)まで乗車の謎の集団。そして…亀山駅乗り損ね事件(以下参照)。以後、お盆の帰省の関係で、私は「戦列」を離れ、名古屋から京都を回って「ムーンライト九州」で帰福した。
私はこの旅行に参加することができて本当に良かったと思っている。それは、先に述べた「鉄道好きの理由」を見出したことに加えて、滅多に訪れることの無いような土地を訪れることができたことがある。わけても、山陰本線をああして旅することができたことは本当に思い出になった。1人旅もいいけれど、何人かで感動を分け合うのもいいなあと感じた。今後も、可能な限り「まごころツアー」に参加したいと思った。
最後に、このような企画を作ってくださった大塚先生・藤井先輩に感謝の意を表して、感想文を締め括らせてもらいたいと思う。以下は、ほんの戯れの「旅行記<雑談>」です。興味のある方はどうぞ。
涙の戦線離脱!——灼熱の九州行—— まごころツアー10『どこまで続くかまごころツアー、山陰、紀伊半島、無限大∞ループの旅』も3日目、我々は昨夜新大阪を発って夜行快速で新宮へ、さらに紀伊半島を廻って、予定表によればそろそろ今日の宿泊地である四日市に近付こうとしていた。伊勢鉄道の運賃をケチッて、紀勢線の亀山までキハ11に揺られてたどり着いたのである。隣のホームにはJR西日本のキハ120、関西本線加茂行き2連が既に控えている。
「…弁当、間に合いませんよね」 そう、490円の伊勢鉄道運賃をケチッて亀山駅の有名な駅弁「志ぐれ茶漬」を買おうという魂胆だったのである。
「……(ん〜、確か3分乗り換えだったような…そろそろヤバいな…)」
「これに乗れんでも(「ムーンライト九州」に)間に合うとやろ?」
「…はぁ…まぁ多分…」 私の目の前でキハ120のドアが閉まった。エンジンが高鳴る。一瞬の沈黙後、爆笑する面々。
「(笑)これで心置きなく茶漬けが食えるやろ」
そういう問題なのだろうか…。だいたいいくらワンマンとは言え、ドア閉め前に一言「ドア閉めます」ぐらい言ってくれてもいいんじゃない?時刻表をちゃんと見てなかった私も悪いけどーっ!JR九州は肉声で言うぞーっ!!JR九州偉い!!JR九州万歳!!
とにかく、こうして我々一行は名古屋行き213系に乗り込みましたとさ。
…四日市着、16時08分。
「はぁ(憔悴しきっている私)」
「じゃな」 213系はドアを閉め、引き続き名古屋への道のりをたどっていった。小説を読んでいるうちに車内の乗客は増え、隣ではサラリーマン風の2人が標準語で語らい合っている。個人的には、「名古屋弁」なるものが聞いてみたかった。名古屋着、16時49分。…が、名古屋駅の手前で一旦減速し、名鉄の車両を横目にゆっくりゆっくり名古屋に進入、ドアが開いた時には時計は既に16時50分を回っていた。
13番乗り場に到着したこの普通電車から、次の快速米原行き16時52分発という列車に乗り換えなくてはならない。6番乗り場へ急ぐ私。間に合わないという前提なのか、駅進入前の「乗り換え案内」で「東海道線下り」として案内されなかった電車である。加えて名古屋駅は工事中。半ば諦めつつも通路を小走りに抜ける。
やっとの思いで117系米原行き快速に飛び乗ることができた。似たような「駆け込み乗車」を吸い込んで、ほどなく発車する。左手には下りの東海道新幹線300系が並走していた。博多行き「のぞみ」かどうかは確かめなかったが、
「あぁ、あれに乗れば今日中に福岡に帰り着くのに…」
と思ったりもした。ホームシックと言うよりは、やはりキハ120に見離されてしまったショックが大きかったのかもしれない。この117系、東海道本線を軽やかに飛ばしていたが、途中名鉄のパノラマDXと並走して負けてしまった。大垣から各駅停車になり、暮れかけてきたのとあわせて天候がやや崩れかけてきた関ケ原を越え、やがて米原に到着した。 18時ちょうど発、221系高槻から快速姫路行き。夕暮れがやはり福岡より早い。西に向かっているから太陽を「追いかけて」いるわけだが、いかなJR西日本のアーバンネットワークと言えども地球の自転速度にはかなわない。途中少し大きめの駅ごとに乗降があるが大量に入れ替わってしまうほどではない。米原から京都まで、自分の感覚では「すぐ」なのだが割と時間がかかってしまうのに驚く。221系がやっと京都に到着したのが19時10分のことであった。関西本線・草津線経由の場合に比べて1時間ほど遅れた計算になる。
まず、私が向かったのはお土産屋さんである。八つ橋だの絵葉書だのを買い漁った後、少し考え込んだ。駅でぶらぶらしているのもなんだし、どうせなら市内を一周してきてもいいなあ。福岡にある太宰府天満宮と、京都の北野天満宮は親戚だとか聞いたことがあったので、そこを周って来ようかと思いたった。荷物をコインロッカーに入れるのが面倒で、どうせ環状バスに乗ったままの「観光」になるだろうと考えてそのまま烏丸中央口の市バス案内所に向かった。
「路線図下さい。…あと、北野八幡宮はどう行けば…」
いつの間にか天満宮が八幡さまになっている私の頭の中。「…?…天満宮やないですか」
「…あっ、そーか。北野天満宮でした」 ……教えてもらった通りに駅前のバス乗り場でバスを待つ。九州の感覚だと、バスに乗るのに整列乗車なんてするわけがないのだが、京都ではそうもいかないらしく、バス停を見上げてボーっと突っ立っていた私の後ろに何人か列ができていく。これには少々焦った。バス停には系統別にLEDで接近情報が出ている。「ほぉ…」簡単いや感嘆の声がもれる。案内所で教えてもらった「北野天満宮前」経由のバスはしばらく来そうにないので、隣の「北野白梅町」を通る26番山越行きというのに乗ることにした。
整理券を取らないで乗ることに少々の後ろめたさを感じながら車内に入る。均一運賃だから運賃表も当然ないが、「降車ボタン」の応対まで自動化されている。都営バスや長崎電気軌道で体験したことがあるが、これは今イチ調子が狂う。京都市バスは、やたらでかいボタンを押すと「ビーッ…キンコーン…ツギ、トマリマス」とやられた。やはり降車ボタンと言うのは「ピンポーン」『はい次停車ぁ!』この呼吸と迫力が欲しいと思う。
バスは「三条云々」「四条云々」と、いかにも京都っぽいバス停を通って行く。考えてみれば条里制の敷かれた街だから、ニューヨーク(マンハッタン)のようなもので慣れれば至って簡単なのだろう。むしろニューヨークの方が一方通行があったりでややこしそうだった。しかし同じような地名が連発されて、旅行客は自分の降りるバス停がわからなくなったりするであろう。かくいう私も、ずっと先ほど貰った路線図と睨めっこしていた。
北野白梅町で均一運賃の220円を投入して降りる。初乗り運賃にしては高いかもしれないが、このぐらい乗ると当然の値段である。通りをちょっと歩いて既に閉まっている天満宮の前まで行って、それから今度は「北野天満宮前」のバス停にたどり着く。間髪入れずに51番四条河原町行きのバスがやって来た。反射的に乗ってから路線図を見ると、何とこのバス、京都駅に行かない。一瞬凍りついたが、よく見ると地下鉄の駅を経由していた。良かった。
四条御池でバスを降り、地下鉄の駅に降りる。この駅は東西線と烏丸線の交差する駅で、ついでに東西線も見て来ようかと思ったが、いかんせん夜だし、「ムーンライト九州」を逃した日には野宿しかない(金がない…)のでとにかく京都駅に向かうことだけを考えて、断腸の思いで烏丸線竹田行きに乗り込んだ。…テープの案内放送があるのに車掌さんが乗っているという、変わった地下鉄だと思った。
京都駅。キオスクで再び土産を買って、7番乗り場へ向かう。そこには、まさに我らのヒーロー「ムーンライト九州」博多行きがその車体を横たえていた。前の方の自由席車は立っている人も多く、少々気の毒だった。私の席は5号車16番A席。窓側というのはいいが、隣は一体どんな人だろうかと本気で色々考える。鉄道マニアとか…極道の人とか…アニメオタクとか…意表を突いて学ランのガリ勉男とか…マッチョな黒人さんとか…普段の学校生活が「逆境」あるいは「男の園」なためか、「お色気たっぷりボンきゅっボンの関西系美女」とか「古都京都のたたずまいがにじみ出るおしとやかな大和撫子」とかいう発想は出て来ない。隣席は男性だと、そう決めてかかっていたのである。
が、何と、本当に隣が女の子だったからもぉ…。女の子と言っても幼稚園児とかではなく、かつ、おばあさんでもなく、女子高校生!ちなみにTVに出て来るような気色悪い「じょしこーせー」ではないっ!まさに快挙!いざ行かん!(?)………向かい側の席に引率の先生がいたりした。
電機特有(?)の「引き出し」の強いショックがあって、「ムーンライト九州」は九州へ向け発車した。訊けば、彼女たち一行は我が大濠高校にほど近い、福岡市早○区○新の某私立○南学○高校の方々で、滋賀県にある何かの施設にボランティア活動に行った帰りだということだった。私が「まごころツアー」の話をして「しおり」を見せると、先生方はやたら感心して下さったが、彼女は引いてしまった(>_<)。車内灯が減光される加古川まで、201系や207系との並走を眺めたり彼女と先生達との「聖書話」に引っ張り出されたりして時間を過ごした。で、彼女は向かいの先生の席を2つ分占領してお休みになり、私もじきに眠くなってきて、いつしか眠り込んでいた。
…目が覚めると朝だった。厚狭(あさ)だったのではない。下関だった。隣にはアイマスクをした「先生」が眠ってらっしゃる。向かいの2席には「彼女」とその友達らしき人の2人が眠っていた。私は門司で下車して門司〜門司港間の乗りつぶしをやりたかったのだが、「先生」を強引に起こすのも何だしなと思って、しばし考え込んでいた。列車は間もなく機関車を付け替え、関門トンネルに突入した。ほどなく門司到着。荷物をごそごそやってたら「先生」が起きたので、晴れて私は、門司港駅のホームを踏むことができた。
レトロな門司港駅を仰いで自宅に電話したら父親の都合との兼ね合いで、今日は夕方までは大丈夫とのことだったので、門司港から大分に行った。それから小倉に戻り、折尾から若松、再び折尾から今度は香椎に向かい、西戸崎。そして折り返して宇美まで行き、宇美駅近くの「上宇美」停留所から西鉄バス11番(注:筑紫地区の系統番号。博多駅〜城南〜昭代〜藤崎という系統ではありません)JR南福岡駅行きに乗り、「雑餉隈(ざっしょのくま)駅入口」で下車して雑餉隈から西鉄大牟田線で白木原(しらきばる)の自宅に帰ったのであった。
紀勢本線——地元の方々との交流風景——
まごころツアー10『どこまで続くかまごころツアー、山陰、紀伊半島、無限大∞ループの旅』の2泊目の宿は新大阪発貨物線・環状線・阪和線・きのくに線経由新宮行き165系夜行快速であった。新大阪で途中から乗車してくる筈の藤井さんが登場するというハプニングがありながらも、労せずして「新宮夜行」に乗車したはいいが、なにぶん阪和線の下り快速ゆえ新今宮や天王寺からかなりの乗客が乗ってきた。この番外編の中心人物となる近藤クンと後田のいたボックスには熊取までOLさんが乗っていた。この辺はいいとして。
ともかくも165系ゆえ、昼行の感覚が抜けず、眠れないのだ。窓を叩く雨の音を聞いたり、紀伊田辺や白浜での停車時間では駅の外に出る始末。おかげで翌日、新宮から乗ったJR東海の松阪行き普通列車ではことごとく爆睡モードに入ってしまっていた(注:新宮夜行でも松阪行きでも黙々と睡眠をとられていた方もいらっしゃったが)。列車は比較的空いていて、後田と近藤クンはそれぞれ1つずつ、通路を挟んで向き合うボックスを占領していた。
後田は夜行で少し寝ていたので読書中。それゆえ近藤クンの行動はわからない。だんだん多気に近付くに連れて混雑してきた車内に、三瀬谷か川添か、あるいは栃原か、その辺の駅から母娘(と思われる)3人が連れ立って乗って来た。恐らく母親らしい女性が近藤のいるボックスに、その娘さんらしい2人が後田のいるボックスに腰を落ち着けた。
時ならぬ「女の子」の来襲に慌てる後田。しかしその姉妹(らしき)2人、どうも向こうを向いてしきりに笑いをこらえている様子だ。後田は不審に思い、姉妹の間から顔を覗かせて向かいのボックスを見た。……そこには、微動だにせず眠りこける近藤クンの姿があった……。仲間とは言え、思わず吹き出してしまう後田。いわゆるcan't help laughingという状態である。多気に着くまで、3人が盛り上がっていたのは言うまでもない。一応、後田は近藤クンの名誉のため、彼がなにゆえああして眠っているのかを誠意を込めて話したのであった。旅にはこんなこともある——
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