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3日目〜8月10日(火)〜あこがれの紀伊半島

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 この日から紀伊半島地方は低気圧の接近に伴うあいにくの雨模様で、以前から訪れたかった南紀地方の景色がよく見られなくて残念だった。だが天気が荒れている方が外海の荒々しさが感じられてよかったのだと思いたい。(和歌山線のことといい、このことといい、私の長所は何事もいいように考えられるところだ。私のクラスで回している日記に内藤というお人好しの生徒が同じようなことを書いていたことを思い出し、彼の柔和な顔が瞼に浮かんだ。)終着の新宮駅を境にJRの管轄は西日本から東海へと変わる。当然、新宮駅には接続のための両社の車両が入って来るので、眠気がさめた。
 私たちが乗ってきた165系がいなくなったホームにはJR東海のキハ40系JR東海色が挨拶がてら、やってきた。このJR東海色の「帯」の色は静岡名産のお茶みかんをイメージしている(元は湘南色からきているようだ)らしく、そのことは生徒たちに言わせるとマニアの*5 常識らしい
新大阪駅にて新宮駅にて
新宮行夜行165系湘南色(左)と、キハ40系JR東海色(右)。
国鉄伝統の配色はJRに替わっても引き継がれている。
 新宮駅のホームには早朝からうどん屋が開いていた。他にも店がないのかと改札を出ると先ほどのうどん屋が繋がっていて、改札の外からも注文できるようになっている。その商魂に負けてそこで朝食をとった。新宮からキハ58系の旧国鉄色と旧「みえ」塗色の混結に乗って東進する。さらに多気(たき)駅で乗り換え参宮線に入った。雑誌などを見ると同線は、海沿いを走る風光明媚な路線というイメージがあったのだが、海はあまり見えない。他にいいものはないかと車窓を眺めていると、伊勢市駅の気動車区(もちろんキハ58系の旧国鉄色のオンパレード)や、鳥羽駅付近で併走する近鉄線などが私を喜ばせてくれた。また、各駅ともホームが長く引き込み線もあるなど、伊勢神宮参拝客輸送の往時が偲ばれる。
 鳥羽で折り返し、松阪に向かう。去年から今年にかけての西武の松坂人気は異常な程だったが、松阪牛の人気も依然衰えていない。名物の「元祖松阪牛肉弁当(1260円)」は駅弁人気投票で常に上位に顔を出す有名な駅弁だ。もちろん購入して食べてみたが、冷めていても肉がとても軟らかかったのが印象に残る。(この「まごころツアー10」の後になってわかったことだが、松阪牛は神戸牛や長崎牛等とともに石垣牛の子牛を仕入れて育てているらしい。つまりどこの名物牛肉も同じくらいおいしいということだ。)
 松阪駅から存在すら知らなかった名松線に乗車した。名松線の列車は水田が広がる平野を抜けると、山あいをまるで清流とかくれんぼでもしているかのようにコトコト走る。いい意味で予想を裏切られた路線だった。路線名の由来は「」は張、「」は阪で、名張までの建設計画があったからだ、と藤井が教えてくれた。一応終点の伊勢奥津(いせおきつ)から名張までバスが走っているが、すこぶる接続が悪いらしい。
雨の伊勢奥津駅
 建設中止も納得のいくほど山深く入り込んだ伊勢奥津駅に着くと、給水塔が目に止まり、ここでも蒸気時代を偲ばせてくれる。ディーゼルのエンジン音がなかったらまったくの静寂に包まれるはずだ。天気のせいか霞がかかっていて、まるで「火曜サスペンス劇場『伊勢志摩伝説殺人事件』」の舞台にでもなりそうな雰囲気があり、私が愛読する推理作家内田康夫氏の作品に出てきそうな所だ。氏がこの辺りの歴史や地元に伝わる言い伝えに、伊勢神宮の話をからませて書いてくれたらいいなあ、などと勝手に思いつつ景色を眺めた。
 駅舎内にあった来訪者用の寄せ書きのノートに本同好会の「まごころツアー」隊が訪れたことを後田が記す。有田鉄道の金屋口駅にもノートがあったので記入してきたそうだ。それにしても生徒たちの積極的な行動力やなんでもよく調べてくる好奇心、探求心には感心させられる。それも図書館で本を借りたり知人に聞いたりして、できるだけお金がかからないように工夫して調べるところが高校生らしくて好感がもてる。思い出してみると初めての「まごころツアー」の時から生徒達(衛藤や吉牟田たち)は同じだった。普段の学校生活では見られない生徒たちのそういう一面を見られるのでこの「まごころツアー」はやめられないのだ。(もちろん私が純粋に旅に出たいということもあるが。)
 折り返しの列車で松阪に戻り更に北上し、亀山経由で宿泊地の四日市に入る。伊勢鉄道経由で亀山をショートカットする方が時間的には早いのだが、あえて亀山経由を選んだのには理由がある。

翌朝までに福岡に戻らなければならない後田が、京都から「ムーンライト九州」に乗車するためには、亀山で離団して草津線経由で廻るのが早い。
亀山駅近くの弁当屋で売られている、全国でも珍しいお茶漬けの弁当「志ぐれ茶漬」が食べたい。
お金をかけたくない。(弁当代込みでも亀山経由の方が安い)
まずはJRを全線乗車したい。

これらすべての条件を満たすならば迷わず亀山廻りだ。そうだ! 我々学生には(もちろん私を除く。気持ちは学生だが・・・)金はないが暇ならいくらでもある。これぞ「青春18きっぷ」を使った旅行、そして「まごころツアー」の醍醐味と言える!
「我々は運命を共にしているんだ。」という仲間意識がみんなに芽生え、これが更に同好会や学校に対する帰属意識となり、同好会および学校活動を活発にし、それらがいくつも集まって大濠高校の未来永劫への大発展につながるんだ!・・・と私の教育論はいいとして、とにかく簡単に言えばもうすぐ後田が離れるということで、みんな口には出さないがなんとなく寂しいという気持ちを隠すために、テンションを高めに設定していたようだった。そんな中、2度目の「トラブル」は起こった。

「藤井、後田は亀山駅で何分乗り継ぎや?」
藤井「え〜っと、3分です。」
全員「・・・?」
後田「それじゃあ、弁当買ってくるの間に合わないんじゃあ?」
全員「・・・!!」
「と、とにかく亀山に着いたら藤井はダッシュして買って来い! 近藤は藤井のカバンを持っていってやれ! 後田はギリギリまで待っとけ!」
生徒「ハイッ!」

突然の緊張感が皆を支配する。弁当は予約制なので先日すでに手配済みなのだ。亀山に着いた。藤井が一番に飛び出す。我々も関西本線ホームに走る。せっかくの弁当を無駄にしたくないし、後田にも食べさせてやりたい。少しでも喜びを分かち合いたかった。しかし藤井はまだ戻ってこない。

「藤井はまだや?」
生徒「・・・」
「後田、まだ時間あるっちゃろ?」
後田「えっ?、え〜っと・・・」

プシューッ、バタン。
その時である。予告もなく無情にもドアは閉まった。
 「あ〜っ!」
一同悲鳴のあと、どっと笑いが沸き起こる。後田はややひきつっている。そう言えば今日一日を思い出してみると、JR東海はドアを閉めるときにアナウンスも発車ベルもなかったような気がする。JR九州は発車ベルをせかすように何度もならす時があるのでうるさいとさえ思っていたが、このときばかりはJR九州がありがたく感じた。ようやく藤井が峠越えしたSLのように息を切らせながら段ボールに「貨物」を満載して戻ってきた。彼は「なんで行ってしもうたんですか〜。」となぜか関西弁になっていた。(一応、京都育ちらしい)

「次のでも間に合うっちゃろ?」
後田「え〜、まあ。」

後田の不安げな顔をよそに楽天家の我々は元の陽気なテンションに戻っていた。結局、名古屋廻りの方が接続がいいということで、我々と一緒に四日市まで行った。間に合うかどうか心配だったが、後で聞いてみると京都市内を見回る余裕(詳細は後田著 「まごころ旅行記10<雑談>」 へ)さえあったらしく安心した。

 ホテルでチェックインを済ませ、荷物を置いて模型屋巡りに名古屋へ向かう。今回は「タシロ模型」と、「 まごころツアー8 」でお世話になった 「ビーポート」の2件にターゲットを絞る。「タシロ模型」で岸原はまたもや探していた車両があったとかでNゲージを購入。旅行後「16才で300両とは恐ろしいやつだ。」と北方に話したら、「31才から集め始めたとはいえ5年で1000両の先生の方が恐ろしい。」と言われたがそうだろうか?

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*5
常識らしい私がマニアの常識からはずれていたことは黙っていたが、筑肥線を走るJR九州の103系1500番台旧塗色が玄界灘の海と砂浜をイメージしていたことなら知っていた。  戻る

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