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2日目〜8月9日(月)〜有田鉄道・紀州鉄道見学

※文中の「*4」などの記号の箇所はポインタを合わせると説明を表示します。クリックすると説明文の箇所に飛びます。

 翌朝午前5時17分大阪駅に到着、ロッカーに荷物を預け、天王寺駅から阪和線の223系関空快速に乗ったが、この223系の乗り心地は抜群によかった。通勤ラッシュと逆向きということもあってか混雑もなく、先頭車の最前列から開放的な前面ガラス越しに見える大阪の町の風景と、シートの固さ、クッションの効いたエアーサス、静かなモーター音と相まって*4 とても快適だ 。(それに比べると京阪神地区の221系新快速はいつも混雑してて、せっかくの車窓が楽しめず、新しい車両なのだがいまいち快適さがない。その上夏場は混雑しているのに弱冷房車なので暑い!)
 それから、この阪和線と紀勢本線では113系(阪和線快速色)が健在だったので驚いた。もうとっくに配置換えになって塗色変更を受けているか廃車になっていると思っていたら、まだまだたくさん走っていた。この車両は113系関西本線快速色と並んで、子供の頃にすでにモデル化されていて、写真を見るだけでずうっと憧れていた。そんな車両が目の前に現れると一種の感動を覚える。生徒たちも似たような感覚になったのか懸命に写真を撮っていた。そんな生徒達の姿を見ながら、最近TOMIXがこの113系快速色2種を再生産していたことを思い出した。(ま、まさかっ・・・←後田風コメント)
天王寺駅にて藤並駅にて
私の「病気」を再発させた223系(左)と今後「再発」の可能性がある113系(右)
 途中2回ほど乗り換えをして8時5分藤並駅に到着。ここから有田鉄道に乗車する。
藤並駅にて
有田鉄道藤並駅にて、車両は元樽見鉄道ハイモ180形
 この有田鉄道は和歌山特産のひとつであるミカンを湯浅港まで運ぶ目的で作られた。車内や各駅構内には「レールバスに乗って輪を広げよう」という旨の標語みたいなものが掲げられており、一人でも多くの乗客を確保しようという同社の切実な訴えが感じられた。予期できない横揺れに揺られながら終点金屋口駅に到着。同駅構内には富士急行から譲り受けたキハ58 000型(キハ58と連結できるのでこういう形式番号になったらしい、と藤井が教えてくれた、ただし両運転台)が留置してあり、今はイベント列車などで運用されているらしい。また同駅の事務室入り口には「どうぞ、ご自由にお入りください」という表示があって、中に入るとイベント列車用のヘッドマークや記念スタンプなどが置いてあったのだが、こういう所も珍しい。
 藤並駅に戻り今度は御坊駅へ向かい、同駅から紀州鉄道に乗車。有田鉄道紀州鉄道も、駅舎だけでなくホームまでJRと共用しているので乗り継ぎには便利だ。私たちを出迎えてくれたのは、大分交通の国東線や耶馬渓線で昭和50年の廃止時まで活躍した昭和35年製の604号だ。当然のごとく床は木張りで、マスクはどことなくTV「ポンキッキーズ」の「ガチャピン」に似ていて愛嬌がある。「ガチャピン」が御坊駅を出発してまもなく西にカーブして行くと、草が生い茂り途中で線路がなくなってしまっているのではないかと思うほどだ。全部で5駅、たった2.7kmの日本一短い私鉄線だ。
御坊駅にて
 途中に有名な学門駅があり、終点の西御坊駅でお守り風の切符を販売していたので早速購入。その瞬間、クラス(3年生)の生徒たちの顔が浮かぶ。「夏休みの補習のないこの期間、ちゃんと勉強しているかなあ?」 駅名表示板が異常に大きく見えてしまうほど小さな木造駅舎の終点西御坊駅の先には、まだ線路が延びており、使用はしていないものの踏切まである。これは日高川駅まで路線が延びていた頃の名残だ。よくこんな状態の鉄道が廃止されずに残っているなあと感心していたら、「実は一度廃止寸前にまで追い込まれたらしいです。しかし不動産会社が買収してなんとか生きながらえているらしいです。」とここでも藤井の解説が入った。名称も買収される前までは「御坊臨港鉄道」だったらしく、そっちの方が情緒があってよかった、と言っていた。それにしても藤井はよく調べている。
 11時11分和歌山駅に戻って「 まごころツアー9 」で感動した和歌山ラーメン「井手商店」の味が忘れられず、本店へ行ったが、夕方からの営業ということを聞き、ちょっと残念だった。和歌山線と桜井線にて奈良へと向かう。105系のロングシートに座って3時間の鈍行の旅なのだが、この和歌山−奈良間が今回の旅行の中で一番きつかったと参加者は口をそろえていた。だいたい、和歌山−天王寺間が58分で、天王寺−奈良間が30分なのに、どうして和歌山−奈良間が180分もかかるのか? 三角不等式が成り立たないではないか!
 我々九州の人間にとって和歌山、奈良というと神戸や京都と同じように関西地区の都会のイメージがある。その和歌山−奈良を結ぶ路線がなんで3時間もかかり、おまけに鈍行しかないのか、訪れる前から疑問であった。しかし、実際に訪れてみてよくわかった。この和歌山線は、山に囲まれた紀ノ川沿いの狭い平野部をさかのぼり山越えをする、のどかなローカル線で、途中にスイッチバックまであるのだ。ここが東京と違う所で、同じ大都市圏でありながら関西はちょっと電車に乗って1時間も行くと、のどかな風景が飛び出したりして、なんか暖かみがある。
 そう言えば以前、どっきり風のTV番組で仕掛け人が通行人にいきなり「やあ〜、やっぱりあつ(暑)はなつ(夏)いですね〜。」と声をかけると、東京の人はほとんどの人が無視して、あるいは怪訝な顔を浮かべながら通り過ぎていくのに対して、逆に大阪の人はほとんどの人が「それ言うなら、なつはあついやろ!」とちゃんとツッコミをしてくれるのを見たことがある。忙しそうに早歩きしているサラリーマンまでもがそう答えるのを見て驚いたおぼえがある。関西地区はそんな暖かみ(あるいは心の余裕とでも言うのか)を残した都会なのだと納得してしまった。
 3時間のロングシート乗車に耐えた我々はようやく奈良に着くと二班に別れた。乗りつぶし派の後田と近藤はさらに奈良線・片町線乗車へと向かい、私、藤井、岸原は大和路快速で大阪・西九条の交通科学博物館へと向かった。ここ大阪交通科学博物館は東京の交通博物館と違って鉄道中心の構成となっている。広大なHOゲージのジオラマ上での運転会があったり、実物の展示車両も東京の博物館の0系新幹線やSLのD51等に対し、大阪の博物館はキハ81系“ブルドッグ”やスシ28、同じSLにしてもD51“ナメクジ”だったりと、なかなかマニアックだ。ここで藤井と別れ、私と岸原は模型店巡りをした。
 梅田の「京鉄大阪店」は店員の方の知識も豊富で、プロ・アマが製作した委託品や鉄道雑誌のバックナンバーが有り、割引もしてくれるので大阪に行くときは必ず訪れている。その他に今回初めて寄ったのが、神戸の「ライト新長田店」だ。安い(20%引き)ということは既に広告を見て知っていたが、在庫も結構あって私と岸原は模型を買った。すっかり気に入った大阪の町をぶらついて、新大阪駅に集合した。
 ここから、ムーンライト兄弟以外では「まごころツアー」初の夜行列車(色)に乗る。22時45分新大阪発、翌5時10分新宮着の快速だ。もともと釣り客用の列車だそうで、白浜辺りから先はほとんどの駅に停車する。私はこの列車の存在自体知らなかったが、ムーンライト以外では普通運賃で乗車できる夜行列車は、今やこの列車と臨時の大垣夜行ぐらいだそうだ。予想に反して、釣り客より一杯ひっかけた通勤客の利用が多く、車内は混雑していて、直角シートがこんなに寝にくいとは思わなかった。しかし、生徒たちに言わせると私はグーグー寝ていたらしい。彼らはと言うと、途中の停車駅でホームに出て写真やビデオを撮ったり、記念スタンプをちゃっかり押してきたりして、あまり寝なかったらしい。そのことを翌日聞かされて年齢の差を感じた。ん〜、若いっていいなあ。

 

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*4
とても快適だすっかり223系のとりこになった私は「病気」が再発し、旅行後Nゲージ(KATO、モデル化は1000番代)を購入してしまった。(はぁぁ、やっぱり・・・←後田のコメント)  戻る

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