このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

1日目〜8月8日()〜一畑電鉄見学、「まごころトラブル」の始まり

※文中の「*1」などの記号の箇所はポインタを合わせると説明を表示します。クリックすると説明文の箇所に飛びます。

 午前6時34分、随分と遅い出発である。最近の「まごころツアー」は、
 ①大人数だから早く出て余裕をもって行きたい。( まごころ8
 ②なるべくいろんな路線に乗車しながら目的地に行きたい。( まごころ9
などの理由でかなり早い時間(午前4時56分)の出発となっていたが、この記念すべき10回目の「まごころツアー」の出発が1時間半も遅いのには理由がある。それは往路を山陰本線廻りにしたからだ。ご存知の通り山陰本線は多くの過疎の町を結ぶ、運行本数が極端に少ない、本線とはちょっと言い難い路線だ。ダイヤの組合せ上ということと、いつも山陽本線廻りでちょっと飽きがきているということも手伝って、今回のツアーは山陰本線廻りということになった。初日の目的地、*1 一畑電鉄 がある出雲市に入るのに、たとえ4時56分の始発で出て、しかも山陰本線廻りを捨てて山陽本線から美祢線経由、山口線経由、芸備線経由のどれを選んだとしても、到着時間は同じか、かえって遅くなるというんだから、いかに接続が悪いかがわかる。
 そういうわけで、朝ゆっくり起きて、タクシーでなくバスで博多駅に集合できる時間の出発となった。いつもながらJR九州が誇るVVVFインバーター制御の813系7連に乗った。夏休みの日曜日でなければこの時間は通勤、通学客でいっぱいだったに違いない。下関からは今日8月8日までの期間限定の快速「サマーイン北長門」に乗車した。
 
下関駅にて
運行最終日に「サマーイン北長門」に
乗車できたのはラッキーだった。
 この列車では途中の駅から*2 豊北町 の観光キャンペーン隊が乗り込んできて、ワカメのふりかけをもらったり、勝てば梨1箱がもらえるというジャンケン大会に参加したり(乗客8人の内5人が、わが「まごころツアー」隊というのになぜ勝てない! このことが今後のまごころ「トラブル」を暗示していたのか?)、長門市駅に着くと陶器でできた風鈴をもらったりなど、我々を喜ばせてくれた。期間限定の列車に乗車するというだけでマニア心がくすぐられるのだが、こういう体験やグッズまでもがマニアの間ではレアなものだとして出回るのかなと想像してしまい、私の危ないマニア心はくすぐられっぱなしだった。

 それにしても、車内でジャンケン大会が行われるなど、なんとものどかな話だが、途中で、線路が隠れるほど、枕木の間に雑草が生い茂っている所など、廃止直前のローカル私鉄線かと見まがうほどの本線だった。ただ、個人的にはこういう路線の方が好きだし、なんといっても山陰本線は旧国鉄色のキハ58系(ドアの下部に採光窓が残っているタイプまである、と藤井は指摘していた)やキハ181系(こちらはJR西日本色に変わりつつある)が現存する姿が見られる。

健在! 旧国鉄色のキハ58(左)とキハ181(右)
 また、非冷房のキハ23系で感じる自然の風はとても心地よく、冷房化が進んだ今日、かえって新鮮に感じることができた。今や貴重な路線と言える。そして、山陰本線と言えば冬の荒々しい日本海沿いを走るイメージがあったが、萩や益田などの都市近郊を除いては山間部を走ることの方が多い。そしてイメージとは裏腹に、時折見せる夏の海はとても美しく、けがれを知らない。
 浜田からは「まごころツアー4」以来となる特急(「おき4号」、もちろんキハ181系旧色)を利用し、一気に出雲市に入った。JRの出雲市駅から一畑電鉄の電鉄出雲市駅まで徒歩2分と聞いていたが、目一杯走って2分だった。このため接続時間を5分で設定していたが、切符を買う間出発を待ってもらうはめになってしまった。
出雲大社前駅にて
あこがれの一畑電鉄(車両は元南海所属)の出雲大社前駅にて。
この後最初の「トラブル」が我々を待ち受けていた。
 ついに来た! あの一畑電鉄だ! 田んぼの中や宍道湖をバックにコトコトと走る姿を今まで写真で見てあこがれてきたが、今、自分はあの風景の中にいるんだ。残念ながら塗装は変更されているが、そんなことはもうどうでもいい。子供の時、童話を読んでいるとその童話の世界に自分がいるかのような気持ちになって、胸をワクワクさせたものだが、その感覚に近い。やっぱりローカル線は風情があっていい。そう言えば一畑の車両のドアが閉まる時のチャイムは、JR東日本の東北地区を走る701系の音に似ていることに気付いたのだが、これもあちこち旅をしているからなのだなと思った。
 我々は出発前、一畑電鉄の平田市駅構内にある車両区の見学許可をとろうと思って電話をしたのだが、この日はちょうど松江市で花火大会があり、車両も人手も出払っているということなので遠慮していた。それどころか花火客でいっぱいでせっかくの車窓が見られなかったり、列車が遅れて下手すると「ムーンライト八重垣」に乗れなくなってしまうかもしれないと思い、特急を利用したり、先に松江温泉駅に向かったりしたのだ。そのかいあってすでに浴衣姿の見物客もいたが、海のように広い宍道湖の車窓は十分楽しめた。
 松江温泉駅から折り返し、出雲大社前駅へ向かう。松江温泉駅行の車内はすれ違うたびに混雑を増していた。出雲大社前駅からは徒歩で旧国鉄大社駅を訪問。同駅舎は出雲大社参拝客のほとんどが列車を利用していた鉄道輸送全盛時代を彷彿とさせるに十分すぎるほどの偉容を誇る。
荘厳な姿は「廃線」を感じさせない
旧国鉄大社駅、長いホームや線路も残されている。
 その後、出雲大社を参拝。かつては新婚旅行のメッカとしても知られていたが、宮崎の青島付近を訪れたときと同じような寂しさを感じた。参道の途中に静態保存されているD51774号機を発見。何組の新婚さんを運んだのだろう。出雲大社駅をあとにして我々は電鉄出雲市駅に向かった。あとはJR出雲市駅でゆっくり食料でも買い込み「ムーンライト八重垣」に余裕をもって乗車する予定だった。
 だがその時、最初の「トラブル」は起きた。電車は川跡(かわと)駅に着いた。ここで電鉄出雲市駅行に乗り換えるのだが、電車を降りる際、私のズボンのポケットから携帯電話がポロリと落ち、こともあろうに車両とホームの隙間に落ちていったのだった。急いで駅員さんに連絡すると、駅員さんはまず電車の出発を待たせて、車両の隙間に潜り込み、見事携帯電話を取り出してくれたのだ。(その時の駅員さんと出発を待ってくださった乗客のみなさまにこの場を借りてお詫びとお礼を申し上げます。本当にご迷惑おかけしました。)花火の影響で列車が遅れることを恐れて、特急まで使ったのだが、まさか自分が列車を遅らせてしまうことになるとは*3 思いも寄らなかった
 JR出雲市駅から「ムーンライト八重垣」に乗車、これで乗車していない「ムーンライト」は「高知(岡山からは『ムーンライト松山』・『ムーンライト山陽』を併結)」だけだ。そう言えばこの時期に前後してOBの吉牟田がムーンライト全兄弟を乗車して一畑電鉄や蒲原(かんばら)鉄道を訪れるそうだ。彼は東京を本拠地にいろいろとまわって、「OHORI MODELS」に寄稿してくれたり、メールで情報をくれたりとなかなか精力的に活動しているようだ。いきなり「トラブル」発生の「まごころツアー10」は今後の展開に不安を残しつつ、ようやく初日を終えた。

「もくじ・序章」へ   大阪・和歌山を堪能。「2日目」へ

*1
一畑電鉄我々は「いっぱた」とか「いちはた」と呼んでいたが、「いちばた」が正しいらしい。  戻る
*2
豊北町「ほうほく」と読む。そう言えば、キャンペーン隊の人が藤井に「どちらまで行かれるんですか?」と聞いたので、藤井が「出雲市までです。」と答えると、そのあまりの遠さにキャンペーン隊の人は凍り付いていた。  戻る
*3
思いも寄らなかった実は私は初めて「青春18きっぷ」を利用した「まごころツアー4」でも福山あたりで車内に携帯電話を忘れて、あとで引き返して取りに戻り、一人で寂しく追いかけてやっと大垣で追いついたという、引率者にあるまじき前歴がある。  戻る

このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください