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11−④:チャレンジ九州2000キロ、ミレニアム記念の旅2000年冬

「行程表」はこちら
平成12年1月3日(月)〜5日(水)
案内人:後田 紘一

(第2部)

更新日時:12:20 00/01/05
更新場所:鹿児島本線八代付近
次回予定:さぁ・・・?

 伊集院5時44分着。「停車予定時間」の長さを生かして、「ドリームつばめ」の遅れは完璧に回復していました。冷え込む駅前から鹿児島交通の枕崎行きバスに乗車しました。乗客は我々を含めて5人。バスは駅前でやや長めに停車し、遅れて発車しました。恐らくそうだろうと思っていたのですが、予想通り、途中停留所で乗降客がいないためことごとく停留所を通過していったのでした。最初の乗客が乗ってきたのは伊集院からだいぶ離れた「永吉十文字」でした。
 「つぎはオオホリです」というアナウンスに一瞬びっくりしたのですが、「大濠」ではなくて「大堀」でした。加世田のターミナルの近くには「スナック ブルートレイン」なる店があり、ターミナルには鉄道記念館が併設されているなど「南薩鉄道」を偲ぶことができました。余談ですが、かつて大隅線の通っていた垂水市には「バー 踏切」という店があります。
 バスの車窓から見ていると、明らかに築堤があったり、道路が鉄道線跡をオーバーパスしていたりするのを眺めることができました。7時45分、バスは枕崎の駅前に滑り込みました。「60」まで整理券番号が示してある運賃表示機には「58」のところまでLEDが灯っていました。1000円札を運賃箱に投入するという初めての経験を経て枕崎駅のホームに上がると……キハ200とばかり思いこんでいた我々の目の前に、キハ58+28の「快速」がやって来たのでした。
 2両編成の車内からは意外にも多くの客が降り立ちました。と、その乗客の中に我々と同じ目的で枕崎を訪れた青年がいました。(ちなみに彼は同じ車両で折り返し、中名で下車した様子でした。)列車は快速とは言え山川までは各駅停車でした。ローカル線にもかかわらず、いや、ローカル線ゆえかもしれませんが、ほぼ全駅から乗客が乗って来ました。中高生も多く、またしても言葉が鹿児島弁になるU田でした。イトコが近くに住んでいるので乗って来ないかなー、などと思っていましたがさすがにそれはありませんでした。
 大山までの車窓からは様々な角度で「薩摩富士」と名高い開聞岳の勇壮な姿を眺めることができ、その美しさに大塚先生はもうメロメロでした。この冬暖かいせいか紅葉がきれいで、まさに最高の車窓でした。日本最南端の駅西大山駅はホームだけの寂しい無人駅でしたがホームの片隅に「日本最南端の駅」というポールが立っていました。少し手前の開聞駅はドラマ「青い鳥」の中で「波留駅」として出てきた駅ですし、東開聞駅はタイガーウッズが来たときに最寄り駅として臨時列車が降り返し運転された駅です。ローカル線とは言え、意外と話題豊富です。
 列車は山川トンネルを抜け、山川駅の2番線に到着しました。山川から先は錦江湾を望むことができ、穏やかな海にそれぞれの想いを寄せました。快速運転に入った車内は混雑が徐々に激しくなり、立ち客も多く出る有り様でした。
 西鹿児島で慌しく写真を撮り、9両編成の博多行き「つばめ10号」に飛び乗り、現在は車窓左手八代海に浮かぶ天草諸島(曇天でかなり霞んで見えますが)を眺めながらこれを打っています。次の目的地は阿蘇…まだまだ旅は続きます。おっ!?「つばめレディー」が車内販売にやって来たぞ
 「つばめ」は熊本に近付くに連れて乗客が増え、自由席車はほぼ満席になりました。デッキに立っている人もいます。八代5分停車だそうなので、その隙にアップしたいと思います。では。
熊本駅にて、キハ31「フレスタくまもと」色熊本駅にて。こんなことやってます枕崎駅にて、鹿児島交通バス
左:熊本駅にて。キハ31「フレスタくまもと」色。三角線は闇の中。
中:熊本駅にて。「あんたらなんなんだ?」(^_^;)
右:枕崎駅前にて。伊集院から枕崎まで乗り通したバス。
大塚先生作、「薩摩富士」←:指宿枕崎線薩摩川尻付近にて、雄大な姿の開聞岳を目にしたボンジュール雅之氏(注:マニ塚先生)は、自らの身体に流れるアーティストの血が熱く騒ぐのを感じ、福岡に戻ってからこの絵を完成させました。題して「薩摩富士」
大きなサイズで見る→ 「薩摩富士」

更新日時:23:20 00/01/05
更新場所:鹿児島本線基山付近
次回予定:これにて最終回

 「つばめ10号」に熊本で別れを告げ、しばしの休息の後に13時1分、0番B乗り場から再び車上の人となりました。「あそ3号」別府行きです。曇り空の下、キハ185が吼え、豊肥本線を登って行きます。それにしても、車内販売で「模型」や「電車でGO!」が売っているとは、思いも寄らない事実でした。立野のスイッチバックを軽々と越え、列車はやがて阿蘇に到着しました。
 不必要にウエスタンの香りが漂う阿蘇駅で写真撮影をしていると、またまた「同業者」の方がいらっしゃいました。意外と「チャレンジャー」は一匹狼が多いのかもしれません。…まぁ、こういう旅に好んで付き合う奴はいないだろう、とは顧問の大塚先生の弁です。私もそう思います。このようなグループで撮影して回っているのはひょっとすると我々だけかもしれません。…少し寂しいかも。
 阿蘇駅から「あそ4号」で山を下り、水前寺駅で下車しました。約1名はそのまま「あそ」で熊本へ先回りし、駅弁をご購入なさいました。水前寺からは783系特急「有明40号」に乗車しました。あるいは…と思っていたら、ありました、コンセント。485系にもコンセントらしきものはあるのですがどう見ても家庭用プラグには合わないと思われる形のものだったので、これは非常に助かりました。水前寺発車直後に新水前寺に停車する間抜けさを差し引いても、なかなかグッドでした。
 有明は停車駅が多いな…と思っていたらあっという間に鳥栖に到着してしまいました。(大牟田駅で西鉄大牟田線上り8000形特急、西鉄銀水付近で1000形上り普通を目撃しました)鳥栖では小雨のぱらつく中、先程の「約1名」以外が「中央軒」の駅弁を購入、13連の堂々たる編成で入線してきた485系に乗り込みました。「みどり19号」佐世保行きです。
 熊本駅の駅弁を「みどり」車内で食べたのが悪かったのか、「約1名」は食後ほどなく眠りにおちてしまいました。他の2名も列車の心地よい揺れにつられて夢の中へ…。私は車内販売のお姐さんたちがデッキで世間話をしているのを横目にボーっと起きていました。肥前山口で長崎行き「かもめ」を分割、早岐でハウステンボス行き「ハウステンボス」を分割し、身軽な4連で「みどり19号」は終点佐世保に到着しました。
 佐世保から乗ったのはシーサイドライナー色3両+九州色2両の列車でした。後ろ3両は早岐で分割、前のSSL色の2両が大村線・諫早・長与経由の長崎行きとなっていました。ハウステンボスで下車、雨の中、博多行き「ハウステンボス」をうらめしげに見ながら我々はくじけず写真撮影をしました。つい絵葉書付きの記念入場券を衝動買いするというハプニングもありました。そして我々は、諫早・市布経由長崎行きキハ200快速シーサイドライナーに乗ったのでした。
 諫早で後続の「かもめ37号」(783系8連)に乗り換え、到着した終着駅長崎は今日は雨でした。ついに「22駅目」を達成、疲れ切った我々の顔にも希望の光が宿りました。折り返しの783系「かもめ44号」は現在もう鹿児島本線に入りまして、基山付近を走行中です。肥前山口には停車しないようで、少し驚きました。博多到着予定時刻は23時37分。……冷静に考えてみるとその先帰宅する交通手段がないことを思い当たり、全員顔面蒼白になっています。
 短いようで長かった旅もそろそろ終わりを告げようとしています。よく言うように「家に帰り着くまでがまごころツアー」ですから、最後まで気を抜かずにいたいと思います。長々と駄文にお付き合い下さった皆様、誠にありがとうございました。後日、感想や行程表などを添えまして別の形での「旅行記」を掲載する予定ですのでぜひそちらもご覧下さい。どうも、ありがとうございました。…鳥栖から会長の藤井さんが乗り込んで来ましたっ!!く、食われるぅ〜〜〜〜〜〜
(文章担当:U田 校正:マニ塚 記事提供:なっちゃん、き○はら)
熊本駅にて、キハ185系特急「あそ」諫早駅にて、キハ200系快速「シーサイドライナー」やっと長崎!
左:熊本駅0番A乗り場にて、キハ185系特急「あそ」
中:諫早駅にて、キハ200系快速「シーサイドライナー」。略称はSSL。
右:長崎駅にて。あんたらなんなんだ(^_^;)
左下:長崎駅にて。783系特急「かもめ」。長かった旅の終わり。
長崎駅にて、783系特急「かもめ」ありがとうございます
旅行中何か思いつくことがあればこまめにメモをとり、みんなが寝ている間もひたすらパソコンの画面とにらめっこして、列車内でホームページをアップデートするという離れ業を成し遂げた後田君、今ツアーのMVPは間違いなくあなたです。本当にお疲れ様でした。

全25駅中22駅制覇 完全制覇まであと3駅!

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