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2001年4月

2001年4月26日(木)

昨日かけなかった 「1973年会ベストナイン」 の投手編を今日書いちゃいました。
あとは「1973年会最強論」を展開していきたいところだが、今日はここまで。
意外な展開があるかも。

2001年4月25日(水)

「1973年会」「1973年会ベストナイン」 を書く。
でもまだ野手だけ。投手も書かなければ行けないが、今日はここまで。
投手については近いうちに書きたいです。ああ、残念。

2001年4月23日(月)

tagucyanさんのサイト「tagucyan's わーるど」にリンクしました。 「リンク集」 からリンクしてあります。
あとトピックに 「元・中日」 を載せる。
書いたのはいいが、どこに載せるか適当な場所がないのでトピックに載せました。
内容はかつて中日ドラゴンズに在籍し、トレードなどで他チームに移籍した選手について書いてあります。
不明瞭な部分は是非とも教えていただきたい。
特に落合選手との1対4のトレードについて。確か名字は正しかったと思うんですが。
これからもこういった野球に対する自分の考えを載せていこうと思います。

2001年4月22日(日)

今世紀はじめてのプロ野球公式戦の観戦をする。
場所は甲子園球場。阪神タイガース×中日ドラゴンズの対戦である。
30分くらい遅れてついたら、外野自由席はすでに「売切れ」だった。
これにはビックリした。別にゴールデンウィーク期間でもないのに。
まあ、タイガースが好調で、しかも日曜日で晴れていたから納得はいった。
2,200円で内野自由席券を買い、3塁側スタンドへ。そこで見た光景に驚き。
外野席がすべて埋まっている。なるほど、これは外野自由席売切れもよくわかる。
また1塁側も3塁側もほとんど埋まっていた。仕方ないので3塁側の一番上へ。
内野も外野もタイガース一色。外野レフト側の一角だけドラゴンズの応援だった。
本来ならあそこにいるはずなのになあ。3塁側でもタイガースファンがほとんどだった。
教室にある双眼鏡を持っていきたかったが、あいにく院生室になかった。
どこにいったんだろうか。
借りていったのなら返して欲しいし、よそに移したのならその場所を提示して欲しい。
今回遅れていったのも双眼鏡を探していたからだ。
内野自由席1番上ではぜんぜん球が見えない。視力が悪いからなあ。
しかもおりからの強風。内野自由席1番上は看板があるのだが、その下はあいているので、
そこから風が通りぬける。しかも陸から海へと吹く風なので、身体を直撃する。
おまけにまわりではタバコを吸いやがる。そのせいか、気分が悪くなった。
甲子園球場はいい野球場なのだが、この点はまだドーム球場の方がいい。
風は自然現象なので別に構わないのだが、タバコが最悪。
気分が悪くなり、しかも球も見えなくなるなどでもう野球どころではない。
7回くらいまではほとんど座っていたなあ。
8回くらいになってタイガースのファンが試合をあきらめて帰りはじめたので、ようやく座席を確保。
試合はドラゴンズが勝つには勝ったが、もっと楽勝できたはずの内容だった。
効率が悪いんだよな。一方、タイガースは効率よく点をとっていた。たった1点だが。
そこから帰りがまたたいへん。改札口はこれまで体験したことのない込み用。
おまけに体調がすぐれていなかったので最悪だった。帰りの電車はほとんど寝ていた。

2001年4月21日(土)

「1973年度生まれのプロ野球選手」 を更新する。
これはもともと更新しようと思っていたが、思わぬところにニュースが、
中日ドラゴンズと横浜ベイスターズがトレードで、種田選手+山田博士投手と波留選手が交換に。
山田博士投手は1973年度生まれで、しかも岐阜県出身の選手。
中日ドラゴンズの選手ということもあり、いちばん身近な存在だったのに。
う〜ん、残念。新天地での活躍を期待するかな。
中日戦で頑張ったりして。この前の鶴田投手みたいに。それも可。
でも波留選手も横浜・日本一の2番バッターだったし、
種田選手も代打の日本記録をうちたてるなど活躍していたのに。
このトレードはファンからブーイングをかうだろうな。
あと一緒に『ベースボール・レコード・ブック』の1998年度版、1999年度版、2000年度版から
データを抜き取って一覧表に載せる。これであの表もだいぶん埋まった。
明日あたり甲子園球場でも行くかな。今年初の公式戦観戦。これを待っていたんです。

2001年4月19日(木)

「1973年度生まれのプロ野球選手」 を更新する。
『2001ベースボール・レコード・ブック』を資料として数字をうめる。
イチローの2000年の成績が載せていなかったなので、これで入れることができてホッと一息。
1973年生まれを代表する選手ですからねえ。メジャーでも活躍しているし。
今日は大学の学生部で大学のグラウンドの借用についてきく。
5月分の予約は24日からはじまるみたい。
みんなのため、そして自分のためにソフトボールがしたいからなあ。
メンバーは地理学だけでも揃いそうだが、足りなければ集めるかな。

2001年4月17日(火)

「野球場画像」 をアップする。
ようやく教室にデジタルカメラが入ってきたのでそれを使う。
そこで 「サンプル」 として芝浦球場、上井草球場、洲崎球場を載せる。
なかなかいい感じ。でもちょっと文字がみにくい。仕方ないかな。
でも後で地図ぐらいだったらデジタルカメラじゃなくてもスキャナで取り込むってことに気付く。
そりゃそうだ。
そういえば今年はまだプロ野球公式戦を野球場で観ていない。
バファローズの応援もちょっと変わったみたいだし、今度は観に行くか。
できればマリーンズ戦がいいな。好調チーム同士ってことで。
その時には好調でなかったりして… 両方…

2001年4月15日(日)

今日は休日出勤で 「野球場誌」 をちょっと加える。
まず 「野球場誌を述べるにあたり」 をアップ。これは所信表名みたいなものです。
私は野球場という場所の記録を書いていきたい。
そこで行われた試合だけでなく、野球場の歴史やイデオロギーとかね。お、かっこいい。
また 「明治時代の野球場」 を載せました。今回は10球場。10グラウンドの方が適切か。
『日本野球史』と大和球士さんの本から野球場に関する記述を抜粋してコメントしました。
東京の野球場ばかりなので、所在地がよくわかりません。
明治時代の野球場としてはこの他にも羽田球場や阪神電鉄の香櫨園グラウンドとかがある。
それらについても随時あげますので、しばらくのお待ちを。
また、これからはデジカメを使って昔の野球場が載っている地図などを写してアップするつもりです。
ネタはいろいろあるのだが、ハード面が備わっていない。
ただ、教室にはデジタルカメラがある。それを持ち出して返さないのがいけないんだ。
まあ明日には返してもらうので、明日以降をお楽しみに。
でも写した即日にアップできるかどうかはわかりません。一度もデジカメ使ったことないし…
下で森ベイスターズを褒めたのだが、連夜のサヨナラホームランによる負け。
ドラゴンズもベイスターズもタイガースも接戦に持ち込むのはいいが、その接戦を制しきれないのがイタイ。
逆にジャイアンツは苦手であるはずの接戦をモノにしている。これだとますます調子づかせてしまう。
5月にはもうストーブリーグになる可能性も…
しかし同い年の活躍がめざましい。黒木、中村紀、松中、小笠原といったパ・リーグを代表する選手はもちろん、
セ・リーグでも石井一、坪井がなかなか。メジャーにいったイチローも期待どおりの活躍をみせてくれる。
1973年会はまさにドリームチームだと思う。もうサイコウ!
ちなみに松井秀喜と野口茂樹は1974年生まれ。私も1974年生まれ。こっちも頑張っているなあ。素晴らしい!

2001年4月13日(金)

常連のお2人が改名されたので、それにあわせて「リンク集」の名前も変えました。
今日の中日ドラゴンズは阪神タイガースに7−0で勝利。
でも嬉しくない。読売ジャイアンツに勝てっての。
ジャイアンツ戦でそれぐらい点取れっての。もう。
森ベイスターズは健闘しているようで。さすが岐阜県出身。各務原だったかな?

2001年4月12日(木)

今日はバムさんのサイトとムサシさんのサイトにリンク。
だんだん野球場関連のサイトへのリンクが増えてきました。
バムさんの掲示板に書かれていたことだが、野球場に関する歴史の記述が不足しているので、
それが私に課せられた作業だと思っています。
とりあえず東西は無理でも、古今の野球場に関する史誌を取り上げていきたい。
あと 「BALL PARKとは?」「カイリューズとは?」 のページを設けました。
トップページからリンクしてありますが、一番下の見にくいところにあります。
壁紙が青空で、リンク色が青色なので、一見わかりませんよね。これが狙いでもある。
まあ、別に見られて困るってものでもありませんけど。困ったら書きませんし。
書き忘れていましたが、この前北陸に行った時に面白い発見が2つありました。
1つは「Jリーグでもない、Vリーグでもない、パ・リーグでもない バ・リーグ」のキャッチコピー。
何かというと、金沢競馬場の宣伝です。馬だけにバ・リーグ。
これを最初見たときはアゼンとしました。そしてちょっとして笑えてきました。そりゃそうだ。
ポスターもあって、馬がサッカーのユニフォームを着て腕組みをしている。
Jリーグもtotoくじが販売されたが、競馬の方が元祖・賭け事ですね。
もう1つはお茶のペットボトル。総家小松園から出ているもの。
石川県の茶の老舗みたいだが、「北陸そだち」といってゴジラ松井を取り扱っている。
もちろんこれは石川県が産んだスラッガー・松井秀喜選手をイメージしたもの。
ちゃんと東宝と読売ジャイアンツの許可が得られているみたい。
ゴジラが55のユニフォームにGY帽をかぶり、口から火をはいている。
「ゴジラ松井パワーと老舗の深い味わいがドッキング」だって。
他の会社のお茶と並んでいたら、普通はコレを買うでしょう。わざわざ金沢まで行ったのだし。
でも昨日今日の対中日ドラゴンズ戦でホームランを連発した。これは私が「北陸そだち」を買ったからかな?
因果関係は別にして、その2つの事実がおこったのだから仕方がない。

2001年4月11日(水)

今日はいろいろと変更。まず、たむさんのサイトにリンク。
たむさんは野球場、特に新潟県内の野球場に関してものすごい知識を持っておられます。
重すぎた 「野球場年表」 を小分けする。
たむさんからの情報により「野球場年表」を直していたが、3つほど修正するたびに砂時計。
それが多かったので、もうイヤで年表をわけて小さくしました。
「野球場史」 も「野球場年表」にあわせて期設定をかえる。
この2つはもともと同じものなので、あわせておいたほうが見やすいでしょう。

2001年4月10日(火)

「野球場情報」 を載せる。昨日、けのさんからいただいた広島市オープン球場と、
今日の毎日新聞に載っていた甲子園球場の改築を載せる。
これからも何かあればドンドンと情報を入れていきたい。
それあと一気に「野球場史」と 「野球場誌」 をアップする。
「野球場誌」にはとりあえずこの前の富山・金沢で行った野球場について載せる。
野球場およびその土地の歴史と現状が主になっているので、
野球自体に関してはあまり詳しくないのでご勘弁願いたい。
これからも徐々に野球場誌の中身を増やしていきたいと思います。

2001年4月9日(月)

学部生・篠原くんとリンク。
これからは野球場関連サイトにドンドンとリンクしていきたい。
しかしまだ内容がスカスカだし、そんな時間もなさそう。う〜む、どうすべきか。

2001年4月8日(日)

テルメを離れて西武緑地公園まで歩く。さすがに近いだけあってすぐつく。
石川県立野球場を1周する。さすがに朝9時前なので中に入ることができない。
そこからバスで金沢市街の香林坊へ。
バスを待っている間、右翼の凱旋車が大音量をあげて走って、バス停のすぐ北に集合していた。
なんか警察もいるようだ。チェックなのかな?
9時には警察もひきあげて凱旋車だけが残った。
バスで香林坊についた後、待ち合わせ場所の兼六園下バス停へ。
ここでOBのI氏と待ち合わせ。
I氏とは「ベースボール・レコードブック」などを貸して下さり、また野球に関するアドバイスもいただく。
I氏と合流後、兼六園を抜けて石川厚生年金会館へ。
この日の兼六園は無料開放されており、自由に通り抜けできた。でもさすがに人が多かった。
石川厚生年金会館は知っている人は知っているでしょうが、兼六園野球場があったところです。
道がカーブをなしているが、このカーブは外野スタンドの外郭をなす曲線であった。
兼六園野球場は狭かったことでも有名で、本塁打がポコポコでた試合もあった。
厚生年金会館の受付の人に野球場の説明書きはないかと尋ねても、館内にはないとのこと。
会館のまわりを散策してもそれらしきものはまるでなかった。残念。
会館の隣にある国立病院の屋上にのぼり、上から写真をパチリ。
でも本塁側の方向なので、外野スタンドの外郭を示す曲線が写せなかった。
その後、再び兼六園を抜け、浅野川の舞台を見学し、東山、近江町市場、尾山神社を経て、
再び香林坊に到着。長町の武家屋敷を見学し、金沢見物は終了。
はっきりいってよく歩いた。右足の親指の付根にミズブクレができた。
I氏にいたってはゾウリだったので、いやにすれてめちゃくちゃ痛がっていた。
I氏にココイチでカレーをおごてもらい、帰途へつく。自宅到着は23時頃。
帰りの特急の中ではぐっすりと寝ていました。Iさん、ありがとうございました。またよろしく。

2001年4月7日(土)

北陸健康ランドの最寄駅である二塚駅まで歩く。これがめちゃくちゃ遠かった。
城端線、氷見線を乗りつぶしてから高岡古城公園へ行く。桜が満開で花見客が多かった。
高岡古城公園には記憶どおり、かつて野球場が存在した。
1947年に現在の芝生広場にあたる地に野球場があったが、
1951年の高岡産業博覧会のために廃止されたものと思われる。
事実、公園の説明板には、野球場のところにパビリオンが建っていた。
それが1975年に公園指定100周年を記念して芝生に造成されたみたいだ。
そのあと高岡大仏を見て、加越能鉄道万葉線に乗車。高岡駅前から越の潟まで全線乗車。
そのあと富山県営渡船で堀岡まで渡る。富山新港を結ぶ船だ。
その後、バスで富山駅に行き、そこから電車で金沢まで。
金沢での宿泊はルネス金沢にしようと思ったが、テルメ金沢に変更した。
テルメだと石川県立野球場がある西部緑地公園がすぐ隣なので、
せっかく来たのだから石川県立野球場も見ていこうと思いこうなった次第である。

2001年4月6日(金)

6日から8日まで3日間、北陸に行っていたのでその旅日記を書きます。
まず大阪からサンダーバードで富山まで。さすがに早く、12時50分頃に到着。
そこから市電で富山大学まで。ここでインスタントカメラと単4電池を購入。
そこから大学の隣にある県営富山野球場を見学。
この地には戦前に歩兵連隊が存在し、戦後の1950年に野球場が設けられた。
この野球場でもプロ野球公式戦が行われたが、1992年に東郊に富山市民球場ができたので、
プロ野球公式戦はそちらに移ってしまった。
ちなみに富山市民球場(アルペンスタジアム)は去年のゴールデンウィークに見てきたので、今回はパス。
県営富山野球場がある五福公園はほかにも陸上競技場や屋内相撲場などがあり、
富山市街における一大スポーツセンターとなっている。
そこからテクテクと歩いて富山神通球場の跡地へ。
富山市芝園町3丁目がこの地にあたり、いまは富山県立富山中部高等学校と富山市立芝園中学校が建っている。
なんと今年から大学院に入った山本くんが、富山中部高校の出身なんだって。びっくり。
富山での野球場見学はこれで終了。あとは市電を乗りつぶし、富山港線も乗って、高岡へ。
高岡にある北陸健康ランドで1泊する。

2001年4月5日(木)

花野さんのサイト「K.T.Factory」にリンク。
花野さんのサイトにも野球関連のページがあり、しかもデジカメで撮った映像もある。
羨ましい。私もデジカメでいろんなものを撮りたい。
既存の野球場や廃止された野球場の跡地のほか、
地形図などを撮り込んで、昔の野球場の姿を載せたい。
いくつか候補はあるのだが、デジカメがないのでできない。
確か教室にデジカメがあるはずなのだが、個人で持ち出しているからなあ。
こんな現状でいいのだろうか?
あと、明日から北陸に旅行に出かける予定。富山、金沢が主になるかな。
富山、高岡、金沢にも野球場跡地がある。
富山は富山神通球場。その名の通り神通川の河川沿いにあった野球場。
現在では富山中部高校や芝園中学校が建っている。
富山には富山大学の隣に県営富山野球場がある。
また郊外に富山市民球場、通称アルペンスタジアムが存在する。
このアルペンスタジアムには行ったことがある。入ったことはない。
その名のとおり、アルプスの山々を眺められる絶景が魅力の野球場である。
高岡には高岡市営城光寺球場があるが、ほかにも高岡鐘紡球場、高岡工専グラウンドもあった。
高岡鐘紡球場はカネボウ高岡工場のある鐘紡町のあたりにあったと思われるが、詳細は不明。
また高岡工専グラウンドも所在地不明。
高岡には高岡古城公園内にも野球場があったと記憶するがどうなんだろう?
金沢の兼六園球場があったところは、現在は石川厚生年金会館になている。
これは杉本尚次先生の『スタジアムは燃えている』にも載っているので有名かな。
金沢にはまた金沢市設野球場が存在したが、これも所在地が不明である。
現在プロ野球が行われるのは西部にある県立野球場である。
福井も行きたいところだが、時間の制約上たぶん無理。
帰ってきたらまた報告します。

2001年4月4日(水)

「リンク集」 を載せる。載せるといってもまだ大阪市立大学文学部地理学教室だけ。
しかもこれは半分義理みたいなもの。
どんどん野球関係のサイトとリンクしたいが、まだこのサイトが不充分であるのと、
6日から北陸に旅立つ予定なので、その間にレスができないのが無責任だと思うので、
9日あたりから他のサイトにアピールしていきたいと思う。
まずは「野球小僧」からかな。あとは私と同じく野球場関連のサイト。
とりあえずの目標はナゴヤドームの観客動員数!

2001年4月3日(火)

今日は記念すべきHPの開設日。念願のサイト開設だ。
まだまだ内容は薄いですが、これからドンドンと書いていく予定。
とりあえず野球ファンにはまだ認知されていないだろうから、そちらの宣伝からかな。
まだリンクも作っていない。バナーはとっとと作っておいた。
「野球場史」も「野球場誌」もまだできていないので、これから載せていきたい。
「野球場誌」については1週間に1つのペースで載せていく予定。
しかし、一番更新が早いのはこの「観戦日記」だと思う。
調べてほしい野球場がございましたら掲示板 「ビスタルーム」 にてお書き込みください。
野球場に限らず、他のスポーツ施設でもかまいません。
ただ、日本国内でおねがいします。海外のは厳しい。
しかしいずれは海外進出もしたいな。

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