このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

明治時代の野球場

明治時代といえばまだプロ野球どころか、中等学校優勝野球大会も行われておらず、
クラブチームの野球や、早稲田や慶應をはじめとする学生野球が盛んであった。
野球場もクラブチームが設けたものや大学が造ったものがほとんどで、
現在のように都道府県あるいは市町村が設けた公営の野球場は存在しなかった。
それでは当時の野球場といったものはいかなるものであったのか?
ここでは『日本野球史』および『真説・日本野球史<明治篇>』にある記述を抜き出し、
当時の野球場の様子、および場所の特定などを鑑みようと思う。
『日本野球史』は1929年に国民新聞社が発行したものを、2000年にミュージアム図書が復刊本として刊行した。
ベースボールの渡来から明治39年の早慶戦の中止にいたるまで、明治時代の野球について詳しく書いてある。
しかも現代語訳してあるから非常に読みやすい。
ただし東京を中心として書いているので、在阪の私には場所の特定はなかなか難かしかった。
『真説・日本野球史<明治篇>』は野球史家の大和球士さんの著書で、明治時代全般の野球について書かれてある。
以上の2冊の他に参考となる文献をあげて、明治時代の野球場をおってみよう。

保健場 徳川邸運動場 二重橋前の広場 赤坂溜池 一高グラウンド
横浜の外国人居留地運動場 戸塚球場 稲荷山 三田綱町球場 柏木グラウンド

参考文献
国民新聞運動部編(1929):『日本野球史』厚生閣書店.
(2000年、ミュージアム図書により復刊)
大和球士(1977):『真説日本野球史≪明治篇≫』ベースボール・マガジン社.

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