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2002初夏 沖縄・粟国島一人旅(その4)
最終更新日 2002.7.15
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(ヤギの親子) | 5月16日(木) 6:30起床。今日で粟国島ともお別れ。 もう少しゆっくり寝ていたい気分ではあったが、残り少ない時間がもったいなくて 宿の自転車を借りて朝の散歩に出掛けた。 どんより曇った空を見上げながら、民宿・寿の前のコンクリートの小道を西へと向かう。 沿道の景色は海を見下ろす草原となっている。だんだん坂がきつくなる。 島の地形が西側に行くほど、標高が高くなっているためだ。 息が切れるが自転車から降りずにペダルを漕いだ。灯台が見える。 (家に帰ってから気付いたが、この小道は『ナビィの恋』でも結構使われていた) 島の西南には、岩盤を掘って作ったお墓があるというので、不謹慎ではあるが 見学に行ってみた。 『ナビィの恋』で、ナビィがサンラーと密会していたあのお墓もきっとあるに違いない。 特に案内板がある訳でもなく、感を頼りに、海に近い道を選んで進んでいった。 途中、放し飼いされたヤギの親子に朝のあいさつなどしているうちに、お墓を見つけた。 自転車を降りて、雑草を避けながら小さな階段を登る。海がよく見える。 沖縄でよく見かける「亀甲墓」ではなく、ここのお墓は確かに岩盤を削って横穴を 掘ったものだった。 心の中で「ちょっと見せてください」といいながら、手を合わせた。 さすがに写真を撮る気にはならなかった。 いくつかお墓を見学したが、ついに『ナビィの恋』に出てきたお墓はわからなかった。 |
(むんじゅる節の碑) | そのうち、雨がポツリポツリと降ってきた。 小雨の中、島の北西にある「洞寺(てら)」と呼ばれる鍾乳洞にも行ってみた。 雨が強くなってきたので、急いでペダルを漕いだ。 「洞寺(てら)」とは、粟国島のパンフによると「200年前、雲水という那覇の僧侶が 他の僧侶と賭けに破れて流刑になり余生を送った場所」だそうだ。 入口には琉球石灰岩と赤瓦を使った立派な門が建てられていた。 |
(「洞寺(てら)」の入口) | 草木が覆う薄暗い階段を下りて行くと、鍾乳洞の入口が見えた。 案内板には、内部は自動点灯になっているというが、誰もいない、中も見えない、 そんな状況だったので、一瞬躊躇したが、思いきって中に入った。 外の蒸し暑い空気とは違い、内部はヒンヤリした風が吹いていた。 階段の手摺を頼りにゆっくりと進んでいく。先は真っ暗闇。思わず息を飲む。 なかなかライトが点灯しない。どうなってるの? 不安が大きくなる中、やっと小さな明かりがついた。鍾乳石を怪しく照らす。 これ以上先に進むと、闇に吸い込まれてしまいそうな気がしたので戻る事にした。 まったく小心者である。 外の明かりが眩しい。雨も止んでいた。蒸し暑いが、なんだかホッとした。 |
(食堂「なびぃ」) | 宿に戻り、チヨさんとNHK「さくら」を見ながら一緒に朝食。 今朝のおかずは「ゆし豆腐」だった。 チヨさんとも今日でお別れ。3日間の楽しかった出来事を思い出す。 ふと、チヨさんが「にいさん、なんだか1ヵ月も前から居るような気がするさぁ」と言って笑った。 僕も「なんでかね〜?おととい、来たばかりなんだけどね〜」と言って笑った。 フェリー出航は14:00だ。 「時間までゆっくりしていきなさい」と、チヨさんは言ってくれた。 「今日は2組、お客さんが来るよ」と言いながら、部屋を掃除するチヨさん。 食堂のテーブルで、旅友達に手紙を書いた。 しばらくして、宿の隣りにある畑に敷く萱を刈る手伝いをした。 萱をカマで刈って、束ねて...。こんな体験もイイなぁ。 そのうちお昼時となり、おじさんが仕事から戻って来た。 「お昼は3人で友達の食堂に食べに行くよ」とチヨさんは言った。 おじさんの車に乗って着いたところは「食堂なびぃ」だった。 3日間『ナビィの恋』のロケ地巡りをしていたので、最後にこの食堂で食事なんて最高さ〜! ありがとう、チヨさん。 |
(再び、那覇に戻ってきた) | 12:30過ぎ、フェリーが粟国港に入港した。とうとうお別れの時間が来てしまった。 僕がこの島に来た時と同じように、宿の外でチヨさんは今日来るお客さんを待っていた。 「いろいろお世話になりました。またきっと来ます」と言って港に向かった。 別れはやはり寂しい。途中、民宿・寿のお客さんらしいカップルと擦れ違った。 「いっぱい、この島を楽しんでくださいね」と心の中で呼び掛けた。 フェリーは13:55に出航した。来る時と同じ、やはり5分早い出航だった。 デッキに出て、3日間駈けまわった島の風景をボ〜っと眺める。 民宿・寿も見える。今頃チヨさんは今日着いたばかりの新しいお客さんと楽しく お喋りしているのかなぁ。 船室に戻ると、ちょっと疲れが出たのか、那覇・泊港に着く直前まで爆睡してしまった。 |
(イカスミ汁定食) | 14:40。3日振りに那覇・泊港に戻ってきた。 相変らず蒸し暑く、じっとしていても汗がにじみ出る。 時よりにわか雨も降るが、傘を差すほどでもないだろう。 携帯にメールが入った。沖縄大好きの旅友達「みっちゃん」からだった。 韓国一人旅を終えて福岡経由で今週沖縄入りしたとの事。 壷屋にある「ドミトリー沖縄」という簡易宿に連泊して、沖縄に長期滞在するそうだ。 僕も今夜は「ドミトリー沖縄」に泊ることにしていた。 30分ほど歩き、宿に到着。 受付をしてくれたオーナーの城間さんは、とっても気さくで、ちゅらかーぎー(美人)な方だった。 みっちゃんとも半年振りの再会。 洗濯物も溜まっていたので、みっちゃんに付き合ってもらい、コインランドリーへ。 途中、「農連市場」を通った。市場内に旅人の集まる喫茶店(?)をみっちゃんに教えてもらった。 今度、行ってみようかな? 夕食をどこかで食べようという事になり、旅の初日に「むつみ園」で偶然出会った「にんじん食堂」の ご主人の事を思い出し、「にんじん食堂」に向かった。 「イカスミ汁定食」と「月桃アイス」を注文した。身体に良さそうな料理だった。 (「にんじん食堂」は来年からは、「沖縄料理を提供する旅人の宿」になる予定) |
いったん宿に戻り、ひと休みして、他の宿泊者も誘って三原にある民謡スナック「三原」に 行くことになった。 みっちゃんは、この店の常連客で、一人でもよく来てステージで島唄を唄っているそうだ。 店に入ると早くもサラリーマン風の男性グループが、「カチャーシー」という沖縄独特の踊りで 盛り上がっているところだった。 一緒に踊ろうと誘われて、ぎこちないがみんなで踊った。 沖縄では「いちゃりばちょーでー」(一度出会えば皆兄弟)なのだ。 店にはミニステージがあり、専属の民謡歌手の唄を聴いたり、三線の生演奏でお客さんも 唄うことが出来る。 僕もステージに上がり、なぜか太鼓をたたいたりして楽しんだ。 旅の最後の夜は、こうして更けていった。 | |
(那覇市役所) | 5月17日(金) 那覇市内にある簡易宿「ドミトリー沖縄」で、とうとう旅の最終日を迎えた。 8:15宿のテレビでNHK「さくら」を見ていたら、オーナーの城間さんが「おじや」の差し入れを してくれた。美味しかった。 10:00宿の皆さん、みっちゃんにお別れの挨拶をして宿を出た。 市場本通りでお土産など買い、さらに交際通りを歩く。 テレビのニュースで知った「本土復帰30周年記念の現代写真展」を見るため 「パレットくもじ」に寄った。入場無料だった。 印象に残る作品が多く、見て良かったと思った。 飛行機の時間まで、あと1時間程となっていた。時間がない! 11:30那覇市役所前のバス停から那覇空港行きのバスに飛び乗った。 12:15なんとか無事、搭乗手続きを済ませ、ホッとした。 12:40ANA84便は定刻の5分遅れで、東京に向けて飛び立った。 飛行機の小さな窓から、去り行く「沖縄」を眺めつつ、楽しかった5日間を 思い出していた。 (終り) |
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