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北朝鮮に真っ先に攻め込まれた38度線の飛び地
甕津半島
旧韓国領
1945年 日本の敗戦によって、甕津半島は38度 線を境にソ連軍と米軍の占領地域に分割
1948年8月15日 米軍占領地域で大韓民国が独立を宣 言。38度線以南の甕津半島は韓国の飛び地に
1948年9月9日 ソ連軍占領地域で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が独立を宣言。38度線以北の甕津半島は北 朝鮮領に
1950年6月25日 朝鮮戦争が勃発。甕津半島は北朝鮮軍が占領
1953年7月27日 休戦協定により、甕津半島は北朝鮮領となり、白翎島などいくつかの離島は韓国領に残る
朝鮮戦争での北朝鮮軍の侵攻図(赤矢印)。左が甕津半島、さらにその左の島が白翎島
38度線以南の甕津半島の詳細図(朝鮮戦争当時)
現在の韓国の地図 左上のOngjinが甕津。その左の島が白翎島韓国と北朝鮮との国境線のことを、よく「38度線」と呼ぶが、実際には北緯38度線が国境ではなくて、1953年に朝鮮戦争の休戦協定 で決められた 軍 事境界線 (休戦ライン)が国境線。東海岸では韓国領が38度線よりも北へ大きく張り出し、西海岸では北朝鮮領が南へ張り出しているが、これは休戦 協定時点での双方の最前線をもとにしたため(※)。
※もっとも、韓国も北朝鮮も公式には 「朝鮮半島全体が我が国の領土」と主張しているので、国境線とは認めておらず、あくまで軍事境界線。
では朝鮮戦争が勃発する前の国境線はというと、文字通り 38度線がそのまま国境になっていた。
これは日本の敗戦を前に、連合国はヤルタ会談で朝鮮半島を国連の 信 託統治 を経て独立させる方針を決め、とりあえず38度線を境に、南はアメリカ軍、北はソ連軍が占領することになったため。もっとも、特に南部では 「即時独立」を求めた民衆が当初は 統 一政権 を作ろうとし、続いて信託統治案に猛反発して混乱が続き、結局、南は韓国として、北は 北 朝鮮 としてそれぞれ独立したので、38度線がそのまま「国境線」となったのだ。
38度線は山や川などの地形とはまったく関係なく、一直線に引かれたラインなので、西海岸では甕津半島を横断し、半島の付け根は北朝鮮 領になったものの、大部分は韓国領の飛び地になった。甕津半 島はもともと黄海道(道庁所在地は海州)に属していたが、米軍は占領時に京畿道(道庁所在地はソウル、現在は水原)に移し、韓国もそれを引き継いで統治し た。
そして1950年6月25日早朝、北朝鮮軍は一斉に38度線を超えて韓国へ侵攻し、不意を突かれた韓国軍はたちまち総崩れとなった。甕 津半島でも午前4時頃から北朝鮮軍が激しい砲撃とともに進撃して来たが、韓国側の第17連隊は司令官が事前に北朝鮮軍の「怪しい動き」を察知して警戒態勢 を強めていたため、36時間にわたって抵抗を続けながら船で仁川への撤退を完了した(※)。
※もっとも第17連隊は1100人のう ち326人が戦死し、一般住民を合わせると1300人が犠牲になったという。
こうして甕津半島は北朝鮮の統治下に入り、黄海南道(黄海道を南北に分割)の一部になったが、西側沖合の白翎島(ペンニョンド)などの島々は北朝鮮に占領させずに韓国領のまま 残り、現在では仁 川市の一部になっている。仁川からは200km離れ、船で4時間あまりだ。
白翎島は台湾の金門島や馬祖島と同様、軍事最前線に位置する島だが、近年では「開発を逃れて奇岩などの自然が残る島」として観光に力を 入れていている。しかし、「商売第一」ですっかり親密な関係になった中国と台湾との場合と違って、韓国と北朝鮮との間は現在でも時折「血なまぐさい事態」 が繰り返されている。
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その舞台の1つが甕津 半島沿岸だ。韓国と北朝鮮とを分ける軍事境界線は陸上だけで、海上の境界線は定められていなかった。韓国(国連軍)側は休戦協定締結後に、甕津半島の沿岸 を取り巻くように北方限界線(NLL)を設定し、「これが南 北の境界線だ」と宣言したが、北朝鮮側が同意したわけではない。
99年6月に北朝鮮軍の船がNLLを越え、韓国軍と戦闘になって撃沈される事件が起きると、北朝鮮側は9月に軍事境界線をそのまま伸ば したような海上軍事境界線の設定を宣言。これだと白翎島や延 坪島(ヨンピョンド)など 韓国領の島々が北朝鮮の海域になってしまうので、「ここを通れば韓国本土との安全な通航を認める」と、2つの水路も一方的に決めた。
かくして甕津半島沖の海上には、韓国と北朝鮮がそれぞれ 勝手に主張する2つの国境線が存在することになり、2002年と09年にも「境界線を越えた越えてない」で海戦が勃発している。白翎島で暮 らす民間人5000人の多くは半農半漁で暮らしているが、漁に出るにも不安な状況が続いている。
ソウルに存在する5つの「亡命道庁」
日本の都道府県に相当するのは韓国や北朝鮮では道だが、韓国政府はいちおう「朝鮮半島全域が我が国の領土」と主張しているので、北朝鮮 の統治下にある地域の道も、ソウルに道庁が存在している。いわば「亡命道 庁」だ。
北朝鮮にある道は、黄海南道・黄海北道・平安南道・平安北道・咸鏡南道・咸鏡北道・慈江道・両江道・江原道(韓国にも存在)の9つだ が、ソウルにある亡命道庁は、黄海道・平安南道・平安北道・咸鏡南道・咸鏡北道の5つだけ。これは終戦当時の道は5つだったためで、韓国政府としては「そ の後、北朝鮮が勝手に分割したり設置した道は認めない!」ということ。
※公式には「中国大陸はすべて我が国の 領土」と主張している 台 湾政府(中華民国) も同じで、中国には熱河省やチャハル省など 国民党政権時代の省が存在 していることになっているし、北京 という都市は存在せず、「 北平 」ならあるという立場。
一方で、1972年まで ア メリカが統治していた沖縄 を「我が国固有の領土」と主張していた日本政府は、アメリカが沖縄で勝 手に進めた市町村合併(首里市、真和志市を那覇市へ編入など)をあっさり追認してしまった。
ソウルの亡命道庁には、国から任命された5人の道知事がいるが(さすがに知事選は実施できない)、道庁の建物は5つひとまとめ で、以北五道庁と総称されている。
ところで、 黄海道の亡命道庁の公式サイト を見ると、甕津半島は黄海道の一部ということになっている。あれ、甕津半島は韓 国領だった時に京畿道に移されていたのでは…?と思うのだが、いつの間に戻されたんでしょう?
●関連リンク
白翎島(ペンニョンド) 韓国観光公社の観光案内
以北五道庁訪問記 亡命道庁は見学ができるようです・・・行ってみたい!
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