瀬戸のバス<名鉄/昭和50年頃以後> |
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| 1「中型・観光タイプ」(瀬戸駅前)
一日数往復の、瀬戸駅前〜御作辻(みつくりつじ、かな?)系統専用に充てられており、2台を確認している。右手のバス停看板の記載内容が古い。 |
| 2「同」(瀬戸駅前)
ヘッドライト台座が「タテ目」という、時代を漂わす逸品。中型と言っても前後方向に寸詰まりなだけで、大型の車体断面を有する優良車。 |
| 3「同、テールエンド側と車内」
リクライニングシート装備のハイグレードな観光タイプ。車中の人物は当時の私。 |
| 4「中型車の響宴」(瀬戸駅前)
右(瀬戸公園ゆき)は年式がグッと下るようだ。 |
| 5「中型車・一般タイプ」(窯神橋北詰にて)
側窓こそ観光タイプながら室内は全くの一般仕様。パーツのひとつひとつが何か安っぽい感じ、言わば「偽ウルトラマン」だった。車体塗色の赤が朱色っぽいのも鴈作らしさを滲ませていた。 |
| 6「バス窓・タテ目」(瀬戸駅前)
私にとって、これがバスのデフォルト、基本型である。バス窓(通称)とは、窓ガラス上段をHゴムで車体に固定し、軽量構造とした形態を指す。 |
| 7「バス窓・ヨコ目」(万徳寺)
バス窓車で多く目にしたのはヨコ目。中央乗車口は引戸で、前寄りに幅の広い戸袋窓があった。この写真のは、前面下に字幕のある珍しいタイプ。 |
| 8「バス窓・ヨコ目」(窯神橋南詰にて)
この頃は側窓の上に広告看板を背負っていた。行き先は「大曽根」。今ここに「中京観光社」なんてあったっけ。
このボディまではオデコが丸っこくてツバがついておらず、方向幕は一穴で形状もシンプル。 |
| 9「希少種」(瀬戸駅前)
前面のデザインが、方向幕周りほか微妙に変化したが、側面は引き続き「バス窓・中央引戸」を採用しているという、過渡期の小ロット車のようだ。窓配置も過渡期の独特なもので、中央乗車口の後ろに「0小窓」があり引違い窓がないのでワンマン専用車らしい。 |
| 10「日サッシ車」(瀬戸駅前)
バス窓をやめ、中央乗車口が折戸となり、その直後の車掌設備が省略されたワンマン専用車。写真の「普通 四軒家 赤津」は、現在の基幹バス系統にあたる。が基幹バスは、「普通」というよりは、さながら「快速」といったところか。 |
| 11「0小窓挿入車」(瀬戸駅前)
前部降車口直後に小窓が追加。ヘッドライトケースの形状が微妙に変化しベンチレータの位置が変更されたほか、マーカライトや屋根上広告は省略。私の印象では、座席の座布団がふっくらとしたようだったが。 |
| 12「冷房バス」(瀬戸駅前)
当時の観光バスで採用されていたのに近い、クーラーユニット床下装備・ダクト導風タイプ。ただし、吹出し口の構造は簡素化されて「そよ風」だった。 |
| 13「同」(瀬戸駅前)
ワンマン車だが、側面方向幕の位置が下がったので、ツーメン車然とした引違い窓が復活した。「岩屋堂プール」の立看板に「早くて安全な名鉄電車」とあるが、瀬戸駅からはバス利用だ。 |
| 14「長久手町内を行く涼風バス」
低床タイプの車両は、量産途中から涼風仕様が標準となった。写真は瀬戸ではないが、瀬戸自営担当路線の風景。私の所属した市民吹奏楽団が練習場として使用した正面の集会所は、今は朽ちて楽団もなくなり、道路も付け替えにより格下げされてしまった。 |
| 15「初代基幹バス」(長久手車庫=名古屋自営)
基幹バス2号新出来町線の開業に伴い、瀬戸自営・名古屋自営に配属された。瀬戸地区では、基幹バス車両がイコール三菱エアロスターのデビューとなったため、ゴージャスさにおいて大変なインパクトがあった。 |
| 16「長久手車庫に集う車両たち」
瀬戸ではないが、一時代の車両たちが写っているのでご披露する。非冷房の低床車/ベルギー・バンフール社製輸入車/そろそろお疲れの初代冷房車/中型車/エアロスターなどが顔(尻)を揃える。 |
| 17「基幹バス」(市役所:名古屋市役所)
基幹2号では、市バスは三菱と日野を採用していたが、名鉄は一貫して三菱を使用。途中の増備車は、若干の塗装変更(一般車を含め白の面積が増えた)以外は外見上の変化が少なかったが、メーカーのモデルチェンジにより一目で新車と判るようになった。 |
| 18「基幹バス−逆サイド」(市役所:名古屋市役所)
近年、一般にブレーキランプはハイマウント化の傾向にあったが、このモデルではむしろ低くなった。基幹バスは「ラッピング広告」化が進み、このオリジナル塗装は珍しくなったようだ。 |
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