このページは、2019年3月に保存されたアーカイブです。最新の内容ではない場合がありますのでご注意ください

●瀬戸の国鉄バスなど。

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12/2 2000

昭和末期ともなると名鉄バスは三菱ふそう製オンリーのため、さほどバスに詳しくない私でも形態の変遷は把握し易く、紹介の画面を構成しやすかった。しかし国鉄バスは雑多なのでそうもゆきません。
昭和50年代を中心とした瀬戸の国鉄バスと瀬戸観光バス、それと最近のものを含め瀬戸市内で撮影した他社のバスなどを紹介します。

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瀬戸のバス<国鉄/昭和50年代中頃まで>
1「森林公園ゆき」(窯神橋南詰にて)
コメントのしようもないような、黄昏れたムードの旧・国鉄塗色。土埃が激しいであろう未舗装道路の多かった時代には相応しかったのかも知れない。ボンネットバスにはよく似合いそうな風情を醸している。
2「回送車」(瀬戸駅前)
名鉄と比べて国鉄は、前面が「く」の字に折れたデザインのボディが多い印象だった。その手のボディの前扉は、長方形の左上を斜めにカットした五角形だったものだ。方向幕は「高蔵寺駅」を示している。記念橋始発として折り返すのだろうか。
3「高蔵寺駅ゆき」(窯神橋南詰にて)
このタイプの車両の中に、ヘッドライトケースの形状が「長方形の枠の中に、レモンを横に倒したようなシルエットのレンズをはめた」車両が小数あったが、写真に収めることができないまま消滅した。
4「名古屋駅ゆき」(窯神橋南詰にて)
国鉄バスは名鉄と対照的に、三菱製は見かけなかった。そして「バス窓」が多かった。低床化された現在のバスと比較すると、やはり運転手の座る位置はかなり高い。
5「明智駅ゆき」(瀬戸駅前)
名古屋駅から守山・追分・記念橋・品野、県境を越え柿野温泉を通って明智へ抜けた長距離ローカル路線。私も学生時代に、瀬戸から明智へ乗ったことがある。写真は前部降車口のないツーメン専用車。その一番前の特等席(助手席?)に憧れたものだ。
6「ワンマン+ツーメン兼用車」(瀬戸駅前)
上と類似車だが2扉で、各扉脇の字幕はワンマン/ツーメン使用時で表示を変えるためであろう。ツーメン専用車では、女性車掌が手動でドア扱いをしていたものだ。
7「新豊田駅ゆき」(瀬戸駅前)
国鉄岡多線(現・愛知環状鉄道)が新豊田まで延伸し旅客営業を始めた際、その方向幕が新鮮に映ったものだ。岡多線(計画線を含め岡崎〜多治見間)は鉄道建設に先立って運行された、わが国初の省営バス路線でもある由。
8「蒲郡競艇送迎」(瀬戸京町)
瀬戸追分の営業所を基地として貸切用に活躍していたらしい。当時のハイウェイバスに似て非なる、かっこいい車だった。
瀬戸のバス<その他>
1「瀬戸観光−1」(瀬戸駅前)
2「瀬戸観光−2」(瀬戸駅前)
ハイデッカーなのか、他車と比較してさほど床・座席が高い感じはしないが、それでも窓や屋根は高くなっている。前頭の採光窓が特徴で、名鉄電車パノラマカーにイメージをだぶらせてカッコ良く見えたものだ。
3「せともの祭の名鉄バス」(瀬戸駅前)
祭の交通規制に伴って、通常のコースを逆走しているのは近年も同じ。
ビジター
1「せともの祭の富士急バス」(瀬戸駅前)
2「?」(瀬戸駅前)
3「日急バス」(窯神橋にて)
貸切で瀬戸市内にやってきた。本来は名神高速線を担う路線バスの事業者。このあたりの風景は丸一国府商店を除き様変わりした。
4「せともの祭の観光バス駐車場」
1998年、文化センター。バスのカラーリングを見て、何社を判別できるか?

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