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門司港駅駅舎 | 明治24(1891)年開業当時の門司駅は現在の門司港駅の位置から約200m程離れた場所に建てられていたが、関門連絡船の乗りかえの利便性を考え大正3(1914)年に二代目の門司駅として現在の場所に移転新築された。この木造駅舎は九州で最も古く、鉄道駅としては初めて国の重要文化財に指定されている。ネオルネサンス様式の青銅の屋根は珍しく、駅舎の設計には、ヨーロッパの主要駅を参考にしたといわれているそうです。駅舎中央部は、九州の玄関口として「門」をイメージして造られている。 |
幸運の手水鉢 | 大正3年の駅建築当時からのもので、青銅製だったが戦時中の貴金属供出からも免れ現在も鋳造時の形のまま設置去れている |
旧門司税関 | 旧門司税関は港湾都市門司を象徴する建物。明治22(1989)年に長崎税関門司出張所として開設されたものが明治43(1910)年に独立した税関となる。初代の建物は火災にあい現在の建物は明治45年(1912年)に建てられた煉瓦造二階建の建物。昭和2年(1927年)まで税関庁舎として使用さたそうです。現在は補強復元され展望室、展示室、カフェがある。 |
国際友好記念図書館 | 1902(明治35)年帝政ロシアが中国の大連市を租借している時代に建設した独逸風建築物は東清鉄道オフィス(その後日本橋図書館などとして利用)を北九州市と大連市の友好都市締結15周年を記念して複製建築したものです。1階はレストラン、2階は中国・東アジアの文献を収蔵した図書館、3階は資料展示室になっている。 |
関門橋 | 本州と九州との間の関門海峡の最狭部早鞆ノ瀬戸に架けられた自動車専用橋。山口県下関市と北九州市門司とを結び、中国自動車道と九州自動車道とを連絡する。関門国道トンネルの激増する自動車交通量(年約800万台)を緩和するため計画され、1968(昭和43)年6月起工、5年5ヶ月の歳月と約300億円の総事業費をかけ昭和48(1973)年11月に開通。全長1068m 、中央径間712m、海面からの高さは61m。ケーブルを定着する橋台の高さは約45m 。日本の長大橋建設の先駆的役割を果たした。 |
(はね橋)
ブルーウィングもじ | 平成5年10月に完成、門司第一船溜り両岸のレトロ地区を結ぶ、日本で唯一の歩行者専用の開閉式可動橋(はね橋)。全長108.1mで、船が通る時は約24mの親橋と、約14mの子橋が水面と60度の角度に跳ね上がる。 |
バナナの叩き売り
発祥の地 | 明治41(1908年)年以降日本にバナナが大量輸入されるようになり門司港が地理的条件からバナナの荷場の一大拠点となり、バナナは門司を代表する果物となる。バナナは通常青い状態で輸入され、問屋が室で熟成させて出荷するそうですが、輸送途中で蒸れたものや傷んだものは市場に出さず露天商等の手により売りさばかれていた。この時口上よく名調子で客を集めてバナナを安売りしたのがバナナの叩き売り。最盛期には50人近い売り手が軒を並べバナナを売っていたそうです。現在、桟橋通りに「バナナの叩き売り発祥の地碑」を建て名残を残している。 海峡プラザ横では観光用に叩き売りをやっていました |
旧大阪商船三井船舶
株式会社門司支店 | 大正6(1917)年に洋風木造2階建てで建築され大陸航路の旅客待合室として利用されていた。八角形の塔屋は当時灯台としての役割も果たしていたそうです。現在1階は多目的ホール、2階は海、港、船をテーマとした海事資料室、この建物は国の登録有形文化財に指定されている。 |
旧門司三井倶楽部 | 明治36(1903)年門司支店として開設した三井物産の社交場として大正10(1921)年に建築されたハーフティンバー工法で建築された建物です。その翌年(大正11)アインシュタイン博士夫妻が宿泊した。この建物は平成2年に国の重要文化財に指定された、現在1階はレストランやイベントホール、2階にはアインシュタインメモリアルルームと作家林芙美子の資料室がある。 |
門司港レトロ展望室 | 黒川紀章設計の高層マンション「レトロハイマート」の最上階(31階)が展望室となってる。103mの高さから関門海峡とレトロな街並みを一望することがでる、と言うが上りませんでした。 |
海峡プラザ | 平成11年に誕生した複合商業施設です。1階には新鮮市場やお土産、雑貨等のマーケットが建ち並び、2階には赤煉瓦ガラス美術館やオルゴールミュージアム、眺望が自慢のレストランもあり見所満載のスポットとなっています |