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健論時報
  健論時報 2000年4月  


■「昭和の日」への改称なる
 「昭和の日」推進議員連盟、祝日法改正案提出・成立へ(3月2日)
 報道によると、昭和天皇誕生日の4月29日の名称を「みどりの日」から「昭和の日」に改め、併せて「みどりの日」を5月の連休直後の5月4日に移す祝日法改正案が、通常国会に議員立法(自民、民主、公明、自由など約400人が参加する「昭和の日」推進議員連盟が提出)で参議院に提出されることとなった。4月中にも成立する見通しだという(平成13年から施行) 。 改正案では、「昭和の日」と改称した理由を「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代をしのび、国の将来に思いをいたす」としており、民主・社民両党からの賛成も期待されるという。
 個人的にはこの祝日法改正案には従来から賛成であったが(従来の「みどりの日」は、何故それを昭和天皇誕生日であった4月29日としていたのか不明確で中途半端であったし、それと比較して、「昭和」という、我が国の長い歴史から見ても顕著な「激動の時代」を記念する日として4月29日を「昭和の日」と改称するのは適切だと考えるからである)、これだけ早期に改正・改称がなされるは思わなかった。最近の永田町では解散・総選挙の噂話が絶えないが、解散前に成立することを期待したい。

■歴史的役割を終えた社会民主党は解党せよ
 村山、伊藤両議員、引退を表明(3月5日)
 報道によると、社会民主党の村山富市元首相(大分1区)と伊藤 茂副党首(比例区)は、次期衆議院総選挙には出馬せず、今期限りで引退することを表明した。村山元首相は一時は総選挙にむけた体制づくりを進める土井たか子党首から慰留されたが、地元の社民党県連や自治労の方針もあり、結局は立候補を断念したという。また伊藤副党首は、政界引退後妻の介護に努めるという。
 社民党は、今年1月には党首選挙で土井党首の三選を決めているが、社会党時代の支持母体の労働組合が次々と民主党支持を打ち出す中で党勢が弱体化し、細川連立内閣以来、選挙を経るごとに議席を減らしてきた。次回の総選挙では、現有の14議席(それでも日本共産党の後塵を拝して野党第3党である)を確保することも難しいと言われ、体制づくりに必死の土井党首は先の党大会等で「憲法問題などを争点にする」として護憲政党としての意義を見出そうとしている。しかし、これまで憲法調査会の設置そのものに反対し憲法論議(特に立法政策上の論議。つまり、現実と規範が乖離した現状の中で、規範の妥当性に疑問を差し挟む議論。詳細は拙稿「 憲法論議は如何にあるべきか 」参照)を否定する態度をとってきた社民党の態度はもはや国民に受けいれられるようなものではなく(固定支持層を持つ共産党はそれでももっているが)、一方、村山内閣当時の「政策転換」(安保自衛隊容認等)によって現実的な議論をするようになった旧社会党議員は既に民主党へと鞍替えしてしまった。結局、社民党に残ったのは土井党首、村山元首相といった有名議員か、「土井チルドレン」と呼ばれる土井党首の腹心だけで、政策に特段の魅力が無い以上支持を広げることは難しいだろう。そこへ、村山・伊藤両議員の引退である(村山元首相は、訪朝団の団長になる等最近までそれなりに有名度を保っていただけに尚更である)。もはや、小選挙区で勝てそうな候補は少ないといってよいのではないか。更に、従来の社会党支持者にしてみれば、未だに「政策転換」についての責任を果たしてもらっていないということにもなる。社民党は「自社さ連立」内閣を以ってもはや歴史的な役割を終えたのであり、次期総選挙でみじめな結果になる前に解党するか、(女性議員が比較的多いので)「女性党」となる等別の政党として再出発すべきであろう。

■ようやくセンター試験成績開示
 センター試験成績、本人開示へ(3月6日)
 報道によると、文部省大学審議会特別委員会は、現在本人には一切開示していない大学入試センター試験の成績を開示する方向で検討をはじめたという。従来、センター試験の成績は、自分で自分の答案を問題用紙に記録した上、自宅で正解と見比べて推定していたが、受験番号の書き忘れやマークシートの記入ミスで本当のところは成績も不明であった。しかも、国立大学や私立大学は、各受験生が添付する請求券をセンターに送付すれば成績を知る(入学試験の一部として使う)ことができたのに、今までは、何故か本人にだけは通知されていなかった。
 文部省では、試験が終わって3ヶ月程度たってからの開示を検討しているというが、正しい成績を知ることで志望校選択も変化するものであり、より多くの私立大学がセンター試験に参加するようになってきている昨今の情勢を考えれば、2月上旬の段階で早期に開示すべきであろう。

■栄典制度の見直しに反対する
 自民党、叙勲制度改革し4月中に結論へ(3月10日)
 報道によると、自由民主党の亀井静香政策調査会長の指示ではじまった同党の「栄典制度検討プロジェクトチーム」は、4月中を目途に改革案をまとめるという。「朝日新聞」3月4日づけ記事によれば、亀井政調会長は「官尊民卑というか、政治家やお役人が高くランクされ、民間人はいくら貢献しても、高い評価を受けられないなんて、こんなバカげた話はない。石原裕次郎にしたって、美空ひばりにしたって、あれだけ国民に夢と希望と楽しみを与えたわけで、膨大な功績だ。」「人間の一生を、社会、国家にどう貢献したか等級に分けて評価するなんておかしい。」とし、8等級ある等級制度の廃止や叙勲基準の見直しを示唆した。
 しかし、今回の自民党による栄典制度改革は、極めて底が浅いと言わなければなるまい。
 そもそも、我が国の栄典制度は明治時代に遡るが、終戦直後、吉田内閣の閣議決定で適用を停止した( 官吏任用叙級令施行に伴ふ官吏に対する叙位及び叙勲並びに貴族院及び衆議院の議長、副議長、議員又は市町村長及び市町村助役に対する叙勲の取扱に関する件=昭和21年5月3日閣議決定 )。その後、諸外国との均衡や儀礼上の必要性もあって、池田内閣が閣議決定で生存者叙勲を復活させて現在に至っており(昭和38年7月12日閣議決定。但し、軍人専用の「金鵄勲章」は復活せず)、憲法第7条の天皇の国事行為のひとつとなっている「栄典を授与すること」を根拠としている(戦前は憲法上の大権事項で賞勲局総裁が輔弼)。いずれにせよ、勲章の目的は昔も今も国家の公共的な事業に貢献したことを感謝する名誉的なものであり、さればこそ、常時公共的な仕事に就き比較的貢献の機会が多い政治家、公務員、裁判官に叙勲が手厚いのは当然のことである(それでも、公務員の中でも特に貢献度が大きいと思われる検察官、警察官、自衛官、刑務官、消防官に対する叙勲は政治家より低い扱いで、例えば、自衛官では勲二等が最高位である)。石原裕次郎も美空ひばりも、なるほど確かに戦後史の中に名を残す有名人ではあるが、それは私的な自己実現以上のものではなかったし、特段天下国家に公的な貢献があったというわけではない(単に「世間を沸かせた」であるとか「国民の人気者である」といったことで授与するのは国民栄誉賞であり、民間の公的な貢献を評価するものとしては「褒章」がある※)。旭日章は「私」を超えた「公」のために行動した者にこそ与えられるのであり、「この人の貢献が無ければ日本の政治経済は違った歴史を辿った」というような人間にこそ授与されるべきであって、芸能大賞ではない。例えば、石原裕次郎がいなくても日本政治は変わらなかっただろうが、吉田 茂(大勲位)がいなかったら日本戦後史は違ったものとなっていただろうことは明かである(吉田の軽武装・経済優先路線をどう評価するかはしばらく措くとしても)。民間企業にしても然りで、例えばホンダ技研工業やソニーのような巨大な企業ともなると、それなりに「反射的利益」として公的な貢献があったといえるだろうが、基本的には民間企業は株主のために利潤を稼ぐ集団であり、その動機は私的なものと言わざるを得まい。
 無論、公務員の中で、叙勲を狙って政治的な動きをするというのは言語道断であろう。戦前も、そうした叙勲の悪弊から陸軍・海軍が不要な競争を行ったという悪い前例がある。しかし、そうした悪弊を別にすれば、栄典制度そのものは(語弊を恐れずに言えば)「官尊民卑」であって当然であり、公務員=官僚に叙勲者が多いのも極めて妥当である(問題は、叙勲される側の「官」が本来は「尊」敬されるに相応しい人物であるべきなのに、「公」務員の公共性に対する自覚を失って「卑」しい不祥事を繰り返している点であるが、これは高級公務員の問題であって栄典制度自体の問題ではない。むしろ、栄典制度が与える栄誉に相応しい「官」たるべく、公務員の意識改革を促すべきであろう)。また、現在の制度を天皇制との観点で批判する議論もあるが、主権者が天皇であろうと国民であろうと、「公」のために「私」を犠牲にして貢献した者に栄誉を与えることは、(特権を付与するのでもない以上:もっとも、年金ぐらいはつけても良さそうなものだが・・・)民主国家であっても必要であり、かつ、現在の法制度の下では、「国民主権国家・日本国の象徴たる天皇陛下に勲章を授かる」という構造になっている以上、特段問題があるとは思えない(軍国主義や天皇絶対主義とは何等関係が無い)。いずれにせよ、栄典制度は「目立ちたがり屋」のためではなく、実務家のためにあるということは強調されるべきであり、今回の自民党の改革プロジェクトの発足は、栄典制度の意義を見失った、大衆ウケだけを狙った安っぽい平等主義に根差していると言えよう。
※紅綬褒賞=「自己の危難を顧みず人命を救助した者」、緑綬褒賞=「孝子など徳行卓絶な者」、黄綬褒賞=「業務に精励して衆民の模範である者」、紫綬褒賞=「学術芸術上の発明改良創作に関して事績の著しい者」、藍綬褒賞=「公衆の利益を興した者又は公同の事務に尽力した者」、紺綬褒賞=「公益のため私財(500万円以上)を寄附した者」がある。根拠は褒賞条例(明治14年太政官布告第63号)。

■例外だと思いたいが
 陸上自衛隊幹部の違法射撃事件で陸自の隠蔽工作発覚(3月17日)
 報道によると、1994年11月、陸上自衛隊の秀島裕展一等陸佐(当時、第1空挺団普通科群長)が、駐屯地でのストリップショーの手配の見かえりに陸自の射撃場で知人に違法に89式小銃を撃たせたとされる銃刀法違反事件で、当時の陸自上層部がこの事件発生を隠蔽すべく、処分を不当に軽い訓戒処分で済ませていたことが判明した。当時の東部方面総監、陸上幕僚長にも事実関係は報告されていたとされ、外部に公表すれば自衛隊の威信が傷つく等として処分を軽くし、公表を免れていたという(なお、自衛官が銃刀法違反に問われた他のケースでは、懲戒処分が一般的だという)。
 元々、一般に自衛隊関係の不祥事では、その処分は一般の国家公務員と比較して重く、例えば交通違反程度の事件でも懲戒処分が下されるのが通例であった。これは、恐らくは東西冷戦時代においては自衛隊に対する社会の風当たりが強く、それだけ厳しい目で自衛隊が監視されていたからであろうが、今回の隠蔽事件は、最近の自衛隊に対する国民の認知でそうした「社会的視線」を気にしなくて済むようになったことがそもそもの原因ではないだろうか。
 神奈川県警問題、新潟県警問題でもそうだったが、最近の不祥事は組織のトップに立つ幹部公務員によるものなのが特徴だが、命を張って国家の公安や国防に従事している一般の警察官・自衛官からすれば全く迷惑な話であって、組織の士気(モラル)に重大な影響を及ぼす。現に神奈川県警では、一連の不祥事の後は交通違反事件の摘発のペースが下降しているという。今回の陸上自衛隊事件でも、逮捕された秀島容疑者は、陸自最精鋭部隊とされる第1空挺団の幹部であった。警察・自衛隊幹部は、自らの起こした不祥事が、単に公務員倫理に反するということだけではなく、士気の低下による組織的影響を招きひいては社会的利益を害するものであるという点でも厳罰に値することを自覚すべきである。

■更正すれば制裁を免れるのか
 山口県光市母子殺害事件で少年に無期懲役判決(3月22日)
 報道によると、山口県光市の新日本製鉄社宅で昨年4月、本村弥生さんと長女夕夏ちゃんが殺害された事件で、殺人等の罪に問われ死刑を求刑された元会社員の少年(19)に対する判決公判が22日、山口地裁で開かれ、渡辺了造裁判長は、「極めて冷酷かつ残忍な犯行で、社会に与えた衝撃は計り知れないが、当時18歳1ヶ月で、内面が未熟。更生の可能性がないとはいえない」等として、被告人に無期懲役刑を言い渡したという。
  判決を受けて記者会見をした夫の本村 洋さんは、「司法に絶望した」「被害者も立ち直らなければならない」「もし少年が死刑にならないのなら、無罪にして私の手の届くところに置いてほしい。私が自分で少年を殺す。」等と訴え、判決に対する不満を述べたというが、本村さんの発言には全く同感である。この事件で犯人の少年は、弥生さんを強姦する目的で社宅に侵入した上、抵抗する弥生さんを殺害、更に泣き叫ぶ夕夏ちゃんを邪魔だとばかり、準備してあったひもで絞殺しており、その上、二人の遺体を押し入れに隠し、弥生さんの財布を奪って逃走している。犯行に同情の余地は無く、「冷酷かつ残虐極まりない犯行。事件の重大性を考慮すれば極刑をもって臨むほかない」としていた検察側の論告求刑は全く以って妥当である。渡辺裁判長は少年のこれまでの生活環境や更正の可能性を考慮して無期懲役に減刑したというが、問題は、少年が無実の人間2人を全く身勝手な目的で殺害しているという結果の重大性であって、判決は目的刑論にあまりにも傾斜しすぎたものであろう。他者の命を故意に奪う行為は、形式的正義論からすれば、基本的には死刑を以って断ずるべきなのに、である。更に、本村さんも言うように、人間、如何に劣悪な環境に育とうとも、他者を殺害するという犯罪を犯すことなく成長する人もいるのであって、少年の罪を全て環境に還元し過度に「更正の可能性」を示唆するのは、コトの重大性を隠蔽しているとの批判を受けてもしかたあるまい。 


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