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憲法改正の早期実現を
〜今こそ、戦後憲政の総決算をすべきだ〜

中島 健

■1、はじめに
 今月3日の「憲法記念日」を以って、現行「 日本国憲法 」は施行53年目を迎えることになるが、近年の世論の動向は、日一日と憲法改正を求める声が高まるばかりである。そして、その状況を反映して、国会においてもついに衆参両院に「憲法調査会」が設置され、5年後の報告書提出に向けた活発な活動がはじまっている。これに対応して、自民党や改憲を主張する各種団体では、新たな憲法草案を作成したり(例えば、読売新聞憲法改正第2次草案)、憲法を問いなおす様々な企画も実施されている。
 そこで本稿では、近年盛り上がりを見せている憲法論議について、主要な論点について私なりの議論を提示するとともに、こうした改憲論に反対している護憲論側の問題点について、指摘してゆくこととする。

※注釈
 なお、本稿では、予備的あるいは背景的な議論は必要最小限度に留めているので、より詳しい憲法上の論点や外交上の問題点については、本誌1998年8月増刊号「 平和主義の原理 」、2000年1月号「 統治行為論の本質 」、1999年12月・1月・2月号「 小国意識から目覚めるとき 」をそれぞれ参照して頂きたい。

■2、緊急的に必要な9条改正
  現行憲法 中、特に改正が必要なのは、言うまでもなく 前文 及び 第2章第9条 の、いわゆる「憲法平和主義」に関する法文である。ある意味で、戦後半世紀にわたる護憲・改憲の対立軸はこの 9条 一点に絞られていたといっても過言ではなく(現に、護憲派の主体は革新政党であって、 第2章 とともに 第1章 の象徴天皇制まで「護持」するという考えでは無かろう)、問題点もほぼ言い尽くされた感がある。即ち、これまで護憲派は、 現行憲法第9条 は一切の軍事力の保持を禁じており、また学会通説でも( 1項 で禁じているのは侵略戦争のみであることは認めつつも) 9条2項 によって「陸海空軍その他の戦力」の保持を禁止しているから自衛隊は違憲であると主張して来た。一方、改憲派は、我が国の主権と独立を維持するために軍事力を保持しなければならない現実からすれば、自衛隊を違憲の疑いの濃いものとして規定する 9条 は改正されるべきである、という論陣を張りつづけてきたのである。更に、「国家は自衛権を保持している」との観点から「戦力」とは異なる「自衛力」なる実力の保持を認め、自衛隊を合憲としている政府解釈に対しては、「解釈としてあまりにも無理があり、違憲の自衛隊を認めてしまっている」とする護憲側からの批判と、「それでは集団的自衛権や集団安全保障上の軍事力を行使できない」とする改憲側からの批判に晒されている( 9条 を巡る諸学説及び判例については、本誌1998年8月増刊号「 平和主義の原理 」参照)。加えて、最高裁判所は、自衛隊の合憲性については「高度に政治性を有する問題は司法審査になじまない」(統治行為論)として口を閉ざしたままである(もっとも、下級審では、明確に「違憲」と断じたものもあったが)(統治行為論については本誌2000年1月号「 統治行為論の本質 」参照)。
 しかし、既に多くの識者によって指摘されているように、東西冷戦の終結後世界が多極化する中で、西側世界に参画しておれば外交も安全保障もそれで足りた時代はとうに過ぎ去っており、今や我が国は、現実の国際政治の体系を認識し、その中にあって国益を独自の手段で確保してゆかなければならない状況に置かれている(本誌1999年12月・1月・2月号「 小国意識から目覚めるとき 」参照)(※注1)。その点、 憲法第9条前文 に象徴される憲法平和主義(※注2)は、正に冷戦時代においてアメリカの庇護下にあった我が国に最もよく適合した歴史的条文であり、あたかも国際政治の中で「力」の意義が減弱しつつあるかの如き錯覚をもたらした元凶であって、 9条 の改正無くして国民の国際政治認識を改めることは出来ないであろう。例えば、最近のガイドライン関連法案の成立については様々な評価が存在するが、自国有事に関する法制度も備えぬまま周辺有事に関する米軍支援立法を先に制定するというのは、結局のところ冷戦時代と同様、憲法平和主義の幻想を存続させる前提条件としての「軽武装・ 日米安保 」体制を、今後とも維持してゆくことを意味している。つまり、国民にとってガイドライン関連法案とは、「憲法が平和をもたらした」という幻想を維持するために、国際社会の平和と安定については米軍のグローバルな戦力に120%依存し続け、自らは「必要最低限度」の自衛隊のみを保有する、という、冷戦時代の枠組みを継承するためのものだったのではないか、ということである。これは、国民の「憲法平和主義的国際政治認識」が、湾岸戦争以降多少の変化を認めつつも、根本的な点においては何等変化していないことを意味しているのではないだろうか。
 「日本国民は、・・・・・平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」( 前文第2段 )。この条文に示されたような認識が存在する限り、「力」「利益」及び「価値」によって動いている国際政治の土俵に、我が国が一人で這い上がることは出来まい(※注3)(※注4)

※注釈
注1:無論、こうした状況は、アメリカの世界的なパワーが衰退をはじめた1970年代以降、徐々に生まれてきたものだが。
注2:ここでいう「憲法平和主義」とは、「侵略戦争否認」のことではなくて、条文の背後にある「国際政治においてはパワーポリティクスはやがて滅びるべきもの」というユートピア的な思想のことである。
注3:もっとも、「日本国民の意識の中に、果たしてどれほど「憲法」(あるいは「法」)というものが意識されていのか」という法社会学的な問題がまた別に存在しており、日本外交の改革は、単に憲法を改正して憲法平和主義を削除すれば達成されるというものではないが。
注4:なお、私としては、9条及び前文の改正に加えて、緊急事態法制の整備も行うべきだと考えている。

■3、「国柄」のあり方を巡って
 ところで、 現行憲法 の問題点の一つとして、「国柄が表現されていない」ということが指摘される。例えば、評論家・秀明大学教授の西部 邁氏は、「憲法とはその国の常識の表明である」と指摘して現行憲法の問題性を強調している。なるほど、「前文を読んでもどこの国の憲法だかわからない」という指摘は、現行憲法の「国柄」を巡る問題を象徴するものとしては、非常に面白い指摘であろう。
 しかし、ここで注意すべきは、憲法上表現されるべき「国柄」とは、それが法律上規定を要する法制度に関するものである、ということである。例えば、「わび、さび」や「書院造り建築」の如きは日本文化の特徴とも言えるであろうが、いくら「国柄」とはいえ、こうしたものを憲法に盛り込むというのは、法律論と文化論を混同した筋違いの議論である(※注5)。憲法は国民から政府に向けられた制限規範であり、近代国家運営に必要な国法体系の頂点に位置する法であって、必要十分な規定を設ければそれで事足りるのであり、逆にそれ以上でもそれ以下でも無いからである。その点では、「憲法を生活に生かそう」等というスローガンの下憲法の人権規定等に過剰な意味を与える護憲派憲法学者も、また憲法全文を改正して戦後民主主義的思潮を打破しようとしている改憲派も、憲法に過剰な期待を寄せすぎているというべきであろう。例えば、 現行憲法 下でも皇室に敬意を表する国民がいると同時に敵意を持つ国民が存在するというのは、憲法上文化的意義を有する条文の実効性の低さを物語るものである(※注6)
 思うに、現在の 日本国憲法 にあっても、 第1章 の象徴天皇制や 第3章 の議院内閣制(※注7)といったところに「国柄」を見出すことは可能であろう。天皇による内閣総理大臣の任命や閣僚の認証は、恐らくは単なる立憲君主制の表現ということだけではなく、古代から継続してきた「祭政の分離」あるいは「権威と権力の分離」(例えば、圧倒的な武家社会であった江戸時代ですら、歴代の徳川将軍は官職を得、形式的には天皇が将軍を任命するかたちを維持した)にその由来を見出すことが出来るのではないだろうか。となれば、「国柄」を盛り込むための前文の改正作業は、前述した憲法平和主義条項の削除と、社会契約説的な色彩を帯びた部分の小改正で十分達成可能であろう。

※注釈
注5:但し、私はここで、「純粋な法律論」が存在すると主張しているわけではない(むしろ、「純粋な法律論」が存在すると仮定するのは危険であるとすら考えている)。ただ、法というものの社会的機能や存在目的を考えれば、それに適合的な議論とそうでない議論がある、ということである。
注6:それ故、私は注3において、9条論についても一定の留保をしている。
注7:もっとも、現行憲法が議院内閣制度を採用しているかどうかについても、学説上争いが無いわけではないが。

■4、護憲論の誤謬
 最後に、最近の改憲論の高まりに呼応して高まっている護憲側の主張について、その誤謬を簡単に指摘したい。
 例えば、東京大学の奥平康弘名誉教授は、5月2日付け「朝日新聞」(夕刊)の中で、「日本の人々は、そこ( 日本国憲法 )に、輝ける理想とさえ言えるような、そして現在なお少しも価値の減ずることのない、政治の諸原理・諸制度を見いだした。」「憲法を手掛かりにさまざまな『権利のための闘争』(※注8)に従事し、いたるところに見いだされる行政の不祥事に怒り、地方分権の実現などにかかわったことのある市民からみれば、憲法は『古臭い』どころか、いまなお十分に生かされていないという想いのほうが強いのである。」と護憲の論陣を張っているが、奥平教授の議論は、改憲派が最重要課題と位置付けている9条論から論点を意図的にずらしており、到底説得的とは言い難い。なるほど、確かに、現行憲法の 権利章典部分(第3章) については、(それを援用する国民の中に 12条 の濫用防止規定を不当に軽んじている者や、自己の政治的主張の隠れ蓑として使っている者が多いという問題を除けば)当面、緊急に改正すべき条項があるわけではない。その点については、私も「憲法は古臭くない」という奥平教授の認識を共有することは、必ずしも不可能ではない。しかし、2で既に論じたように、こと憲法平和主義に関する条文については、「現在なお少しも価値の減ずることのない、政治の諸原理・諸制度」を改正すべきでないとする奥平教授の認識は、全く理解できないという他無い。少なくとも、奥平教授の言い方を借りれば、「憲法をぎりぎりのところで尊重しつつ外交・国防に従事し、いたるところに見いだされる一国平和主義の無責任さに怒り、国連平和維持活動参加の実現などにかかわったことのある人々からみれば、憲法は『いまなお十分に生かされてない』どころか、古臭い、時代認識を誤っているという想いのほうが強いのである」。「 9条 の示す理念を実行に移すことに誤りが無い」と言い切るための国際政治上の新たな認識を提示することを怠りながら、憲法全体を一括して等しく「輝ける理想」視するのは明らかに不当な一般化であって、奥平教授は、改憲論を「厭な感じ」等と論評する前に、自らの議論の構成や論点を改めるべきであろう。
 他方、論点として9条問題の重要性を認識しつつも、誤った国際政治上の認識のために護憲論を擁護しているのが、早稲田大学の古関彰一教授である。古関教授は、『日本の論点』98年版の中で、「憲法の安全保障は、戦争原因の除去にあ」り、「安全保障において非軍事的手段が比重を増している」のであって、「(日米安保共同宣言にあわせる形で憲法を改正するというのは)世界が非軍事的な手段による安全保障へと移行しつつある時代に完全に逆行するものだ」、との観点から、 9条 の掲げる理念を正当なものとしている。しかし、古関教授の国際政治観は、「力」「利益」及び「価値」の3つの体系により成立している国際社会の現実を無視したものであり、基本的な認識枠組にそもそも誤謬があると言わなければなるまい。無論、20世紀の後半以降、エネルギー安全保障や食糧安全保障といったかたちで「安全保障」なる用語が多用されるようになり、軍事力以外の脅威に対応する国家安全保障のあり方が検討されるようになっては来ている。しかし、軍事力は、国家の安全保障にとって中核的手段であり、他のいかなる手段もこれを完全に代替することはできない(※注9)。その実例は枚挙にいとまが無いが、一つだけ例を紹介しておくと、91年の湾岸戦争では、武力行使を回避すべく国連安保理側が容易した度重なる決議や経済制裁にも関わらず、イラクは遂に併合したクウェートから手を引くそぶりを見せなかったのであり、結局クウェートの独立と主権を回復したのは、多国籍軍の圧倒的な軍事力であった。例え古関教授の主張するような「予防外交」が重視されるとしても、予防外交の実効性を担保し、イラクのような地域覇権国家に対処するためにには、事実上はなお軍事力を手段として使用しなければならないのである。
 国際政治学者の高坂正堯元京大教授(故人)は次のように述べている。即ち、「あくまでも軍備が緊張を作っているのではなくて、その逆、つまり緊張が軍備を必要としているのである。困ったことではあるが、その緊張はある特定の悪人や特定の悪い勢力のためではない。緊張を生み出す根源は普通の人間であるわれわれのなかにある」(※注10)。こうした国際政治学上の基本的枠組みを前提としていない護憲派の9条擁護論は、「机上の空論」あるいは「概念法学」として批判されるべきものであろう。

※注釈
注8:「権利のための闘争(権利闘争論
Der Kampf ums Recht)」(1872年)とは、19世紀ドイツにあって「自由法運動」「目的法学」を提唱していたルドルフ・フォン・イェーリングRudolph von Jhering(1818年〜1892年)の主著の表題になっている著名な標語であるが、最新の研究では、イェーリングはこれを現在理解されているような、「民主主義の実現のため戦う」といった意味で使用したのではなく、むしろ当時のドイツの帝国主義的外交政策を擁護・弁明するために使用した、との説がある。
注9:防衛大学安全保障学研究会編『安全保障学入門』(亜紀書房、1998年) 222ページ他。同じ憲法学者でも、例えば慶應義塾大学の小林節教授は、パワー・ポリティクス批判は「国際法と国際政治の常識に反する」と喝破している(小林 節 『憲法』増訂版 南窓社、1994年 75ページ)。
注10:高坂正堯『国際政治』(中公新書、1966年) 76ページ。

■5、おわりに
 憲法改正論議、特に9条に関するタブー無き論議が可能となったきっかけは、恐らくは1991年の湾岸戦争だったのであろう。それから約10年。政治の舞台では、一方で憲法調査会が設置されて改憲にむけた本格的な議論がはじまっているが、他方では、10年前から「自衛戦争合憲説」に立って日本の軍事的国際貢献と安全保障とを主張してきた小沢一郎・元自民党幹事長(自由党党首)が、政権を離脱して小規模政党の党首に留まっているという現実もある。また、近年の国政選挙の投票率に象徴されるように、国民一般の政治的関心は低下の一途を辿っており、それに比例して憲法論議それ自体に対する関心も低下する惧れもあろう。こうした状況に関して、護憲派である上智大学の樋口陽一教授は、「改憲に総論賛成といっても、 9条 の改正に賛成という国民はそう多くは無い」といった趣旨の発言をしているが、こうした状況(小沢氏の凋落、投票率の低下)を踏まえたとき、樋口教授の指摘を待つまでもなく、改憲派にとって、今後の状況はなお予断を許さないと考えるべきであろう。
 かつて、中曽根康弘首相は政権運営にあたり「戦後政治の総決算」を掲げて行財政改革を断行していった。また、90年代に入ってからは、橋本龍太郎総理が「六大改革」を唱えて中央省庁の再編を実行に移した。しかしなががら、こと外交(安全保障)と憲法(及び司法)に関しては、改革論議ははじまったばかりという感が強い。今こそ我々は、「戦後憲政の総決算」をすべきときにさしかかっているのではないだろうか。

中島 健(なかじま・たけし) 大学生


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